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【マキャベリ流−是非に及ばず】(15)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(15) 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/04/29 17:41
【マキャベリ流−是非に及ばず】(14)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(14)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/04/16 16:02
【マキャベリ流−是非に及ばず】(13)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(13)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/04/02 16:45
【マキャベリ流−是非に及ばず】(12)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(12)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/03/26 21:22
【マキャベリ流−是非に及ばず】(11)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(11)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/03/18 23:01
【マキャベリ流−是非に及ばず】(10)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(10)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/03/11 15:32
【マキャベリ流−是非に及ばず】(8)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(8)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/03/04 16:13
【マキャベリ流−是非に及ばず】(8)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(8)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/02/25 22:41
【マキャベリ流−是非に及ばず】(7)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(7)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/02/18 23:56
【マキャベリ流−是非に及ばず】(6)
 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/02/11 15:11
【マキャベリ流−是非に及ばず】(5)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(5)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/02/05 21:13
【マキャベリ流−是非に及ばず】(4)
 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/01/28 22:11
【マキャベリ流−是非に及ばず】(3)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(3) 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/01/21 15:56
【マキャベリ流−是非に及ばず】(2)
【マキャベリ流−是非に及ばず】(2)  日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2017/01/08 13:44
【マキャベリ流−是非に及ばず】(1)
 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。 ...続きを見る

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2016/12/30 12:30
【敗者烈伝 番外・勝者編】〜源頼朝 大政治家に「恐妻」の墓穴 作家・伊東潤
【敗者烈伝 番外・勝者編】〜源頼朝 大政治家に「恐妻」の墓穴 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/06/26 14:32
【敗者烈伝】〜織田信長(下)己自身に負けた英雄 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜織田信長(下)己自身に負けた英雄 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/06/04 23:57
【敗者烈伝】〜織田信長(上)過信の果てに迎えた「本能寺」 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜織田信長(上)過信の果てに迎えた「本能寺」 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/05/29 13:00
【敗者烈伝】〜徳川慶喜(下)策におぼれた「小才子」の限界 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜徳川慶喜(下)策におぼれた「小才子」の限界 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/05/21 22:26
【敗者烈伝】〜徳川慶喜(上)「思いつき」連発で政局混乱も性癖を顧みず徳川家を滅亡の淵へ 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜徳川慶喜(上)「思いつき」連発で政局混乱も性癖を顧みず徳川家を滅亡の淵へ 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/05/08 13:59
【敗者烈伝】〜豊臣秀頼(下)滅亡早めた城郭網の不備 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜豊臣秀頼(下)滅亡早めた城郭網の不備 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/05/03 16:53
【敗者烈伝】〜豊臣秀頼(上)家康も一目置いた聡明さ 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜豊臣秀頼(上)家康も一目置いた聡明さ 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/04/24 12:58
【敗者烈伝】作家・伊東潤 源義経(下)武士たちの望みを見誤る
【敗者烈伝】作家・伊東潤 源義経(下)武士たちの望みを見誤る  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/04/03 21:07
【敗者烈伝】作家・伊東潤 源義経(上)武功挙げる中で兄と確執
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/04/02 22:53
【敗者烈伝】〜平将門(下) 失敗の原因は連勝にあり 自信過剰に陥り「敵」侮る 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜平将門(下) 失敗の原因は連勝にあり 自信過剰に陥り「敵」侮る 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/20 10:45
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 平将門(上)武勇無双、一門私闘を制す
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 平将門(上)武勇無双、一門私闘を制す  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/19 22:33
【敗者烈伝】〜蘇我馬子(下) 「成功モデル」踏襲で一族滅亡 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜蘇我馬子(下) 「成功モデル」踏襲で一族滅亡 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/13 15:41
【敗者烈伝】〜蘇我馬子(上)強引な手法で絶頂期築く 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜蘇我馬子(上)強引な手法で絶頂期築く 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/12 21:37
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 天草四郎(下) ビジョンなき籠城戦の悲劇
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 天草四郎(下) ビジョンなき籠城戦の悲劇  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/06 15:32
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 天草四郎(上) 「他力」頼んで偶発的蜂起
【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 天草四郎(上) 「他力」頼んで偶発的蜂起  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/03/05 23:25
【敗者烈伝】〜北条氏政(下) 環境激変…手堅さが仇に 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜北条氏政(下) 環境激変…手堅さが仇に 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/02/28 19:52
【敗者烈伝】〜北条氏政(上) 慎重で狡猾な4代目 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜北条氏政(上) 慎重で狡猾な4代目 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/02/27 22:05
【敗者烈伝】〜桐野利秋(下) 西南戦争の実質的総指揮官に 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜桐野利秋(下) 西南戦争の実質的総指揮官に 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/01/10 16:39
【敗者烈伝】〜桐野利秋(上) 「人斬り半次郎」像に隠れた大器 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜桐野利秋(上) 「人斬り半次郎」像に隠れた大器 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/01/09 22:17
【敗者烈伝】〜藤原頼長(下) 自負心の強さが命取りに 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜藤原頼長(下) 自負心の強さが命取りに 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2016/01/03 21:55
【敗者烈伝】〜藤原頼長(上) 武士の世を招いた「悪左府」 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜藤原頼長(上) 武士の世を招いた「悪左府」 作家・伊東潤  明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 ...続きを見る

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2016/01/02 14:28
【敗者烈伝】〜豊臣秀次(下) 読み違えた心理 老耄した独裁者ほど恐ろしいものはない 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜豊臣秀次(下) 読み違えた心理 老耄した独裁者ほど恐ろしいものはない 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/28 22:01
【敗者烈伝】〜豊臣秀次(上) 「天下人の甥」の微妙な立場 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜豊臣秀次(上) 「天下人の甥」の微妙な立場 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/26 21:47
【敗者烈伝】〜榎本武揚(下) 日本史上希にみる幸運な敗者=@身を救った「学識」 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜榎本武揚(下) 日本史上希にみる幸運な敗者=@身を救った「学識」 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/20 16:53
【敗者烈伝】〜榎本武揚(上) 繊細な風貌の下に気骨 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜榎本武揚(上) 繊細な風貌の下に気骨 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/19 21:00
【敗者烈伝】〜明智光秀(下) 信長殺害は「手違い」だった? 作家・伊東潤
 【敗者烈伝】〜明智光秀(下) 信長殺害は「手違い」だった? 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/13 14:16
【敗者烈伝】〜明智光秀(上)「本能寺」前に家康暗殺計画 信長から命じられた? 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜明智光秀(上)「本能寺」前に家康暗殺計画 信長から命じられた? 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/12 12:51
【敗者烈伝】〜兄への甘さが命取りになった足利直義 いつの時代も「身内にも冷徹でいられる者」だけが生き
【敗者烈伝】〜兄への甘さが命取りになった足利直義 いつの時代も「身内にも冷徹でいられる者」だけが生き  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/06 14:54
【敗者烈伝】〜足利直義(上) なぜ兄・尊氏に謀殺されたのか 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/12/05 11:53
【敗者烈伝】〜松平容保(下) 主体性の欠如が招いた悲劇 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜松平容保(下) 主体性の欠如が招いた悲劇 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/11/22 22:39
【敗者烈伝】〜松平容保(上) 歴史に翻弄された“お殿様” 作家・伊東潤
 *久々の歴史ものに戻ります。 ...続きを見る

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2015/11/21 14:26
【敗者烈伝】〜石田三成(下)敗北を運命づけた人格的欠陥 作家・伊東潤
【敗者烈伝】〜石田三成(下)敗北を運命づけた人格的欠陥 作家・伊東潤  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/26 15:12
【敗者烈伝】〜石田三成(上) 有能かつ狭量な「困った人」
【敗者烈伝】〜石田三成(上) 有能かつ狭量な「困った人」  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/25 13:52
【敗者烈伝】〜大鳥圭介(下)80年生き、最後まであきらめない男の凄まじさ
【敗者烈伝】〜大鳥圭介(下)80年生き、最後まであきらめない男の凄まじさ  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/18 22:02
【敗者烈伝】〜大鳥圭介(上)幕末を駆け抜けた理系指揮官
【敗者烈伝】〜大鳥圭介(上)幕末を駆け抜けた理系指揮官  産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/17 22:48
【敗者烈伝】〜太田道灌(下) 自信過剰、主の心理見誤る
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/13 20:46
【敗者烈伝】〜太田道灌(上)戦国前夜の「関東の覇者」
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/12 15:24
【敗者烈伝】〜江藤新平(下) 負けても貫かれた“正義
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/05 14:29
【敗者烈伝】〜江藤新平(上)日本史上にも稀な硬骨漢
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/07/04 13:58
【敗者烈伝】〜武田勝頼(下) 「長篠の戦い」なぜ無理を承知で馬防柵を攻撃したのか
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/28 13:45
【敗者烈伝】〜武田勝頼(上)「信玄公より謙信公に似ている」と側近が評した戦国「最強」武将
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/27 23:19
【敗者烈伝】〜高師直(下) 伝統破壊「南北朝の信長」
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/20 23:20
【敗者烈伝】〜高師直(上) 歴史物語で必要な「悪役」
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/20 01:11
【敗者烈伝】〜西郷隆盛(下)「明治6年の政変」で決まった敗北
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/14 17:04
【敗者烈伝】〜西郷隆盛(上)「征韓論者」という誤解はなぜ生じたか 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/13 15:10
【敗者烈伝】〜今川義元(下)豊富な知識 逆に墓穴 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。  桶狭間とは知多半島の付け根、手越川(てごえがわ)が伊勢湾に注ぐ一帯のことを指している。この辺りは、なだらかな丘陵が幾重にも連なる田園地帯で、その間を縫うようにして、北から鎌倉往還、東海道、大高道(おおだかみち)という3本の街道が、ほぼ東西に走っている。  鎌倉往還と東海道が伊勢湾に達しようとするところに鳴海(なるみ)城が、同じく大高道の出口に大高城が築かれていた。  永禄3(1560)年、義元... ...続きを見る

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2015/06/12 21:36
【敗者烈伝】〜今川義元(上) 「海道一の弓取り」たった一度のミスが 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/06/05 21:39
【敗者烈伝】〜平清盛(下) 感情のまま事を急ぎすぎた 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/05/30 15:12
【敗者烈伝】〜平清盛(上) 頂点から全てを失った典型 作家・伊東潤
 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。 ...続きを見る

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2015/05/23 15:49
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(9)外戚「養女」への恍惚 従姉への恋、母への思慕を重ね
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/05/17 14:02
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(8)伊豆の踊子“美神”から「非常の手紙」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/05/09 22:32
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(7)孤・美・悪・醜…ノーベル文学への序章
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/05/02 14:06
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(6)反橋の終末感を生んだ「衝動買い」癖…古美術に大借金
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/04/25 22:04
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(5)日本の美しさ以外、一行も…戦後を信じぬ“孤児”が反
産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/04/18 15:38
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(4)少女を幾人か犯す…「反橋」夢うつつ行きつつ連作
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/04/12 14:49
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(3)あの「伊豆の踊子」生んだ聖少女 
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/04/05 15:13
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(2)ぼっち、寂寥感…中3で天涯孤独 祖父と2人きり生活
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2015/03/29 16:52
【石野伸子の読み直し浪花女】〜川端康成の魔界(1)日本初ノーベル文学賞4年後に自殺 
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが川端康成についての素晴らしいコラムを連載しています。  日本人初のノーベル文学賞受賞者、川端康成は正真正銘大阪生まれ、大阪育ちだが、あまり大阪の作家という印象がない。 ノーベル賞を受賞し笑顔で会見する川端康成=昭和43(1968)年10月17日、神奈川県鎌倉市 ...続きを見る

