【明治の50冊】(48)石川啄木『一握の砂』 人生の事象詠んだ国民的歌集

 明治150年にあたる平成30年、産経新聞社では明治年間に書かれた先達の作品を紹介していきます。著作権も切れ、ともすれば忘れがちになる古典をもう一度再認識させてくれる好企画です。

 「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」
 「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」


 教科書ではじめて石川啄木に接したという人は多いだろう。息苦しい教室の片隅で、啄木が歌う広やかな青空にあこがれた心持ちがなつかしい。
 『一握の砂』(明治43年刊)は、啄木が24歳の時に刊行された。3行分かち書きが特徴で、文語が多いにもかかわらず口語的な印象を受ける文体から、生活に根ざした抒情(じょじょう)が直接的に胸に響いてくる。
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歌集『一握の砂』初版本(石川啄木記念館提供)

 国際啄木学会会長の池田功・明治大学教授は、「技巧や装飾を少なくし、短歌に日常生活を持ち込み、あくまで自己の真実に正直な歌集であろうとした。そこが短歌史において、それまでの歌集とは異なっていた」と話す。
 啄木は、与謝野鉄幹が詩歌革新をめざした新詩社の機関誌『明星』から出発。初期には浪漫的な歌だったが、ありのままの現実に目を向けようという自然主義の流行に加え、家族との1年に及ぶ北海道での漂泊により、平易で等身大の歌に傾く。
 小説家になろうと北海道から再び上京した41年、売り込みに失敗した挫折感と貧窮の中で、短歌が爆発的に生まれる。「生活あっての文学、その中でも短歌という表現形式には、それほど期待していなかった。だから逆に、気取ることなく自由に自分の気持ちを託すことができたのでは」(池田教授)

 歌稿ノートの題は「暇ナ時」、『一握の砂』も最初は「仕事の後」と題して構想された。「忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない」「歌は私の悲しい玩具である」と記している。
 没後すぐに刊行された第2歌集『悲しき玩具』とともに、『一握の砂』は広く親しまれてきた。戦前の教科書には、「ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」のような望郷、「たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず」といった親孝行の歌が掲載されており、『一握の砂』は故郷を回想した感傷的な歌集というイメージが定着した。
 1960年代の高度成長期には、都会で集団就職した人たちが「ふるさとの訛なつかし」をくちずさみ、バブル経済崩壊後は、うつむく会社員らが「はたらけど/はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり/ぢつと手を見る」に共感。東日本大震災ののちは、被災者らが「新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど--」(『悲しき玩具』)に思いをはせた。

 時代に照らされ、読み直される歌がある一方、「こみ合へる電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ」「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」といった競争社会の中で苦闘するサラリーマンへの応援歌もある。
 池田教授は「いつの時代にも対応できる多様で鋭い歌がある。まさに国民的歌集と呼べる」と話す。
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石川啄木(提供写真)

 昭和21年に出た岩波文庫『啄木歌集』は現在50万部を超え、『一握の砂』の短歌は、今も中学・高校の国語教科書に掲載されている。
 青春への愛惜はもちろん、父母、夫婦関係、旅、病、時代閉塞(へいそく)をとらえた社会性-。およそ人生にまつわる事象を、26年2カ月の短い生涯に詠み尽くした不思議に打たれるばかりだ。(永井優子)
 次回は18日、『秘密』(谷崎潤一郎)です。
【プロフィル】石川啄木
 いしかわ・たくぼく 明治19年、岩手県生まれ。盛岡中学中退後、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得て明星派の詩人として出発。38年、19歳で詩集『あこがれ』を出版する。北海道での新聞記者生活などを経て上京。42年、朝日新聞社の校正係となる。43年12月、歌集『一握の砂』刊行。45年4月、結核性の全身衰弱により26歳で死去。

*2019.03.11 産経新聞より
(https://www.sankei.com/life/news/190311/lif1903110020-n1.html

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