【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(9)外戚「養女」への恍惚 従姉への恋、母への思慕を重ね

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  伊藤初代に変わる新たな「美神」として、川端文学研究者の森本穫さんが注目するのは「養女」だ。  川端は昭和18(1943)年、大阪にいた親類の少女を養女に迎えた。黒田政子11歳。政子の出身の黒田家は川端家と深いつながりがあり、康成の母も祖母も黒田家の出身だった。幼くして両親を亡くしたとき世話にな…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(8)伊豆の踊子“美神”から「非常の手紙」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  川端康成は女性を書き続けた作家だ。当然、実人生で出会った女性が作品に投影されただろう。  谷崎潤一郎が松子夫人に「芸術のための御寮人さまでなく、御寮人さまのための芸術です」と熱く手紙につづった通り、多くの作家にとって創作の源、いわゆる美神(ミューズ)は必然だ。川端の美神は誰なのか。  有名な…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(7)孤・美・悪・醜…ノーベル文学への序章

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  昨年、長年の研究を「魔界の住人川端康成 その生涯と文学」(上下巻・勉誠出版)をまとめた元賢明女子学院短大教授の森本穫教授によると、川端作品の魔界は4つの要素で成り立っているという。  (1)孤絶の意識  (2)美へのあこがれ  (3)悪あるいは罪の意識  (4)醜なる自覚  この4つが…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(6)反橋の終末感を生んだ「衝動買い」癖…古美術に大借金

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  「住吉」連作は、川端作品の中でとくに人気のある作品ではない。  ちょっと古めかしい文体。しかも物語は、梁塵秘抄を皮切りに与謝蕪村、浦上玉堂などの文人画、あるいは鎌倉、室町などの書や歌の世界をたゆたいながらゆったりと進み、さっと読みにくい。  しかし、三島由紀夫はこの作品を高く評価した。新聞社…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(5)日本の美しさ以外、一行も…戦後を信じぬ“孤児”が反

産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  川端康成の40代は昭和15(1940)年から23年にかけて。日本は戦争に突き進み、敗戦を経験した冬の時代で、川端康成にとっても生涯の谷の時代だったといえる。  しかし、谷間に静かにたたずんで自己変革をなしとげ、戦後の旺盛な執筆活動につなげた。そこがノーベル賞作家、川端康成のすごいところだ。 ノ…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(4)少女を幾人か犯す…「反橋」夢うつつ行きつつ連作

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  「反橋」(そりはし)は大阪市住吉区にある住吉大社の橋が舞台となっている短編だ。昭和23(1948)年10月、「手紙」と題して「風雪別冊」に発表された。以後、「しぐれ」(「文芸往来」昭和24年1月)、「住吉」(「個性」昭和24年4月、原題は「住吉物語」)と3カ月ごとに書き継がれ連作の形をとっている…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(3)あの「伊豆の踊子」生んだ聖少女 

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  川端康成は、16歳で祖父し天涯孤独の身となった。親類もあり、川端の将来のために残された資産をどう管理するかという親族会議が開かれ資料を残す環境にあったが、引き取られた母方の親類宅は半年で出た。  以後は茨木中学の寮で暮らし、3年後、茨木中学を卒業してからは一高受験のため上京、それからは故郷の大…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(2)ぼっち、寂寥感…中3で天涯孤独 祖父と2人きり生活

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  川端康成(かわばた・やすなり)は明治32(1899)年6月14日、大阪市北区で開業医・川端栄吉とゲンの長男として生まれた。4歳年上の姉が1人いた。  もともと父親は、大阪府三島郡豊川村宿久庄(現茨木市宿久庄)の出身。川端家はそこで代々庄屋をつとめる大地主だった。康成の祖父・三八郎の代に事業など…

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【石野伸子の読み直し浪花女】~川端康成の魔界(1)日本初ノーベル文学賞4年後に自殺 

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  日本人初のノーベル文学賞受賞者、川端康成は正真正銘大阪生まれ、大阪育ちだが、あまり大阪の作家という印象がない。 ノーベル賞を受賞し笑顔で会見する川端康成=昭和43(1968)年10月17日、神奈川県鎌倉市  ひとつには早くから故郷を出て、ふるさとには帰らなかったこと。大阪を舞台にした作品が少…

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晶子の執着(18)実業家「小林天眠」の夢 与謝野夫婦もスイングバイ…関西文壇のパトロン