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2015/03/22 13:44
【家康改葬(8)完】〜整備された日光へのルートが開国後、外国人らを避暑に誘った
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第8回、宇都宮支局桑島浩任さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/03/15 14:09
【家康改葬(7)】〜側近「天海」が推した栃木・鹿沼の薬王寺は別格
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第7回、宇都宮支局高橋健治さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/03/08 15:09
【家康改葬(6)】〜元城主に義理立てした4寺は廃止に 道中の栃木・佐野で一波乱
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第6回、宇都宮支局川岸等さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/03/01 12:01
【家康改葬(5)】〜埼玉「のぼうの城」にも霊柩安置 東照宮には今も42歳肖像画奉納
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第5回、宇都宮支局伊沢利幸さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/02/22 13:23
【家康改葬(4)】〜地形把握も兼ねていたタカ狩り 遷霊行列は神奈川・平塚と東京・府中で「御殿」に宿泊
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第4回、宇都宮支局原川真太郎さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/02/15 14:26
【家康改葬(3)】〜人生変えた小田原 秀吉による江戸幽閉を逆手に東国支配固める
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第3回、宇都宮支局原川真太郎さん執筆の記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/02/08 20:16
【家康改葬(2)】〜「久能山」か「日光」か 家康の遺体はどちらにある
 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第2回、宇都宮支局原川真太郎さんと同支局長鶴谷和章さんの記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/02/01 14:56
【家康改葬(1)】〜家康はなぜ日光で「神」になったか 「江戸の真北」に意味がある
 産経新聞の歴史関連記事は、数ある新聞社の中でも跳びぬけて充実しております。幾つかの新聞社の中には、Web上の記事の続きを有料の会員制にする中で、産経新聞は惜しげもなく公開しています。  さて今回は徳川家康400回忌に合わせた企画を執筆された、宇都宮支局 原川真太郎さんの記事の御紹介です。 ...続きを見る

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2015/01/24 16:48
【W杯ヒストリー(19)】2010年南アフリカ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/07/14 12:07
【W杯ヒストリー(18)】2006年ドイツ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/07/13 13:34
【W杯ヒストリー(17)】2002年日韓大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/07/11 21:53
【W杯ヒストリー(14)】1990年イタリア大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/22 16:05
【W杯ヒストリー(16)】1998年フランス大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/16 22:43
【W杯ヒストリー(12)】1982年スペイン大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/16 21:28
【W杯ヒストリー(15)】1994年アメリカ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/15 12:55
【W杯ヒストリー(13)】1986年メキシコ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/13 21:56
【W杯ヒストリー(11)】1978年アルゼンチン大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/11 21:32
【W杯ヒストリー(10)】1974年西ドイツ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/10 19:45
【W杯ヒストリー(9)】1970年メキシコ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/09 20:29
【W杯ヒストリー(8)】1966年イングランド大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/08 21:18
【W杯ヒストリー(7)】1962年チリ大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/07 21:10
【W杯ヒストリー(6)】1958年スウェーデン大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/06 21:02
【W杯ヒストリー(5)】1954年スイス大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/05 20:53
【W杯ヒストリー(4)】1950年ブラジル大会
 産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/04 20:43
【W杯ヒストリー(3)】1938年フランス大会
産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/03 13:38
【W杯ヒストリー(2)】1934年イタリア大会
産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/02 11:52
【W杯ヒストリー(1)】1930年ウルグアイ大会
産経新聞2014ブラジルW杯特集で連載中の記事です。 ...続きを見る

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2014/06/01 22:14
【官兵衛を探る(12完)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/05/31 12:03
【官兵衛を探る(11)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/05/24 14:22
【官兵衛を探る(10)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/05/17 12:08
【官兵衛を探る(9)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/05/10 15:03
【官兵衛を探る(8)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/05/03 21:30
【官兵衛を探る(7)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/04/27 14:40
【官兵衛を探る(6)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/04/26 15:11
【官兵衛を探る(5)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/04/20 01:04
【満州文化物語】(10)愛された歌 夢とロマン、情熱込めて
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/04/12 17:02
【官兵衛を探る(4)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/04/05 15:39
【満州文化物語】(9)花開いた野球 熱狂の「実満戦」 都市対抗で最強だった
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/03/30 12:45
【官兵衛を探る(3)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/03/23 14:32
【満州文化物語】(8)「李香蘭」 ラジオ放送から生まれた
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/03/16 13:36
【官兵衛を探る(2)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/03/08 22:08
【満州文化物語】(7)「東洋一」を誇った放送 森繁、糸居もアナで活躍
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/03/02 12:09
【官兵衛を探る(1)】
 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。 ...続きを見る

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2014/02/22 16:10
【満州文化物語】(6)牧野家と小泉家 カツドウ屋が描いた夢
産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/02/15 22:21
【満州文化物語】(5)歌や芝居に残る「連鎖街」 サザンやミフネ、格さんも
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/01/25 21:51
【満州文化物語】(4)3つの国歌 作曲者にも「戦争の陰」
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/01/18 23:38
【満州文化物語】(3)世界の芸術家交錯 紡ぎ上げた独特の文化
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/01/11 23:39
【満州文化物語】(2)「音楽の都」ハルビン オーケストラがやってきた
産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2014/01/01 14:00
「満州文化物語」(1)「夢の都」大連 「うたかた」と消えた40年
 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。 ...続きを見る

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2013/12/21 14:54
晶子の執着(18)実業家「小林天眠」の夢 与謝野夫婦もスイングバイ…関西文壇のパトロン
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/09/03 20:46
晶子の執着(17)千年に一度の天才 嫉妬、怨嗟、懊悩…地獄みた夫婦「百とせの後に」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/08/16 22:33
晶子の執着(16)女学校出が磨いた「想う能力」 「お化け帳」と鉄幹の存在
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/08/06 22:04
晶子の執着(15)母性保護論争 真の自立、ワーク・ライフ・バランスを説く
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/07/28 16:29
晶子の執着(14)鉄幹を渡欧させ…子供7人残し追随「雛罌粟」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/07/25 22:07
晶子の執着(13)鉄幹の愛を燃料に4万首、出産12人…夜叉の決心
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/07/19 23:34
晶子の執着(12)乱倫・淫…性愛の喜びで挑む寵児の衝撃
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/07/05 21:10
晶子の執着(11)まさに「みだれ髪」 鉄幹の未練を断ち斬った“罪の子”
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/27 22:11
晶子の執着(10)紅葉に決意、三人同宿 好敵手の冷たい足を感じて
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/22 15:14
晶子の執着(9)恋のトライアングル 永観堂の秋
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/16 14:38
晶子の執着(8)紅させる 口にていかで…松かげに 君とわれ
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/15 21:47
晶子の執着(7)鉄幹の女性関係 別の教え子にも…その父をパトロンに「明星」創刊
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/12 22:09
晶子の執着(6)恋に恋する20歳の乙女 ぶつけた激烈3人超す
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/11 21:29
晶子の執着(5)良家の娘の抑圧 「邪智・淫蕩に満ちた地」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/08 15:15
晶子の執着(4)得意な算術、女学校に物足りず 夢より経営に奔走
 与謝野晶子が鉄幹と出会い人生が急展開していくのは明治33(1900)年、晶子22歳のことだが、そのとき突然、「みだれ髪」の情熱の歌人になったわけではない。 堺高等女学校。晶子が学んだ堺女学校の後身(『堺大観』より) ...続きを見る

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2013/06/08 00:11
晶子の執着(3)12歳まで男装 父母の狭間で自由を求め
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/06 22:23
晶子の執着(2)歌碑のみ残る 私の家は羊羹「駿河屋」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/03 22:21
晶子の執着(1)実は激情の暴走歌人 「妻の深情け」
 産経新聞WESTで記者の石野伸子さんが与謝野晶子についての素晴らしいコラムを連載しています。 ...続きを見る

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2013/06/02 22:35
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(235)歳晩(三)
 余命幾ばくもない晋作、それを信じたくなかった伊藤春輔でしたが、意を決して見舞いに向かいます。結核という伝染性の病ゆえ、襖を隔てての対面となりました。  弱々しい声で、後事を春輔に託す晋作、最後に、一緒に欧米に出かけたかったと、名残の言葉を発しました。泣くことを必死にこらえる春輔、晋作はその三週間後に亡くなりました。  これで小説は『完』となっています。ところで最後ですが、例の辞世「おもしろきこともなき世に(を)おもしろく」の話とか、臨終の場面などがなく、あっさりと終ってしまいま... ...続きを見る

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2013/05/31 21:34
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(234)歳晩(二)
  死の床に就いた晋作、見舞客らと酒を飲んで盛り上がったりしているので、症状は悪化するばかりです。看病をしているのは、やはり愛人のおうの。  ところで肺結核になると、あっちの方はかえって盛んになるそうです。そのために体力を一層消耗し、死を早める結果になります。  結局自殺してしまいましたが、肺結核の病が篤かった太宰治も最後まで、愛人の山崎富栄と関係を持っておりました。  ところでこの連載も、もうすぐ終了、おそらく今週いっぱいでしょうね。 ...続きを見る

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2013/05/30 23:07
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(233)歳晩(一)
 寄せ集めの幕府軍、戦意も低く、兵装も旧式、さらに指揮官も保身に走る状態では勝てるはずがありません。ここに幕府の権威が明らかに低下していることを、天下に知らしめることになりました。  しかしその直後、晋作は病の床に就きます。当時は不治の病、肺結核でした。慶応2年秋のこと、晋作の命はもうあと半年余りになります。 ...続きを見る

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2013/05/29 21:35
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(232)雷電篇 維新へ(八)
 晋作の受け持つ小倉口は激戦が続きました。優勢に戦いを進めるも、決定的な勝利が得られない長州軍、しかしまさに天佑が起こります。14代将軍・徳川家茂の死去、幕府軍の中でも士気の高かった熊本藩の細川軍が撤退を始めました。  さらに、総督・小笠原長行も戦線を離脱、小倉藩兵は城に火を放ちました。 ...続きを見る

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2013/05/28 21:32
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(231)雷電篇 維新へ(七)
 第二次長州征討は、「四境戦争」とも呼ばれています。四方から長州に攻め入るという意味ですが、本当は萩からも攻め入る手はずになっていました、しかしそこの担当は薩摩藩、薩長同盟から当然のごとくこれを拒否、結果的に四方向からになった次第です。  最新式の兵装を整えた長州軍は、大村益次郎(大河ドラマ「花神」の主人公で、中村梅之助がやってました)を始め、各人が大活躍をします。  序盤戦を押し気味に進めていく中、晋作は小倉口を担当、征長軍の本営・小倉城へと進撃します。 ...続きを見る

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2013/05/27 20:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(230)雷電篇 維新へ(六)
 晋作の頭に閃いた作戦、それは夜襲でした。幕府の蒸気船が夜間は動力を落としているという情報に基づいていました。  夜襲は見事成功、幕府船の損害自体は少なかったものの、精神的な動揺は計り知れないものがありました。翌朝の陸上戦では浮足立つ幕府軍があっさりと敗走、周防大島の奪還は成功しました。  旗艦・丙寅丸の甲板で晋作の胸に、蛤御門の変で散っていった玄瑞への想いが去来していました。 ...続きを見る

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2013/05/26 15:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(229)雷電篇 維新へ(五)
 幕府と長州藩の戦闘は、周防大島で始まりました。この島、長州藩としては戦略上、重要視せず、言わば捨て石にしていたところです。ここに幕府は精鋭の艦船を投入、島はあっという間に陥落してしまいました。  さらに幕府軍は、女、子供といった非戦闘員を巻き添えにした略奪行為を繰り返したところから、長州側は憤激、急遽晋作に島の奪還を命じます。  とはいっても、回せる戦力は微々たるもの、新鋭艦を主力の幕府軍とはその差は歴然、晋作は悩みます。 ...続きを見る

