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zoom RSS 【元号の風景】(2)養老(717〜724年) 岐阜・養老町

<<   作成日時 : 2019/05/19 22:02   >>

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 平成から令和へ、新元号がスタートしました。大化以来、幾度かの中断を挟みながらも連綿と続いた元号は、歴史の証人でもありました。産経新聞では、そうした歴史の舞台となった元号の史跡を紹介する連載が始まっております。

 ■女帝・元正の美肌と思惑
 白地に黒と赤のマダラが入った鯉(こい)が、ゆっくりとおよいでいた。そのあとを黒い鯉が追いかけていたが、突然、尾ヒレを激しく動かすと、池底の泥砂が黒い煙のようにひろがり、なにも見えなくなった。
 そんなには広くはなく、そんなにはキレイとは言えない池は、不老池と呼ばれる。だがわきを流れる小川は澄みきり、川底の小石がヌメヌメとひかっていた。小川沿いに登れば、「養老の滝」に行きつくはずだ。
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老の滝から流れてくる河川。元正天皇はこの付近を行幸した

 養老山の麓(ふもと)にひろがる坂道を、30分ほどかけて登ってきた。すでに青息吐息、土産物店のオバさんから、滝まではあと半キロはあると訊(き)かされ、あっさりとあきらめた。滝見物が目的ではないうえ、「養老の滝」のノレンはなんどかくぐり、すでに“見物済み”でもあった。
 池をぐるりとまわったところに、「元正(げんしょう)天皇行幸(ぎょうこう)遺跡」と刻まれた、真新しい石標が建っていた。「遺跡」とあるが、狭い石段をのぼった暗い森のなかに、ちいさな祠(ほこら)がポツンと建っているだけだった。
 「養老改元 1300年記念」という碑があった。養老改元は717年だから、「+1300=2017」、つまり一昨年に建てられたらしい。
 「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、女帝である元正は霊亀(れいき)3(717)年9月、近江国などを経て、この地に訪れ、美泉をご覧になった、とある。数日間ほど滞在し、奈良・平城京に戻ったが、訪れた目的の記載はない。2カ月後、唐突につぎのような詔(みことのり)をはっした。
 「(美泉で)手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになるようであった。また痛いところを洗うと、痛みが全く除かれてしまった」(訳文)
 元正は未婚で、このとき38歳。原文には「沈静婉孌(えんれん)」とあり、もの静かで、若々しく美しかった。だがお肌の曲がりかどの年齢だけに、美泉がいたく気にいったらしい。「美泉をもって老いを養うべし」と、「養老」への改元を決めた。「お肌ピカピカ」で改元されたのは、あとにもさきにも「養老」くらいであろう。
 だが都(みやこ)から遠く離れたこの地まで、なぜ足をのばしたのだろうか。
 ◆祖父ゆずりの懐柔策
 切りたった崖沿いの道の途中には、テラスのある喫茶店や、料亭などもあった。平日の午後、訪れる人もなく、乾いた葉の摺(す)れる音とともに、地虫の鳴き声が耳朶(じだ)をめぐった。元正を乗せた輿(こし)も、このあたりをめぐったはずである。

古代の朝廷には、さまざまな陰謀がめぐっていた。元正の時代、最大の権力者は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)とともに「大化の改新」をなしとげた中臣鎌足(なかとみのかまたり)の息子、藤原不比等(ふじわらのふひと)であった。元正が主人公の作家・永井路子の長編『美貌の女帝』を借用すれば、不比等の最大のネライは自分の娘と、元正の弟・文武天皇との間に生まれた首皇子(おびとのみこ)(のちの聖武天皇)を、すぐにでも天皇位に就けることだった。
 「異例中の異例といわねばならない」と永井が書いた元正の即位は、首皇子の即位をすこしでも遅らせるという目的があった。元正の祖父は「壬申の乱」で勝利した天武天皇で、奈良・吉野を出た天武は美濃国ら周辺の豪族をつぎつぎと身方につけた。
 祖父の足跡を辿(たど)るような行幸のあと、元正は美濃国司らを昇進させ、税の免除も行った。不測の事態が起きたさい、「また身方になってネ」というメッセージを伝えるのが目的だったらしい。
 「お肌ピカピカ」のためにだけ、やって来たわけではないのである。(客員論説委員 福嶋敏雄)
 ■女帝の時代
 6世紀末から8世紀にわたる200年間には6人の女帝が誕生し、「女帝の時代」ともいわれる。最初の女帝は推古(すいこ)天皇(在位592〜628年)で、皇太子の聖徳太子に国政を任せた。その後も皇極(こうぎょく)(重祚(ちょうそ)して斉明(さいめい))、持統(じとう)、元明(げんめい)、元正、孝謙(こうけん)(重祚して称徳(しょうとく))と8代の女帝が天皇位についた。重祚とは、一度退位した天皇が再び皇位につくことである。「女帝は“つなぎ”」といわれるが、持統のように大きな権力を持ち、律令政治の基礎を固めた女帝もいた。

*2019.01.14 産経新聞より
(https://www.sankei.com/column/news/190114/clm1901140003-n1.html)

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