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  晶子については前回で終わるつもりだったのだが、知人から思いがけない本を1冊送られ、追記することした。  『小林天眠と関西文壇の形成』(和泉書院)。送り主はこの小林天眠が、母方の祖父にあたるという。驚いた。 与謝野夫婦を援助し続けた小林天眠の研究書  小林天眠(本名・小林政治)は、与謝…

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晶子の執着(17)千年に一度の天才 嫉妬、怨嗟、懊悩…地獄みた夫婦「百とせの後に」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  晶子はデビュー作「みだれ髪」で、22歳にして歌人として不動の地位を獲得した。その経緯だけでも、後世に語り継ぐに足る物語をはらんでいるが、その後の人生も実に豊かだ。 各地を旅した晶子と鉄幹。讃岐の屋島にて。「優勝者となれ」掲載(堺市・与謝野晶子文芸館蔵)  「晶子恋い」を自称する作家…

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晶子の執着(16)女学校出が磨いた「想う能力」 「お化け帳」と鉄幹の存在

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  与謝野晶子は興味深い。そろそろまとめに行きたいのだが、書きたいことが次々出てきて、この項、筆を置くことができない。  晩年に入る前にひとつだけ、なぜ晶子は母性保護論争に見るような、時代を超越したグローバルな視点を持ちうることができたのかその点にこだわりたい。  晶子は商家に育ち、地…

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晶子の執着(15)母性保護論争 真の自立、ワーク・ライフ・バランスを説く

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  大正2(1913)年、パリでヨーロッパの息吹に触れ、それぞれに大いにリフレッシュして帰国した与謝野晶子と鉄幹だが、その後の社会的立場は大きく分かれる。  晶子への原稿依頼はますます殺到し、女性の社会的リーダーとしての発言を求められる機会が増える。 文化学院の生徒らと。後方で階段の手すり…

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晶子の執着(14)鉄幹を渡欧させ…子供7人残し追随「雛罌粟」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  夫の回生と夫婦関係の修復を願って、与謝野晶子が起死回生の一打を放ったのが、鉄幹のパリ行き計画だった。 晶子と鉄幹。2人は晩年あちこちを一緒に旅した。高松にて=「優勝者となれ」掲載(堺市・与謝野晶子文芸館蔵)  芸術の都パリは憧れの地だった。「明星」でもたびたび、ヨーロッパの小説や詩、美…

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晶子の執着(13)鉄幹の愛を燃料に4万首、出産12人…夜叉の決心

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  与謝野晶子が鉄幹と一緒になったのは明治34(1901)年。晶子23歳、鉄幹28歳。以後、昭和10(1935)年に鉄幹が亡くなるまで、2人は34年間をともにした。  晶子は鉄幹が逝って7年後に63歳で亡くなることになるが、すでに体調も衰え最盛期は過ぎていた。だから歌人としての晶子の人生はほ…

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晶子の執着(12)乱倫・淫…性愛の喜びで挑む寵児の衝撃

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  歌集「みだれ髪」が出版されたのは明治34(1901)年8月15日。  晶子の上京から2カ月後の出来事。私生活では妻と愛人の間を右往左往する鉄幹だが、出版人としての感性は鋭く、決断も早い。「みだれ髪」は大反響を呼び、晶子はこの1冊で、地方出身の無名の女性から、中央文壇の寵児(ちょうじ)へと…

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晶子の執着(11)まさに「みだれ髪」 鉄幹の未練を断ち斬った“罪の子”

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  与謝野鉄幹と結ばれた日から東京に出奔するまでの半年間。歌人として熱い思いがたぎるような歌を次々と生み出す一方で、晶子はもんもんとした日々を送ることになる。 歌集「みだれ髪」初版(堺市・堺市立文化館与謝野晶子文芸館蔵)  相手は子供までなした妻がいる身。そんな男と一緒になることを周囲が認…

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晶子の執着(10)紅葉に決意、三人同宿 好敵手の冷たい足を感じて

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  明治33(1900)年11月、3人は京都の永観堂で紅葉を見た後、栗田山の辻野旅館に宿をとる。 ライトアップで燃える永観堂の紅葉。晶子、登美子、鉄幹の若き男女は紅葉を見た後、宿をとる。3人の運命がそこで決まる  27歳の妻子ある師と、21歳と20歳の未婚の弟子。若い男女3人の投宿は現代で…