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2013/05/25 14:24
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(228)雷電篇 維新へ(四)
 幕府と長州の交渉は決裂、幕府は諸藩に動員令をかけます。一方長州も、晋作を今でいうところの海軍大臣に任命し、臨戦態勢を整えます。  決戦前夜、晋作と土佐の中岡俊太郎は、酒を酌み交わしますが、重い空気が漂っていました。晋作の胸には、これまでに命を落としていった師・吉田松陰をはじめ、久坂玄瑞や周布政之助などへの思いが募ったでしょうが、その感情を殺していました。  晋作は、長州藩の勝ち負けにはこだわりがありません。ひたすら日本の将来を憂い、私の戦いをしようとする幕府に抗戦するというのが... ...続きを見る

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2013/05/24 23:35
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(227)雷電篇 維新へ(三)
 10万石の減封という落としどころで決着がつくと思った幕府でしたが、長州藩の正使・宍戸は断固これを拒否します。面目をつぶされた幕府は、宍戸の身柄を拘束し、開戦準備に向かいます。  開戦になった場合、幕府軍の主力となる薩摩藩に出兵の命を出しますが、薩摩藩は断固としてこれを拒否、もちろん、裏には薩長の密約があるからです。  そんな中で、晋作も兵装の準備を整えるために動きます。 ...続きを見る

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2013/05/23 21:34
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(226)雷電篇 維新へ(二)
  晋作が勝手にグラバーから軍艦を購入したころ、幕府と長州藩の交渉は大詰めを迎えていました。藩主父子の蟄居や10万石の減封、さらには晋作や木戸などのA級戦犯の引き渡しなどの条件が提示されていました。A級戦犯については脱走や死去などで、ごまかそうとしていた矢先、長州藩の交渉役だった正使の宍戸備後助と副使の小田村素太郎が、幕府に拘束されてしまいます。  彼らは名前を変えていましたが、二人とも幕府のブラックリストに載っていた人物だったのです。 ...続きを見る

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2013/05/22 21:40
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(225)雷電篇 維新へ(一)
 晋作は、表向きは上海へ渡ったことになっていましたが、長崎で春輔と合流し、イギリスへ渡ることになっていました。ところが党の晋作が、馬関にいるというのです。しかも戦艦を購入しているらしいのです。  薩摩藩との盟約により、どうやら幕府との全面対決の危機が遠のいていると判断されていたこの時期、実は晋作は戦争の準備をしていました。維新の始まりが近づいていましたが、晋作の人生も既に残り3ハロンを切っていました。 ...続きを見る

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2013/05/21 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(224)雷電篇 前夜(三)
 正妻のまさを家中において最も大事な琴にたとえ、御機嫌を取る晋作。うまくいったと思い、内心では愛人のおうのを便利に持ち運びができる、三味線に例えて、一人悦に入る始末...しかし、まさには夫が愛人の存在をうまくごまかしていることがわかっていました。女心は一筋縄ではいきません。  続いて晋作、伊藤春輔とイギリス留学をするので、息子や父母のことをよろしく頼むと、手をついて頼みます。これでまさを再び、萩に戻すことに成功しました。 ...続きを見る

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2013/05/20 21:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(223)雷電篇 前夜(二)
 正妻と愛人が鉢合せをするという、ある意味男の本懐、いや、修羅場に遭遇している晋作を、伊藤春輔と井上聞多は面白おかしく、噂をしています。「人の不幸は蜜の味」です。  一方の晋作、愛人の存在がばれてしまっていますが、「お前だけが大事な愛する女だ」と、必死に言い訳をします。男の言い訳は、幕末も現在もさほど変わりません。 ...続きを見る

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2013/05/19 13:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(222)雷電篇 前夜(一)
 長州藩と幕府の関係は一触即発の状態にもかかわらず、奇妙な静けさがありました。そんな中で、晋作の悩みは家庭問題。なんと、正妻・まさが、晋作の母・道と長男・梅之進とともに、馬関にやってくるというのです。  馬関で晋作は別の女と暮らしています。正妻と愛人が鉢合わせという、修羅場が予想されます。愛人に暮らしが経つようにしてやる金もありません。困った晋作、今や長州藩、1となった木戸に泣きつきます。 ...続きを見る

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2013/05/18 14:57
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(221)雷電篇 回天(十)
 二回目の征長戦が武力衝突にするのか、和平に持っていくつもりなのか幕府の態度は煮え切りません。ここに西郷は幕府の衰えをはっきりと自覚しました。  一方晋作も、藩主に対し戦端を開くことを主張します。晋作もまた、幕府の衰えを感じ、勝機を見出していました。 ...続きを見る

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2013/05/17 22:57
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(220)雷電篇 回天(九)
 「薩長同盟」の交渉は、木戸の武士の一分をかけたプライドから、一時暗礁に乗り上げます。しかしそのプライド、決して偏狭なものではなく、たとえ長州藩がほろんでも、薩摩藩に勤皇の志を託すという、真摯なものでした。これに龍馬が感動し、西郷を説得、ついに「薩長同盟」が成立します。  「薩長同盟」は会津藩と桑名藩(藩主は会津藩主松平容保の兄)、一橋慶喜を当面の敵としたもので、討幕まで踏み込んだものではありませ。しかしその後の薩摩藩の行動は、明らかに反幕府であり、既に西郷らは幕府を見限っていたと... ...続きを見る

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2013/05/16 21:32
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(219)雷電篇 回天(八)
 父・小忠太は晋作に対し、高杉家の長男としてではなく、新たに起こした谷家の当主として接します。しかし子を思う親の情、谷家の、いや晋作の行く末を心配し、親子の縁は切れないことを静かに説くのでした。心打たれる晋作....  なお、女を連れて温泉に行ってたこともバレてました。^_^; ...続きを見る

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2013/05/15 21:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(218)雷電篇 回天(七)
 晋作らはついに、木戸の説得に成功、木戸を筆頭とした特使団が京へ向けて出立しました。仲介役の龍馬も、また京へ向かいました。  龍馬を送り出すためのささやかな宴席を張った晋作の心は揺れ惑っています。晋作の心ははっきりと開国に傾いているのですが、同志たちは今だ攘夷、鎖国主義者だからでした。  そんな晋作、久ぶりに父の元を尋ねました。入獄以来、育み扱いの身になっていた晋作、父・小忠太はめっきり老け込んでいました。 ...続きを見る

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2013/05/14 21:40
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(217)雷電篇 回天(六)
 九州における薩摩藩の有力な同盟候補は、福岡藩でした。しかし幕府はそれを嫌っていました。その福岡藩では、勤皇派が退けられ佐幕派が実権を握ります。  さらに、せっかく西郷が苦労して作り上げた幕府と長州藩の和平の枠組みを、壊し、再度の征長を決めてしまうに至り、薩摩藩は孤立します。  晋作は薩長同盟に慎重な木戸(桂小五郎)に対し、京で西郷と会うよう必死に説得をします。 ...続きを見る

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2013/05/13 21:16
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(216)雷電篇 回天(五)
 晋作の別名、谷梅之助から話を展開し始めた龍馬、西郷を雪中でも凛として目立つ紅梅にたとえます。そして自らはせいぜい目立たぬ白梅であろうと...しかし目立たぬとも、後世で一人でもその価値を認めてくれれば満足と、明るく笑います。  私心のないその態度に、晋作はかつて上海で買い求めたピストルを龍馬に進呈、長州藩と薩摩藩の仲介を改めて頼むのでした。  それにしても坂本龍馬というのは、人を魅了する説得力というのは超一流です。口先がうまいなどというのではなく、私心がないのが相手にも伝わるので... ...続きを見る

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2013/05/12 14:18
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(215)雷電篇 回天(四)
 薩長会談を西郷の都合でキャンセルされた晋作は、これまで何かと気に食わなかった仲介者の坂本龍馬に、怒りの矛先を向けます。  晋作の怒りに理解を示しつつも、再度の長州征伐に向けて風雲急を告げる京へ行く必要があったことを、理を尽くして説明する龍馬。  しかし晋作の怒りは収まりません。そんな晋作に変化が現われたのは、龍馬が、高杉晋作を谷梅之助と改名した名前の由来に触れた時のことでした。 ...続きを見る

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2013/05/11 17:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(214)雷電篇 回天(三)
  暗殺から逃れるために芸妓おうの連れて、道後温泉にしけこんだ晋作でしたが、桂が藩政の中心に復帰すると、あっさり馬関に戻ります。もちろん女連れて....  しかし長州藩に、再び危機が迫ります。せっかく落としどころを作ったのに、見事に袖にされた幕府、再度長州征伐をしないわけにはいきません。  復帰した桂は、軍の近代化と犬猿の仲である薩摩藩との和睦を模索します。仲介したのは坂本龍馬と中岡慎太郎でした。後に薩長同盟が実現する第一歩は西郷との会談でしたが、西郷がドタキャン。気の短い晋作は... ...続きを見る

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2013/05/10 22:29
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(213)雷電篇 回天(二)
 晋作の連れていた芸妓、源氏名を「此の糸」と申します。「此の糸」とは、紫という字を上下に分割して読んだもの、最高の位を象徴する色『紫』を粋に読んだものですが、これが晋作には気に入りません。  九州地方の方言で牝牛を意味する、『おうの』と名付けました。他人の名前を強引に変えてしまうのは晋作の悪い癖、昔、伊藤利助を春輔と変えさせたこともありました。  ところで、「紫」を「此の糸」と呼ぶ表現、何かいいです。いつか、Twitterで使ったろ... ...続きを見る

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2013/05/09 21:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(212)雷電篇 回天(一)
 瓢箪から駒、晋作と春輔は反政府からの許可を得て、イギリスへ留学しようとします。しかし、時勢がそれを許しませんでした。  長崎のグラバーに相談すると、留学なんぞに現を抜かすよりも、馬関を開港して幕府とは別に、独自の富国強兵策を取れと言うのです。  目から鱗、早速晋作、春輔、聞多の三人は「外国応接掛」として馬関開港の実現に動きはじめます。しかし、そううまく物事は進みません。馬関開港によって権益を失う、支藩の長府・清末藩が反対します。さらには過激派攘夷志士にも命を狙われ始めます。 ... ...続きを見る

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2013/05/08 21:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(211)雷電篇 駭然(七)
 海外への渡航を密かに夢見ていた晋作、そこを思い出した春輔は、なおも必要に説得を続けます。その話を止めさせようとした矢先、同行してきた佐世八十郎なる人物が口を開きます。  佐世は晋作より5歳年長の佐世は松門同期生。優れた人物でしたが、外国嫌いの国粋主義者でした。その佐世が晋作の希望を叶えるために藩にかけあうというのです。 ...続きを見る

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2013/05/06 14:05
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(210)雷電篇 駭然(六)
 クーデター成功の最大の功労者晋作は、しかし、藩政に復帰しようとはしませんでした。それを翻意させる重責を担わされたのが伊藤春輔です。  かたくななまでに引退を主張する晋作、春輔は苦し紛れにイギリス行を提案します。 ...続きを見る

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2013/05/05 23:19
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(209)雷電篇 駭然(五)
 守旧派は反撃を試みますが、あえなく挫折、領袖の椋梨藤太は捕まります。なおこの椋梨という珍しい姓ですが、NHKの大河ドラマ「毛利元就」で、元就が結果的に乗っ取る、沼田小早川氏の重臣に椋梨景勝(舟木一夫)というのがいたので、かなりの名門であることが伺えます。  こうして藩論は「武備恭順論」で統一され、やがて討幕論へ発展していきます。 ...続きを見る

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2013/05/04 17:32
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(208)雷電篇 駭然(四)
  萩に向かって空砲をぶっぱなした晋作、狙いどおり守旧派はビビり何もできません。この機の乗じて、改革派内の生き残った穏健派が朝廷に動き出しました。  藩主・毛利敬親は、守旧派を解任します。またまた、コロコロ変わる藩主ですが、見限らないところが晋作たちの偉いところです。 ...続きを見る

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2013/05/03 22:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(207)雷電篇 駭然(三)
 晋作が閃いた手とは、奪った3隻の軍艦の使い道でした。すでに制海権を掌握している晋作たち反乱軍は、海上から萩を攻略しようというものです。地上戦では圧倒的に数的不利がありますが、迎え撃つ軍艦のない正規軍に対して、海上戦では圧倒的に有利なのです。 ...続きを見る

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2013/05/02 22:24
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(206)雷電篇 駭然(二)
 序盤戦を連戦連勝で飾った反乱軍、今後の戦略について軍議を開きます。このまま一気に、守旧派の牙城である萩に攻め込もうとする晋作。それに対して、後から加わってきた奇兵隊の山県は、山口を攻略中の井上と合流し、兵装を整えて、進撃すべしと説きます。  晋作と山県の意見は対立、晋作は激昂しますが、なぜか矛を収めます。いつもの晋作らしからぬ態度に、伊藤春輔はその訳を尋ねました。するとどうやら何か戦略を思いついたようです。  それにしてもこの内紛劇の中で、毛利父子のリーダーシップが全く見えませ... ...続きを見る

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2013/05/01 21:03
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(205)雷電篇 駭然(一)
 幕府と長州藩との和睦の議が整わないにもかかわらず、征長軍は撤退を完了してしまいます。わずか100名あまりで挙兵した晋作には、明らかに天運が見方を始めました。  挙兵から約1か月後、内乱状態の長州藩では徐々に晋作に同調するものが増えてきました。山県率いる奇兵隊は、藩政府軍を撃退します。軟禁状態の井上は脱出に成功し、山口を攻めます。 ...続きを見る

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2013/04/30 13:51
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(204)雷電篇 一擲(八)
 挙兵した晋作を鎮圧できない長州藩守旧派は、謹慎中の改革派を斬首に処します。これを聞いた西郷、自らの描いた和平へのプロセスが瓦解したことにひどく落胆し、征長軍は解兵になりました。 ...続きを見る

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2013/04/29 14:50
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(203)雷電篇 一擲(七)
 死を覚悟し、悲壮な決意の遺書を認めた晋作でしたが、馬関の藩支所では、差したる抵抗もなく、あっさりとこれを占拠します。  さらに、決死隊を率いて藩船に乗り込むと、これも無血で奪うことに成功しました。天運は晋作に傾き始めていました。制海権を抑えた晋作の快進撃の始まりです。 ...続きを見る

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2013/04/28 13:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(202)雷電篇 一擲(六)
  決起した高杉軍は、総勢約100名、その中には禁を犯して、馳せ参じた力士隊の面々も含まれていました。  雪中、その行軍はまさに妖気漂う凄絶なもの、その前に一人の男が歩み出て最後の説得をしました。奇兵隊の中で、晋作に心酔していた福田良助です。必死に止める良助に、少し躊躇する晋作でしたが、踵を返すと、豪快に笑い飛ばし、闇に消えて行きました。 ...続きを見る

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2013/04/27 22:37
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(201)雷電篇 一擲(五)
 晋作は、三条実美ら「五卿」に決起の決意を表明、別れの盃を交わします。三条は晋作の決起に自重を促しますが、聞き入れられるはずもありません。鬼気迫るオーラを放ちながら、盃を一気に飲み乾し、啖呵を切ります。 ...続きを見る

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2013/04/26 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(200)雷電篇 一擲(四)
 伊藤春輔は自らが率いる力士隊を引き連れて合流するつもりでした。晋作との再会が終わった後、力士隊を連れに戻るのですが、同宿していた御楯隊(約280人)総督、大田市之進の妨害に会い、力士隊を連れ帰ることができません。 大田は挙兵派でしたが、切り崩されたようです。しかたなく、一人晋作の元に戻った春輔。しかし、晋作は気落ちするどころか、かえってテンションをあげます。 ...続きを見る

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2013/04/25 22:20
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(199)雷電篇 一擲(三)
 元治(げんじ)元(1864)年12月12日、決起に同調しない奇兵隊を後に、晋作は馬関へと出発しました。  馬関で、晋作は伊藤春輔と会います。遊撃隊の参加しか見込めない決起に、俊輔は同調、参戦を決意いします。 ...続きを見る

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2013/04/24 21:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(198)雷電篇 一擲(二)
  決起に対し、自重を促す奇兵隊の面々。晋作はついに切れます。そして放った言葉は、自重派の中心人物、赤根武人の門地に対する差別的発言でした。  孤立する晋作。普通であれば、こんな状態では決起などうまくいくはずがありません。それでも決起にこだわるのは、もののふとしての本能的な読みがあったのかもしれません。 *もののふと言っても、ももクロとは関係ありません。 ...続きを見る

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2013/04/23 23:34
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(197)雷電篇 一擲(一)
 クーデターを計画する晋作、しかし協力を申し出たのは、遊撃隊などのごく少数、晋作の創設した奇兵隊は、元総督、赤根武人の画策などにより、決起に加わりません。  赤根は松門出身、松陰の信頼も厚かった人物です。その赤根がよりによって、協力を拒否するのですから、晋作の怒りもすさまじいものがありました。 ...続きを見る

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2013/04/22 21:10
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(196)雷電篇 西郷(九)
  抵抗を試みようとする奇兵隊など諸隊も、西郷奈江戸の努力で次第に恭順へと傾いていきます。  落としどころをきちんと描き、そこへもっていくための周到な調整は卓越した能力も然ることながら、人間的な器の大きさも必要です。sぁ位郷隆盛とはそういう人物でした。  ところがそういうシナリオをぶち壊す人物もいます。高杉晋作、功山寺挙兵をもって守旧派を一掃し、回天の義挙を成し遂げます。 ...続きを見る

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2013/04/21 16:18
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(195)雷電篇 西郷(八)
 寛大ともいえる講和条件の中で、改革派が折り合えないのは「八月十八日の政変」で京を追われた、公卿の移送問題です。これを解決するため、西郷は直接交渉のため、馬関に赴き、晋作と対面します。 ...続きを見る

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2013/04/20 14:52
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(194)雷電篇 西郷(七)
 なるべくことを穏便に済まそうとする西郷、藩主父子の処罰や領地の減封はもとより考えていませんでした。しかし、西郷と言えば「蛤御門の変」で長州藩を撃退した司令官、恨みは募っています。直接、反守旧派と談判しようとする西郷ですが、困難を極めることは火を見るより明らかでした。  そんななか、晋作は馬関に戻ってきました。して、驚くことに、西郷と会っていたという証言が飛び出します。 ...続きを見る

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2013/04/19 22:24
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(193)雷電篇 西郷(六)
 長州藩の実権を握った守旧派は、ひたすら幕府への恭順を示します。武装解除だけでなく、藩主の命を差し出すのも厭わないその姿勢に、改革派以外の連中もさすがに反対します。  ポツダム宣言の受諾に関して、国体護持にこだわり抜いたのとはえらい違いです。 ...続きを見る

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2013/04/18 21:57
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(192)雷電篇 西郷(五)
 福岡に逃れた晋作、隠れ家は野村望東尼の庵でした。改革派3家老や4参謀が処刑されたという手紙を受け取ると、はらはらと落涙、萩に戻り、事を構える決意をします。  しかも、今回は死ぬことを覚悟の上でした。 ...続きを見る

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2013/04/17 21:45
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(191)雷電篇 西郷(四)
 西郷は長州藩活かすことを模索し始めます。そのためには、無条件で恭順を唱える守旧派(西郷に言わせれば正義派)は、利用価値があります。  関係者の処分で落としどころを考える西郷の元に、3家老の首が届きました。  この事実、晋作の耳にも当然入ります。功山寺挙兵はもうすぐです。 ...続きを見る

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2013/04/16 22:04
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(190)雷電篇 西郷(三)
 征長軍参謀に任命された西郷は、当初、長州藩に対して厳しい姿勢で臨もうとしていました。しかし、それは幕府の勝海舟と会見したことで、変わります。幕吏でありながら勝は、徳川幕藩体制という枠を超え、オールジャパン対諸外国という概念に到達していました。  西郷は緩和策に転じ、後の薩長同盟へとつながっていきます。 ...続きを見る

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2013/04/14 15:51
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(189)雷電篇 西郷(二)
 「谷梅之助」と名前を変えた晋作は、九州へと逃げ延びます。その血で、福岡・佐賀・対馬の3藩による連携を実現させ、捲土重来を期そうとしますが、うまくいくはずもありません。  その頃幕府の長州征伐の軍がようやく整います。征長総督は元尾張藩主の徳川慶勝、そして慶勝が参謀として選んだのが、西郷隆盛でした。 ...続きを見る

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2013/04/13 14:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(188)雷電編 西郷(一)
 守旧派からの追及を逃れるため、西へ落ち延びる晋作。途中、切り殺されかけた井上聞多を見舞った後、奇兵隊陣所にあらわれます。創設者の晋介が解任された後を守っているのが、山県狂介(有朋)でした。山県は、晋作にともに再起を図ろうと勧めますが、晋作はさらに西へ向かいます。  作者は、この時のことが後の晋作と山県、そして奇兵隊の関係に微妙な影をおとす、としています。おそらく、功山寺挙兵のことを指すと思われます。晋作が功山寺で守旧派に対するクーデーターを計画した時、山県と奇兵隊は、最初は洞が峠... ...続きを見る

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2013/04/12 23:02
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(187)疾風篇 怒濤(五)
消えてゆく命と生まれいずる命、周布政之助は死に、一方晋作は人の親となりました。  長州藩の政治情勢は風雲急を告げています。改革派は一掃され、守旧派が台頭、政治の中心地が山口から萩に戻ります。毛利父子もはや傀儡です。  ひたすら幕府に恭順の姿勢を取る守旧派、改革派の粛清はおろか、情勢によっては毛利父子の首を差し出すことにもなりかねません。  目の前にある細やかな幸せ、妻子との暮らしを、家を、両親を捨て、晋作は火中に飛び込みます。 ...続きを見る

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2013/04/11 21:38
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(186)疾風篇 怒濤(四)
 蛤御門の変を阻止することができなかったことに責任を感じる周布政之助。台頭する守旧派に、精神的に追い詰められ、ついに自刃してしまいました。残る改革派も、井上が刺客に襲われ、改革派家老たちも解任されます。ここにおいても、やはり藩主がだらしないと言えばだらしないです。自分の真意があるならはっきりと、言うべきなのに、密かに改革派をたきつけ、失敗すると知らん顔で、守旧派の言いなりになります。  そんな中、晋作はパパになりました。 ...続きを見る

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2013/04/10 21:04
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(185)疾風篇 怒濤(三)
 朝敵となった長州藩に幕府軍が、やってきます。それへの対応をめぐって、またしても守旧派の「一意恭順」と、改革派の「武備恭順」が対立します。ポツダム宣言を無条件で受け入れるか、条件を付けて受け入れるかの対立のようなもんです。  藩主父子の真意を受けた井上聞多、守旧派を論破し、ついでにクーデターを起こして、守旧派を一掃しようとしたのですが、逆に刺客に襲われ重傷を負います。そんな中で、晋作たちの先輩で、改革派の中心人物だった周布政之助が、守旧派の圧迫に耐えかねて、自害してしまいます。 ...続きを見る