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晶子の執着(9)恋のトライアングル 永観堂の秋

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  与謝野鉄幹をめぐる晶子と山川登美子の物語ほど、心騒がせるものはないのではなかろうか。  時代の先端を行く若き文学の師。才能も男の魅力もあふれる師を前に激しくライバル心を燃やす弟子2人。師はその2人を競わせるかのように、人々の前に高々と2人の歌を掲げる。 明治33年11月5日、京都に宿泊…

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晶子の執着(8)紅させる 口にていかで…松かげに 君とわれ

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  晶子と鉄幹が初めて会ったのは明治33(1900)年8月。その月の2日から19日にかけて、鉄幹は「明星」の読者獲得や宣伝活動のため、大阪、堺、神戸、岡山、京都と関西各地を旅行した。 風光明媚で知られた浜寺公園。晶子と鉄幹は松林を散策した(「堺大観」より)  まずは大阪・北浜の平井旅館に投…

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晶子の執着(7)鉄幹の女性関係 別の教え子にも…その父をパトロンに「明星」創刊

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  晶子と与謝野鉄幹との出会いは明治33(1900)年8月、晶子21歳、鉄幹27歳の夏の出来事だ。  鉄幹はすでに歌の世界でこの人ありと知られるひとかどの存在で、関西の文学好きの声がかりで堺に立ち寄ったとき、2人は初めて顔を合わせる。 後列右が与謝野鉄幹。面長で端正な顔立ち。女性にもてた(…

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晶子の執着(6)恋に恋する20歳の乙女 ぶつけた激烈3人超す

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  二十(はた)とせの我世の幸はうすかりき せめて今見る夢やすかれな(『みだれ髪』)  こし方はいとも暗しその中に 紅き灯もてるわが二十(はたち)の日(『春泥集』) 晶子の生家近くの宿院。寺も多く、晶子が心を寄せた河野鉄南の寺も近かった(堺大観より)  晶子は20歳になっている。すで…

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晶子の執着(5)良家の娘の抑圧 「邪智・淫蕩に満ちた地」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  16歳で女学校を卒業し、22歳で鉄幹と出会い熱情の人生を歩むまで、晶子の歌の習作時代が続く。それは人生の習作時代とも重なっている。  当時、晶子は家業の和菓子店の縁台に座りながら、文学の世界に生きていた。歌の世界で恋をし、空想の世界に遊んだ。 明治期の大道筋。晶子の実家の駿河屋はこの道…

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晶子の執着(4)得意な算術、女学校に物足りず 夢より経営に奔走

 与謝野晶子が鉄幹と出会い人生が急展開していくのは明治33(1900)年、晶子22歳のことだが、そのとき突然、「みだれ髪」の情熱の歌人になったわけではない。 堺高等女学校。晶子が学んだ堺女学校の後身(『堺大観』より)  それまでの堺時代に、歌人としての素養は積んでいる。「あぢきなきわが生立」と少女時代を寂しく回想していた和菓子店「駿河屋」の娘は、どのように歌詠みになっていったのか。 …

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晶子の執着(3)12歳まで男装 父母の狭間で自由を求め

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  「ふるさとの潮の遠音のわが胸に ひびくをおぼゆ初夏の雲」  南海本線堺駅西口駅前広場に建つ晶子のブロンズ像。平成10(1998)年、晶子生誕120年を記念して地元ライオンズクラブの手で建立された。記されている歌は晶子27歳のとき「明星」に発表した歌。歌集「舞姫」に収められている。 南海…

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晶子の執着(2)歌碑のみ残る 私の家は羊羹「駿河屋」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  与謝野晶子は明治11(1878)年、現在の堺市堺区甲斐町に、父・鳳(ほう)宗七、母・津祢(つね)の間に生まれた。 与謝野晶子生家跡に建立された歌碑。旧姓「鳳」から鳳凰が羽を広げた形になっている=堺市堺区  母は後妻で先妻には娘2人があり、晶子には実のきょうだいとして後に東京帝国大学教授…

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晶子の執着(1)実は激情の暴走歌人 「妻の深情け」

 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。  「読み直し浪花女」的に与謝野晶子が気になり始めたのは、田辺聖子編で晶子の評伝小説『千すじの黒髪 わが愛の与謝野晶子』(文春文庫)を読んでからだ。 与謝野晶子40代。たっぷりの黒髪、強いまなざしが印象的(堺市〔堺市文化館与謝野晶子文芸館〕蔵)  与謝野晶子といえば、明治・大正・昭和を生き…

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