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2013/04/09 21:42
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(184)疾風篇 怒濤(二)
 晋作は、藩の中枢、政務座役に復帰しましたが、改革派は壊滅状態、守旧派が猛烈な巻き返しを図ります。晋作自身、命を狙われていると直感していました。そんな中で、井上聞多が襲われました。 ...続きを見る

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2013/04/08 21:23
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(183)疾風篇 怒濤(どとう)(一)
 「幕府の命令で行ったことであり、長州藩の単独責任ではない」、晋作の主張がとおり、賠償金交渉は幕府を交えて、江戸で行うこととなりました。なお、この時の賠償金、最終的には明治政府が支払うこととなります。  伊藤春輔は追加交渉に当たるため江戸へ、晋作は萩へと引き上げました。ところで、この交渉の中で租借地の件が議題に挙がっていたという話があったんですが、明日あたりで言及されるんでしょうか。 ...続きを見る

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2013/04/07 12:07
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(182)疾風篇 談判(九)
 四か国連合側と長州藩の最終交渉が始まりました。事実上の首席交渉官は晋作、さらに後から文句の出ないように、藩の重臣も加えました。  馬関海峡の自由通行や石炭・食料の売買などは問題なく妥結、法大の債券や新設などについても、長州側が譲歩しました。しかし、賠償金の問題では真っ向から対立します。300万ドルという、途方もない金額を吹っ掛けられ、到底払えるはずがありません。  ついに晋作は、幕府の命令に従った長州に賠償責任を負わせるなら、最後の一人になっても徹底抗戦をすると宣言をします。こ... ...続きを見る

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2013/04/06 14:29
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(181)疾風篇 談判(八)
 コロコロ変わる藩の長老たちへの、聞多の怒りは頂点に達しています。さらにその怒りは、毛利定広にも向かいました。これには、黙って聞いていた晋作も、さすがに諌めます。  やがて晋作は、傍らにいる伊藤春輔に声を掛けました。「では、ゆくとするか、春輔」.... ...続きを見る

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2013/04/05 22:45
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(180)疾風篇 談判(七)
 イギリスに足元を見られた長州の交渉人たち、賠償金を支払うことに同意してしまいます。後に、その金額は300万ドルという巨額の請求になります。  危機感を抱いた井上は、晋作と春輔に再度交渉に臨むよう説得を始めました。 ...続きを見る

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2013/04/04 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(179)疾風篇 談判(六)
 交渉役に晋作がいないことから、連合国側は長州藩の足元を見ます。その結果、賠償金の支払い要求をあっさりと承諾させてしまいました。  これには通訳として同行していた、井上があわてます。潜伏している、晋作と春輔の元に駆けつけました。 ...続きを見る

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2013/04/03 21:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(178)疾風篇 談判(五)
 四か国連合と交渉する晋作と春輔は、過激攘夷派から世子をたぶらかし、和議を進める売国奴呼ばわりされ、命を狙われました。晋作に交渉を任せた藩の重役も、これにビビり黙認する始末です。  辛くも脱出した二人、想いはすでに海外へと雄飛しています。  第二回目の交渉は、晋作が急病と称して外れました。春輔もいません。通訳の井上聞多は、密かにほくそえんでいました。 ...続きを見る

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2013/04/02 20:33
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(177)疾風篇 談判(四)
 ニセモノの家老に仕立て上げられて、外国と交渉する晋作は、一回だけで嫌になり、投げ出そうとします。しかし、それを必死に押しとどめる春輔。彼には、晋作でなければ長州藩は救えないという確信がありました。  そんな時、船木代官の久保清太郎が驚くべき情報をもたらします。なんと、晋作や春輔を暗殺しようという輩がいるというのです。久保は200両を用意して、高飛びを勧めます。 ...続きを見る

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2013/04/01 22:05
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(176)疾風篇 談判(三)
 晋作を正使とした四か国連合艦隊との交渉が始まりました。伊藤春輔は通訳です。初日の交渉は、相手方の要求がどれも受け入れるものばかりなので、スムーズに行きました。  賠償や領土割譲などの要求を覚悟していた晋作にとって、安堵できる内容でしたが、そう簡単に行くはずがありません。 ...続きを見る

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2013/03/31 14:08
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(175)疾風篇 談判(二)
 蟄居謹慎処分を解かれた晋作は、山口随一の醤油(しょうゆ)製造業、萬代家の離れである十朋亭で伊藤春輔と再会しました。そして再会の喜びを味わう間もなく、四か国連合艦隊に蹂躙された馬関へと向かいます。  馬関で、連合艦隊の旗艦・ユーライアラス(英)へと向かいます。7日前まで罪人であった晋作は、今長州藩の命運を担う役目を背負っていることの不思議さを思い、感慨にふけっていましたが、その視線の先には、ユーライアラス艦上に先乗りしている春輔の姿がありました。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

2013/03/30 16:55
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(173)疾風篇 国破(十)
 内外に敵を抱えることになった長州藩、苦し紛れの策は、四か国連合となんとか和睦することでしたが、謝罪も賠償も話題にしないというもの。これでは交渉が成立するはずもありませんが、交渉に行こうとした目の前で、砲撃が始まってしまいました。開戦です。  予想に反し、長州軍は奇兵隊などの非正規軍や、支藩の藩兵が善戦します。しかしも毛利家本隊のヘタレっぷりが仇となり、4日間で終戦となりました。 ...続きを見る

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2013/03/28 21:39
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(172)疾風篇 国破(九)
 朝敵となり、そのうえ外国からも攻撃を受けようとしている長州藩は、まさに四面楚歌の状態です。急遽御前会議を開き、打開策を協議し始めました。  井上は、伊藤とともに以前講和を強く主張したにもかかわらず、それが押し切られたの踏まえ、国が無くなろうがどうなろうが、前言どおりに徹底抗戦しろと、怒りまくって発言しました。  結局、井上と伊藤を何とか説き伏せて、四か国艦隊と交渉させることとしました。  その一方で、京都進撃の急先鋒だった藩の幹部を次々と解任していきます。それにしても毛利公、... ...続きを見る

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2013/03/27 22:08
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(171)疾風篇 国破(八)
 イギリスを中心とした四カ国連合艦隊は姫島(ひめしま)に集結しました。この10日ほど前、自宅の座敷牢に幽閉されている晋作の元を一人の男が訪ねてきました。井上聞多です。井上は、伊藤春輔とともにイギリス留学から帰国、イギリスが報復攻撃を企てている情報を掴むと、和平交渉をしようとしましたが、決裂していました。  井上は国家の一大事が迫っていることを危惧、晋作への目通りを、父・小忠太に懇願しますが、犯罪人に合わすわけにはいかないと、拒否されます。さらに、井上を置いて、さっさと外出してしまい... ...続きを見る

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2013/03/26 22:14
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(170)疾風篇 国破(七)
 朝廷は、一橋慶喜に長州藩追討の命をくだしました。慶喜は自ら長州に攻め込むつもりでいました、ここで幕府から待ったがかかってしまいます。慶喜は14代将軍の座を家茂と争った身、幕閣は反一橋派です。慶喜に手柄をあげさせることに反対でした。長州藩にとっては好都合、長州征伐は大きく遅れることとなりました。  しかし、別の難題が待っていました。英米仏蘭の四カ国連合艦隊が長州に攻め込んできたのです。いよいよ晋作の出番がやってきます。 ...続きを見る

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2013/03/25 22:49
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(169)疾風篇 国破(六)
 鷹司邸に会津や薩摩の兵が殺到し始めました。玄瑞は己の行動の非を詫びながら、思いを晋作に託し、自害します。久坂玄瑞・享年24歳、余りにも若過ぎる死です。  時代の大きなうねりの中で、失なわれなくてもよい命が次々と消えていきました。いったん動き出した時流は、誰にも押しとどめることができません。思えば吉田松陰、久坂らが目の敵にした長井雅楽、佐久間象山など時代を変革していこうとして倒れた人々は、時の流れがもう少し緩やかであったなら死なずに済んだはずです。  堀内孝雄の『愛しき日々』はT... ...続きを見る

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2013/03/24 12:01
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(168)疾風篇 国破(五)
 鷹司邸に逃げ込んだ長州勢、会津、薩摩など諸藩が取り囲み責め立てます。久坂玄瑞も負傷して邸内にいました。  玄瑞は、軍事行動が軽挙妄動であったことを悔やみます。死を覚悟し、周りの隊士に落ち延びることを勧めます。松下村塾以来の同志をたくさん死なせてしまった責任を痛感、師・松陰に詫びる言葉もありません。  そんな中で、村塾以来の同志、寺島忠三郎は今回の戦闘に参加していない、晋作の名を口にします。謹慎中の晋作こそ、希望の光でした。 ...続きを見る

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2013/03/23 14:36
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(167)疾風篇 国破(四)
 幕府に「長州軍征伐」の勅命が下りました。今や長州藩は、朝敵です。  ついに武力衝突が始まりました。長州軍は、伏見、嵯峨、山崎の3方から御所へ向かって進軍を開始します。伏見方面の福原軍は撃退されましたが、来島が指揮する遊撃隊は、嵯峨から宿敵会津藩の守る蛤御門を激しく攻め立てます。会津藩は押し込まれますが、ここで薩摩藩が救援に駆けつけ形勢が逆転します。  薩摩の援軍にも善戦したものの、総大将の来島が狙撃されて絶命、長州軍は総崩れになり、鷹司邸に逃げ込みます。 【ファインモー... ...続きを見る

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2013/03/22 21:57
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(166)疾風篇 国破(三)
 長州軍は、石清水八幡宮の本営で軍議を開きました。すぐに進軍せよと言う来島に対して、玄瑞は毛利定広の到着まで待機することを主張します。しかし、このような状況の場合、得てして威勢の良い議論が勝つのは、古今東西を通じて変わりません。もはや引きに引けぬ状況に追い込まれた長州軍、最後に決定づけたのは過激派神官の真木和泉でした。 ...続きを見る

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2013/03/21 21:11
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(165)疾風篇 国破(二)
 2度の退去勧告に応じなかった長州勢、その返事の代わりに、開国派の佐久間象山が攘夷派浪士に暗殺されます。象山は吉田松陰の師筋に当たるにもかかわらずです。  さらに毛利定広の率いる軍勢も近づきつつあります。朝廷には、長州藩への処分を解くという妥協案が論議され始めますが、武力の威嚇に喫することになるため、一橋慶喜が断固拒否、薩摩藩の西郷たちもこれを支持します。事態は長州征伐に傾きはじめます。 ...続きを見る

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2013/03/20 22:38
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(164)疾風篇 国破(一)
 風雲急を告げる京の情勢。藩主父子と急進派公家の名誉回復を朝廷に訴えるとする長州藩は、進軍を開始しました。平安末期の僧兵による強訴みたいなもんです。  一方朝廷は、一橋慶喜をして、撤収を命じます。さらに、幕命により京都を死守するために近隣の諸藩にも動員がかかりました。情勢は、長州藩にとって不利な状況です。桂や久坂たちは、いったん兵を引き、毛利定広の到着を待って再度上洛するという案を出しましますが、来島や真木和泉たちが承知しません。いったん燃え上がった炎は、容易には消えないのです。 ... ...続きを見る

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2013/03/19 23:28
【高杉晋作伝】〜関厚夫(163)疾風篇 入牢(七)
 三年の予定の晋作の入牢は、二か月と少々で終了、生家へのお預けと変わりました。事実上の放免です。しかし、父・小忠太はあくまでも晋作を重罪人として扱います。奥座敷に座敷牢を設け、その中に晋作を閉じ込めると、家人にも近づかないように厳命します。  妻・まさは、小忠太の外出時の隙を見計らって、晋作の世話をしていましたが、そのうち小忠太の外出がやけに多いのに気がつきます。 ...続きを見る

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2013/03/18 20:42
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(162)疾風篇 入牢(六)
 井上聞多や伊藤春輔の話に理があることを、藩主父子は理解していました。しかし、攘夷の先頭に立っていた長州藩が、いまさらそれをひっこめるわけにはいきません。頭じゃわかっているがやめられない状態です。  英国帰りの二人が、西洋の優れた技術をいくら説明しても、誰も信じません。スタートレックの世界の話を、本当のことと信じる人がいないのと同じです。  そうしている間にも、京へは続々と兵が出発していきます。さすがに両面戦争は無理と判断した藩は、井上と伊藤を二人が乗船してきたイギリスの軍艦に派... ...続きを見る

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2013/03/17 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(161)疾風篇 入牢(五)
 もはや歯止めが効かなくなりました。来島以下400名の遊撃軍が京へ出立すると、翌日には永代家老・福原越後に率いられた一隊300名、さらには玄瑞や真木和泉に率いられた諸隊、300名が続々と進軍を開始しました。  京の町は、騒然とした様相を呈し、会津・桑名藩などにも緊張が走ります。  その頃、山口にはイギリス留学中の井上聞多と伊藤春輔が、欧米各国による、下関戦争などの報復が近いことを知らせてきます。欧米の国力の大きさを身をもって知った両名にとって、京へ進撃するなどは、愚の骨頂、開国し... ...続きを見る

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2013/03/16 13:34
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(160)疾風篇 入牢(四)
 真相は定かではありませんが、周布政之助は獄に繋がれている晋作の元を、酩酊して訪れたことを過激派に突かれて、半ば失脚状態になります。一方、来島を抑えるべく京に向かった久坂は、後発の脱藩浪士に突き上げられ、ついに進撃へと転向します。もちろん、公武合体派の島津久光や松平春嶽らが帰国するという間隙を突こうという、作戦があったうえでのことですが、祭り上げられて暴走するという、自分でも自覚しているパターンに見事にはまってしまいます。  さらに「池田屋事件」が追い打ちをかけました。会津藩支配の... ...続きを見る

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2013/03/15 21:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(159)疾風篇 入牢(三)
 入牢中の晋作を励ましにやって来た男がいました。あえて晋作は、名前もわからぬ者としていますが、その人物は周布政之助でした。  周布は落ち込む晋作に、三年間学問をして養生せよと激励します。  晋作は心から感謝しますが、時代は三年間も晋作を放っておくことはありませんでした。 ...続きを見る

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2013/03/14 21:18
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(158)疾風篇 入牢(二)
 野山獄に投獄された晋作。ここは昔、師・松陰も繋がれた獄です。晋作はひたすら、漢詩作りと読書に励みます。 ...続きを見る

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2013/03/13 21:38
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(157)疾風篇 入牢(一)
 玄瑞は山口に帰ると京の情勢を報告、その結果、京への進撃は延期となりました。玄瑞は折り返し、来島らを京に連れていきます。直に、政治情勢を見せるためでしたが、藩命なしにこれに追随した過激派分子が50名ほどいました。事実上の大量脱藩です。  一方これと入れ替わりに山口の戻った晋作は、脱藩の罪(藩命もなしに京へ行ったこと)以外にも、あることないこと罪状が並べ立てられ、入獄させられてしまいます。予想外の厳罰は、藩内でそれだけ晋作が恨みを買っていた証拠でした。 ...続きを見る

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2013/03/12 21:35
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(156)奇妙篇 意外(六)
 本人に自覚はないのですが、どうやら罪人らしい晋作は、玄瑞に気を使い、一緒には帰国できないと言います。  その玄瑞、「八月十四日の政変」を招いた責任が、自分たちの計画した「大和行幸」であったことを、深く反省しておりました。晋作は単騎で暴発しようとするのに対して、玄瑞は大勢の仲間に祭り上げられて暴発してしまう、気がついたときには身動きが取れなくなっていると、冷静に分析します。  後戻りができず、自滅する「禁門の変」はもうすぐです。 ...続きを見る

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2013/03/11 21:32
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(155)奇妙篇 意外(五)
 中岡慎太郎の誘いに乗り、島津久光の暗殺を決意した晋作でしたが、玄瑞に察知されてしまいます。薩摩と事を構えて、これ以上敵を増やすべきではないと、どこかで聞いたことのある説得をする玄瑞。しかも、当の中岡慎太郎の説得まで済ませていました。  長州へ一緒に帰国するよう言う玄瑞に、ついに晋作も折れます。 ...続きを見る

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2013/03/10 16:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(154)奇妙篇 意外(四)
 今や嫌われ者になってしまった晋作、うじうじとしておりました。しかし、世子・毛利定広は志が遂げられたら、一刻も早く帰国してほしいと、やさしい言葉を投げかけます。  そんな時、土佐藩の浪士が薩摩の島津久光を暗殺しようと持ち掛けてきました。土佐藩の土佐勤皇党は、「八月十四日の政変」の折、壊滅状態になっていました。公武合体派の久光は敵も同じです。持ちかけた浪士の名は中岡慎太郎、「近江屋事件」で坂本龍馬とともに命を落とした人物です。  山口に戻っても、これだけ嫌われていては展望も開けない... ...続きを見る

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2013/03/09 23:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(153)奇妙篇 意外(三)
 晋作は結局、京へ残ることにしました。薩摩や会津、朝廷の動静などを探る必要があったからです。  ところが、長州藩邸での同僚の態度がよくありません。晋作をシカトします。後から分かったことですが、晋作が京へ去った後、遊撃隊の隊士が晋作を誹謗中傷していたのでした。京へ行ったことは「脱藩」だというのです。しかしそうした中傷だけでなく、根底には異例の昇進を遂げた晋作への妬みがありました。 ...続きを見る

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2013/03/08 21:44
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(152)奇妙篇 意外(二)
 玄瑞の話は続きます。「八月十四日の政変」での七卿落ちとして知られる、急進派公家の長州への追放劇。長州藩ではその復権に全力を尽くそうとしているのですが、幕府や薩摩藩は罪人としての引き渡しを要求しているというのです。しかもそれに従わない時は、長州藩を朝敵と見なし征伐することを検討しているらしいとのこと。  これには晋作だけでなく、宍戸や入江ら年長の重鎮も驚きました。宍戸は即刻山口に帰り、説得をすると言い出します。しかし、晋作は..... ...続きを見る

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2013/03/07 22:02
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(151)奇妙篇 意外(一)
 京に入った晋作は、玄瑞から『京都進発』などできる情勢ではないことを聞かされます。理由は三つ。  第一に、孝明天皇は幕府とともに攘夷をすることを望んでおり、将軍・徳川家茂への信頼も厚い。長州藩が仕掛けている攘夷戦争は望んでいないこと。  第二に、長州と敵対している薩摩は、攘夷改革派の西郷隆盛の謹慎を解こうとしていること。西郷は敵にすれば怖いが味方に付ければ頼りになる存在である。  最後に、会津藩預かりの『新撰組』の存在が注意を要すること。  晋作はいまさらながら、玄瑞の情報収... ...続きを見る

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2013/03/06 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(150)奇妙篇 転々(九)
 そんなに進撃したいなら、自分のことを叩き斬っていけとブチ切れた晋作に、さしもの来島もたじろぎます。そして妥協案を提示、藩主と世子の前に二人で行き、白黒をつけてもらおうというのです。しかしそれならば結論は明白、進撃中止の沙汰が出るのはわかりきっています。それを承知の来島の提案は、いきり立つ隊士を抑えられるという計算が働いていました。  しかし晋作は、それじゃガキの使いだということでこれを拒否、今すぐ今日に出かけて行って、桂や久坂ら最新の情勢に詳しいものの意見を聞いて結論を出そうと言... ...続きを見る

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2013/03/05 21:13
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(149)奇妙篇 転々(八)
 このころの長州藩は守旧派と改革派の覇権争いだけでなく、改革派自体も来島の属する急進派と桂や晋作の属する穏健派に分かれていました。来島は、表番頭格で用談役(加判役(かはんやく)の参謀)の前田孫右衛門に晋作のことを、藩政を私する奸物として讒言していました。そのことを思い出した晋作、そう言えば盟友の桂さえもがこの頃は晋作のことをシカトしています。  晋作の胸の奥で何かがはじけました。 ...続きを見る

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2013/03/04 20:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(148)奇妙篇 転々(七)
  この時期、京へ進撃すればたちまちのうちに撃退され、朝敵となります。その上で征伐されるのは必定です。アホなことはやめろと言いたい晋作ですが、そんなことをいえば交渉は決裂してしまいます。  そもそもこの来島、胆力もあり、冷静沈着な判断ができる男でした。そのことをよく知っている晋作、狂っているとしか思えないその行動に、心を痛めます。 ...続きを見る

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2013/03/03 14:31
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(147)奇妙篇 転々(六)
 晋作の来島への説得は、既に四日めになりました。京への進撃を見合わせることは藩主の意向であることを説明しますが聞き入れられません。来島一人の存念ではなく、遊撃隊の総意であるというのです。  しかし、総意というのは眉唾物でした。遊撃隊の新参者である浮田某と高橋某が過激な論をぶち上げたところ、古参の隊士がそれに負けじと進撃論を迫ったというのが真相でした。 ...続きを見る

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2013/03/02 16:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(146)奇妙篇 転々(五)
 「八月十八日の政変」で朝廷を追われた長州藩、捲土重来を期し、晋作は「若殿様御上京御用掛」という要職に就任しました。しかし長州藩内部ではマグマが胎動を始めていました。  晋作が創設した「奇兵隊」と同じように、身分にとらわれない軍事組織、「遊撃軍」を組織した男がいました。来島又兵衛です。来島は元々は開国論者でしたが、ペリー来航の圧力の末の開港という現実を見て、攘夷論者に転向、さらに「八月十八日の政変」劇でついに暴走を始めました。  そんな来島の説得に向かったのが晋作でしたが、脱藩と... ...続きを見る

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2013/03/01 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(145)奇妙篇 転々(四)
 父・小忠太からは、改名の件について何の反応もありませんでした。今回の改名の件が藩主父子から出ているのは明らかでした。それは過分の申し出であり、これまで何かと問題を起こしてきた晋作にとっても、これ以上の話はありません。  高杉家から独立すれば、これまでよりも自由に行動ができ、万が一の時も迷惑がかかりません。しかし晋作はデンジャラスな男。父親としては野放図にさせることはできないのです。 ...続きを見る

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2013/02/28 20:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(144)奇妙篇 転々(三)
 晋作の父・小忠太はすでに隠居の身、父の役職は晋作が継いでいきました。そんな中で、晋作は改名を決意し、父に伺いを立てています。高杉晋作という名前は、既に幕府から目をつけられていました。 ...続きを見る

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2013/02/27 21:13
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(143)奇妙篇 転々(二)
  藩主親子の支持があることで、尊王攘夷派は巻き返しを図ります。久坂玄瑞や周布政之助は政務に復帰、反対に守旧派の坪井九右衛門は切腹させられます。毛利親子、自分で裁可せずに晋作たちにやらせる構図、はっきり言ってズルいです。最初からビッシと自分で決めていればこんな回りくどい、無駄なことをしないですむはずです。藩主がしっかりしないから、派閥抗争が起き、失われなくともいい命が消えていくんだと思います。  さて、晋作はと言えば、高杉家とは別に新たに家を興させ、召し抱えられます。側用人ともいえ... ...続きを見る

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2013/02/26 21:28
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(142)奇妙篇 転々(一)
  「八月十八日の政変」で京を追われた長州藩。藩内部では責任論が浮上します。攻めるは、これまで尊王攘夷派に押されっ放しだった、守旧派の椋梨藤太たち。周布政之助らの罷免を要求します。藩主・毛利慶親はこの要求を渋りますが、守旧派は強硬です。仕方なく要求をのみました。さらに「教法寺事件」を起こした奇兵隊へも、その矛先が向けられますが、何とか解散だけは回避できました。  落ち込む晋作の元に、世子・毛利定広から書状が届きます。そこには心ならずも、罷免を行わざるを得なかった事情が認められており... ...続きを見る

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2013/02/25 22:01
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(141)奇妙篇 混沌(十)
  「大和行幸」が単なる行幸だと考えていた孝明天皇は、行幸を討幕計画に利用としていることを知ります。元々公武合体の孝明天皇、会津藩はもちろん薩摩藩も公武合体です。そんな中で、長州藩のみが突出した動きをしていることに他藩が面白いはずがありません。「八月十八日の政変」は起こるべくして起こったものと言えます。  NHKの大河ドラマ「八重の桜」では、来週、この政変劇が放映されます。「八重の桜」は、尊王攘夷派=善、佐幕派=悪という勝者側から見たステレオタイプの価値観とは違った視点で描かれてお... ...続きを見る

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2013/02/24 20:49
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(140)奇妙篇 混沌(九)
  「八月十八日の政変」は、晋作の元にも届きました。玄瑞たちの行動を軽挙だと思う晋作でしたが、自身の奇兵隊も存亡の危機です。  このころ長州藩は、馬関海峡の対岸の小倉藩とももめ事を起こしておりました。世子・毛利定広は、今はじっと耐え時期を待つとの決意を認めた書状を晋作の元に届けます。晋作は京へ上り反撃せよという、奇兵隊内の強硬論を抑えにかかります。 ...続きを見る

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2013/02/23 22:31
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(139)奇妙篇 混沌(八)
  実質の討幕計画であった「大和行幸」を阻止するため、会津藩や薩摩藩の逆襲が始まりました。  八月十八日の深夜から御所へ通じる門は、全て会津藩や薩摩藩などで固められていました。堺町御門を守る予定の長州藩の前には薩摩藩兵がいます。長州藩は勅諚(ちょくじょう)(天皇のみことのり)を盾に長州藩を追い返しました。  しかたなく鷹司邸に集結していると、勅諚がもたらされます。それは「大和行幸」の中止でした。ここに、長州藩は謹慎処分となった過激派公卿7名とともに、いったん長州に退去せざるを得な... ...続きを見る

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2013/02/22 22:55
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(138)奇妙篇 混沌(七)
  藩士から姉小路公知卿の暗殺犯を出してしまった薩摩藩は、窮地に立ちます。一方の長州藩は.孝明天皇の覚え目出度く、今や飛ぶ鳥を落とす勢いです。  しかし好事魔多し、調子に乗って討幕を目論んだ「大和行幸計画」が仇となりました。危機感を抱いた薩摩藩は京都守護職の会津藩と手を組みます。NHK大河ドラマ「八重の桜」でも出てきます。 ...続きを見る

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2013/02/21 21:23
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(137)奇妙篇 混沌(六)
  孝明天皇は、攘夷を強く望んでいましたが、幕府との協調路線、公武合体でした。そしてそのために最も信頼していたのが長州藩です。一方の薩摩は、生麦事件で混乱、さらに長州藩と組んでいた過激派の公家、姉小路公知を薩摩藩士が暗殺してしまったなど、いささか旗色が悪くなっていました。 ...続きを見る

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2013/02/20 21:19
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(136)奇妙篇 混沌(五)
  「八月十八日の政変」のきっかけは、極右攘夷派の真木和泉らと画策した、討幕計画「大和行幸」でした。しかしその根は、薩摩と長州の確執です。  薩摩藩の過激攘夷派粛清事件の「寺田屋騒動」では、長州の木戸や久坂が薩摩の攘夷派に冷淡な態度をとっていました。  また、幕政改革を求める勅使が、薩摩の島津久光とともに、江戸表に赴いた際、江戸にいた毛利慶親は勅使の下向を待たずに、到着の前日、江戸を離れ、京へ向かっています。しかも、久光らが使用した東海道を避けるように、中仙道を使用しました。薩摩... ...続きを見る

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2013/02/19 20:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(135)奇妙篇 混沌(四)
  「教法寺事件」の責任者として、宮城彦助が切腹させられます。藩は晋作の命を惜しみ、宮城に詰め腹を切らせたのです。  晋作は、心の中で宮城に詫びていました。生かされた命、力の限り生き抜くと誓いますが、それがそう長くはないことも悟っていました。  そんな時、驚くべき報せが舞い込んできます。勤皇第一の長州藩が、何と禁裏から追放されてしまったのです。公武合体派の薩摩藩や会津藩の策謀による「八月十八日の政変」でした。 ...続きを見る

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2013/02/18 21:25
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(134)奇妙篇 混沌(三)
  先鋒隊が宮城彦助を襲うという報に接した奇兵隊が機先を制して、先鋒隊の本営・教法寺を襲撃した「教法寺事件」、今度は先鋒隊が奇兵隊への復讐を企てますが、毛利定広がなんとかこれを食い止めました。  晋作は奇兵隊の総督として責任がありますから、当然切腹する覚悟でした。しかし、毛利定広がこれを許しません。晋作の切腹は認めないものの、このままでは先鋒隊のメンツが立たないので、何とかする必要があります。そこで詰め腹を切らされるのが、事件の発端となった宮城彦助でした。 ...続きを見る

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2013/02/17 20:51
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(133)奇妙篇 混沌(二)
  奇兵隊総督となった晋作は、藩の正規軍の再編にも着手、藩士を選抜して先鋒隊を創設しますが、これが問題となりました。元々身分のある先鋒隊と上から下までいる奇兵隊、そりが合うはずもありません。  事件は奇兵隊の宮城彦助をめぐって起こります。宮城は晋作と同じ大組のれっきとした藩士でしたが、奇兵隊の前身の「光明寺党」からのメンバーでした。この宮城、同じ大組の藩士の集まりである先鋒隊の面々をことあるごとに、バカにします。とうとうその怒りが臨界点に達し、武力衝突となってしまいました。「教法寺... ...続きを見る

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2013/02/16 14:07
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(132)奇妙篇 混沌(一)
 勝算のない戦をしようとする玄瑞を必死に止める晋作。しかし玄瑞は、たとえ長州が無くなってしまってもそれが日本の国のためになるのであればやむを得ないと言い放ちます。  京へ再び出立する玄瑞の羽織の家紋は、久坂家のものとは異なる『桜花』でした。士分になったのを機会に、一代限りの家紋としたようですが、鮮やかに散っていこうとする玄瑞の覚悟が感じられました。 ...続きを見る

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2013/02/15 21:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(131)奇妙篇 誕生(七)
 玄瑞は、京で何やらことを興そうと企んでいるようでした。義挙、と言いますが過激な尊王攘夷派である真木和泉の名前が出るに及んで、その計画は危険なものであると察しがつきました。  晋作は、米仏相手にボロ負け状態である長州藩が、この上さらに戦線を拡大するなど、無謀極まりないと考え、玄瑞に忠告しようとします。しかし玄瑞、勝算はもちろんのこと、大義があるといって、聞きません。  八月十四日の政変が迫っていました。 ...続きを見る

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2013/02/14 21:27
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(130)奇妙篇 誕生(六)
 久しぶりにあった玄瑞は、風貌が一変していました。坊主頭ではなく、髪の毛を伸ばし始めていたのです。実は玄瑞の身分は、藩医だったのですが、このほど士分に取り立てられたのです。  そのうえ、名前も玄瑞から義助へと改名していました。攘夷の志を熱っぽく語る玄瑞に、晋作はいささかの違和感を覚えます。 ...続きを見る

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2013/02/13 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(129)奇妙篇 誕生(五)
  身分の上下に関係のない、言わば実力主義の奇兵隊には、続々と志願者が現われ、100人を超える勢いになりました。しかし、元々は公卿を盟主に仰ぎ、勝手な行動をとる連中です。晋作は、厳しく軍律を守らせました。階級のヒエラルキーも整えます。  やがて玄瑞も京から戻ってきますが、その印象は以前とはずいぶん変わっていました。  晋作が十分注意していたにもかかわらず、後にあの「教法寺事件」がおきてしまいます。 ...続きを見る

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2013/02/11 20:25
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(128)奇妙篇 誕生(四)
 光明寺に終結した非正規軍は、松下村塾出身者がほとんどでした。松下村塾は身分の上下に関係なく学問を学ぶところ、晋作はその精神を活かし、武士階級でないものも軍事力として使う、奇兵隊の創設を進めます。  しかし、右腕となって働いてもらう伊藤俊輔や井上聞多はイギリスに留学していました。周布政之助の計らいでしたが、これが後に役立ちます。そして、久坂玄瑞は盟主として担ぎ上げた公卿の中山忠光と朝廷工作に出かけていたのです。 ...続きを見る

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2013/02/10 21:28
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(127)奇妙篇 誕生(三)
 藩主から直々に馬関防衛の責任者に抜擢された晋作でしたが、現地に着任してみると、藩直属の正規軍が全く戦力になっていません。武門でありながら、すっかり平和ボケしていて、戦意も喪失しています。  そんな中で、久坂なども加わっている、言わば非正規軍の「光明寺党」と呼ばれる一団がありました。こちらは戦意もすこぶる高いのですが、色々問題を起こす厄介集団でした。何とか使いこなしたい晋作、師・松陰との会話を思い出します。いよいよ、「奇兵隊」の誕生です。 ...続きを見る

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2013/02/09 21:27
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(126)奇妙篇 誕生(二)
  米仏相手にしかけた無謀な戦で、長州藩は風前の灯火、晋作は藩主・毛利慶親から、馬関防衛の大任を託されます。まだ家督を継いでいない晋作には、大抜擢人事ですが、それだけ藩が危機に陥っていることも事実です。 ...続きを見る

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2013/02/08 22:46
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(125)奇妙篇 誕生(一)
 謹慎を解くことを知らせに来たのは、何と父・小忠太と母・道。晋作には直ちに山口に出立することを伝え、一緒に暮らしていた妻・政は道が本家に連れて帰る手はずになっていました。  ところで、昨日、幕府の命を真に受けて攘夷を決行した長州藩をバカな藩と言いましたが、晋作も全く同じ考えでした。諸外国相手に戦を仕掛けたところで、勝ち目なぞあるはずもなく、まずは富国強兵に徹するべしという、まっとうな主張です。 ...続きを見る

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2013/02/07 21:44
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(124)奇妙篇 攘夷(四)
 幕府は朝廷に攘夷の期日を約束させられていました。そしてその期日は、諸藩にも通達されました。攘夷なんてできっこないというのは、幕府だけでなく、諸藩も気づいています。だからこんな文書が来ても、従うやつなんていません。幕府だって、下手に動かれては困るので、そこは阿吽の呼吸でことを収めようとしました。  しかし、これを額面通りに受け取るバカ、いや大人の事情を飲み込まない藩がありました。長州、中心人物は玄瑞です。  玄瑞は頭もよく、二心のない人物ですが、物事の裏の裏まで読むことは苦手だっ... ...続きを見る

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2013/02/06 21:10
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(123)奇妙篇 攘夷(三)
  長州藩では村田清風以来の改革派と、これと対立する坪井九右衛門らの守旧派に分かれていました。しかし、当初は考え方の違いはあってもいがみ合うほどのことはありませんでした。潮目が変わったのは、やはり長井雅樂に詰め腹を切らせた辺りからです。  公武合体であっても決して守旧派とは言えなかった長井が、玄瑞たちに恨まれ死に追いやられます。しかしこれは負の連鎖の序章にすぎません。やがて、守旧派の椋梨藤太は周布政之助を死に追いやり、その椋梨もまた処刑されてしまいます。 ...続きを見る

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2013/02/05 21:55
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(122)奇妙篇 攘夷(二)
 出家と称して、体のいい軟禁状態の晋作、自分の生きるべき方向が見つかりません。師・松陰の墓に通ってみても、その答えは見つからず、齢20代にして、人生の秋を感じる始末....  悶々とする晋作、その時目の前に一筋の光が飛ぶのが見えました。蛍です。晋作は一気に悟りを開きました。夏の虫蛍を見たということは、人生まだこれから盛夏がやってくると確信したのです。 ...続きを見る

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2013/02/04 21:13
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(121)奇妙篇 攘夷(一)
  出家した晋作、危険人物として萩に召喚されました。内心、密かに自分に続く者が現われると期待していましたが、あに図らんや、そのような人物は一人もいませんでした。  自分には人望がない、いじける晋作、テンションは下がりっぱなしです。しかし晋作は、完全には世捨て人にはなれません。京の動静が気になります。晋作の元で暮らす、妻・まさの寝顔を見ながらそう思う晋作でした。長州が外国船に仕掛けた下関戦争はもうすぐです。 ...続きを見る

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2013/02/03 20:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(120)狂生篇 暴走(七)
  10年間の休暇をもらった晋作は髪を下し、東行と号します。言うまでもなく、西行のパクリ、いやオマージュです。  しかし、世捨て人になろうとしたわけではありませんでした。なんと、将軍・家茂の暗殺を企てていたのです。この大それた企てに恐れをなした藩は、晋作を強制的に萩に帰還させます。  それにしても、幕府は諸藩を統制しきれなくなっており、諸藩もまた家臣の統制が効かなくなっています。時代は確実に動いています。 考古学・人類学・言語学との対話?日本語はどこから来たのか岩波書店馬... ...続きを見る

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2013/02/02 19:27
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(119)狂生篇 暴走(六)
  長井雅樂が切腹で果てたころ、晋作は京へ強引に引っ張られていきました。政治の中心は、江戸から京都に移ってきており、14代将軍・徳川家茂は将軍としては実に230年ぶりに上洛をしました。3代将軍・徳川家光以来です。  その将軍の行列に、晋作は大声で野次を飛ばします。内容ははっきりとは伝わっていませんが、将軍に野次を飛ばすことが可能になっていること自体が問題、確実に幕府の権威は衰えているとみていいでしょう。  そして晋作は、藩から10年の休暇を許されます。 ...続きを見る

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2013/02/01 23:05
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(118)狂生篇 暴走(五)
  長井雅樂が切腹して果てました。私利私欲に走ったわけではありません。ほんの少し、歯車が狂っただけで死ななければならない時代、多くの有能な士が散っていきました。  もう少し、時が緩やかに流れていれば、こんなことにはならなかったでしょう...... ...続きを見る

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2013/01/31 22:08
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(117)狂生篇 暴走(四)
  おのれの行くべき道に迷いが生じた晋作は、一人江戸で、悶々としていました。その頃、長州では「航海遠略策」で藩論をまとめた長井雅樂が失脚の上、切腹を賜りました。藩論を誤らせたというのが理由なのですが、そもそも「航海遠略策」にGOサインを出したのは、藩主です。藩主が最大の責任を負うべきなのですが、そこは封建制の世界、詰め腹を切らされます。  もっとも、藩主・毛利慶親も責任を感じていたのでしょう、死一等は減じたいと考えていたようですが、攘夷派の連中がそれを許しませんでした。 ...続きを見る

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2013/01/30 21:52
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(116)狂生篇 暴走(三)
 英国公使館の焼き打ちに成功した晋作たちでしたが、当然、幕府の手が伸びてきます。玄瑞たちは江戸を離れ、潜伏を始めます。しかし晋作や伊藤俊輔らは、江戸に残りました。朝廷から名誉が回復された師・吉田松陰の遺骨を、小塚原回向院から現在の松陰神社に改葬するためです。  松陰の遺骨を拾いながら晋作は、思い悩みます。焼き打ち事件起こしたところで、果たして日本がよくなっていくのだろうかと、疑問に思い始めました。  箱モノをぶち壊したところで、体制なんぞは変わりません。成田の新東京国際空港が開港... ...続きを見る

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2013/01/29 22:49
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(115)狂生篇 暴走(二)
  心ならずも、外国人襲撃計画が中止させられた晋作。そこで次の一手を考えます。それは、品川の御殿山に建設される英米仏蘭の計4カ国の外国公使館の破壊活動でした。とくにイギリス公使館は、一番建設が進んでいました。  これを焼き払うことに決定しました。決行は12月12日。伊藤俊輔の機転で、用意していったのこぎりが役立ち、焼き打ちは見事に成功しました。  しかし...... ...続きを見る

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2013/01/28 22:01
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(114)狂生篇 暴走(一)
  外国人襲撃計画は一応中止されましたが、事態はこれだけで終わりませんでした。土佐藩経由で話が漏れて、中止になったわけですから、当然長州藩の志士たちは面白くありません。  あとから駆け付けた長州藩の周布政之助が、事態の推移を見守るために派遣されていた土佐藩士の前で、山内容堂公を罵倒するという舌禍事件を起こします。さらに晋作と政之助が斬り合いになりそうになるなど、事態はメチャメチャです。  やがて晋作たちは、人殺しはしませんが、建設中の英国公使館に放火、溜飲を下げるのでした。 ... ...続きを見る

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2013/01/27 13:45
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(113)狂生篇 竜虎(七)
  いったんなじみの茶屋に引き下がった晋作以下の襲撃隊でしたが、いつ暴発するかわかりません。説得を試みるものとの間で決裂すれば、薩摩藩の寺田屋騒動の二の舞になります。そこでついに、世子の毛利定広自身が説得に向かいました。  定広は長州藩の力を必要としている朝廷のために、一緒に働いてほしいと、丁寧に説得します。次期藩主にこうまで頭を下げられては、一同、感激しないはずがありません。しかし、晋作はクールでした。玄瑞の策略を見抜いたようです。 ...続きを見る

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2013/01/26 16:01
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(111)狂生篇 竜虎(五)
 異人襲撃計画をことごとく反対されて、晋作はご機嫌斜め、特に坂本龍馬が気に入らないようです。  玄瑞から剣の腕が経つ人物と聞かされれば、萩の明倫館で続けて3本とられた人物だと言い放ちます。もちろんこの試合は、子ども相手の花相撲であったことを承知の上.....  さらに、龍馬が土佐藩でも士分の中では身分の低い、郷士であったことなどを指摘するなど、普段の晋作らしくありません。  しかしこののち、晋作は龍馬に上海で買った拳銃をプレゼントするはずですが.....  ところで龍馬という... ...続きを見る

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2013/01/24 22:22
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(110)狂生篇 竜虎(四)
  晋作と玄瑞は、土佐勤皇党の武市半平太に、今回の異人襲撃計画の大義を説き始めます。そしてこの席には、ある大物が同席していました。坂本龍馬です。  龍馬は、玄瑞の説明を聞きましたが、この襲撃計画は間違いであると看過します。それに触されて、武市も計画中止を丁寧に諭すのでした。  帰り道、晋作は面白くありません。しかし、武市に話したことは、結果的に計画の中止へとつながります。 ...続きを見る

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2013/01/23 21:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(109)狂生篇 竜虎(三)
  事を起こすには当たり前の話ですが、軍資金が必要です。そして死罪になっても借金が残らないようにする必要があります。借金から逃れるために、事を構えたなどと言われては、武士の名折れです。そう言えば、「忠臣蔵」でも、大石内蔵助が討ち入り前夜、赤穂藩のすべての会計処理を済ませて、瑤泉院のところに報告に行く場面がありました。  この資金調達をやった人物こそ、後の大蔵卿・井上馨(聞多)です。ここで養子先の宍道(しじ)姓ですが、一般的な表記は志道(しじ)ではないでしょうか。  晋作と玄瑞が大... ...続きを見る

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2013/01/22 21:24
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(108)狂生篇 竜虎(二)
  晋作と玄瑞は、異人を襲う、襲わないで大喧嘩をします。異人を切り殺すことに成功しても、対局に変化はない、それどころか死罪を賜り、あたら無駄死にをするだけだ、いう玄瑞。  そんな玄瑞を儒者の屁理屈とばかりに非難し、ついに晋作は玄瑞を斬るとまで言い出します。なんだか前にもこんな場面がありました。その時間に入ったのは、周布政之助でしたが、今回は新参の宍道聞多、藩主小姓役です。  この宍道聞多、どうやら資金集めをしていたようですが、大酒を喰らい、ベロン、ベロンで大暴れを始めます。この酔... ...続きを見る

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2013/01/21 21:03
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(107)狂生篇 竜虎(一)
  「航海遠略策」という公武合体政策をとったおかげで、水戸藩や薩摩藩に後れを取ったと感じていた、晋作は焦っていました。旧松下村塾の仲間を集め、横浜の外国人公使を襲撃する計画を練っています。  しかし、今回は久坂玄瑞が強硬に反対しました。無謀な襲撃をしても世論は動かないというのです。玄瑞らしい冷静な判断なのですが、晋作はますますヒートアップしていきます。長井雅樂を襲おうとした玄瑞を暴走し始めていると危惧していた晋作ですが、なんだか逆になって来たようです。 ...続きを見る

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2013/01/20 15:09
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(106)狂生篇 脱藩(八)
  周囲の説得もあり、脱藩を思いとどまった晋作は、熊沢蕃山や高山彦九郎などの先哲に学ぼうとしますが、思うようにいきません。なお、ここで出てきた高山彦九郎ですが、「寛政の三奇人」(後の二人は林子平・蒲生君平)と言われた勤皇家で、現在京都の三条大橋のそばに銅像があります。その姿からこれを「土下座像」などと言いますが、決して土下座などではありません。皇室に対して、拝謁をしている姿を再現したものです。  上海で清朝が、欧米列強に浸食されている姿を目の当たりにした晋作は、幕府のやり方で開国し... ...続きを見る

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2013/01/19 14:29
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(105)狂生篇 脱藩(七)
  晋作の父・小忠太は、失脚した長井雅樂の後任として直目付に出世、父子共々藩政を担う人物として、将来が嘱望されていました。そんな矢先の、脱藩騒動ですから、父・小忠太のショックは計り知れません。  一方の晋作は、ハイテンションの英雄気取りです。しかし、そんな晋作をさとす人物がいました。かつて晋作が、幕府の軍艦教授所へ入学することを辞め、諸国の名士のところを来訪し、見聞を広げようとしたことがありましたが、その時最初に訪れた地、笠間の加藤桜老がその人です。  加藤桜老は、晋作の早まった... ...続きを見る

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2013/01/18 21:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(104)狂生篇 脱藩(六)
  僚友・中谷の病死に加え、師・松陰の盟友だった来原良蔵が無念の切腹を遂げたことで、晋作の胸の奥で何かがはじけたようです。  晋作は世子・毛利定広を前に、異常なテンションの向上に駆られます。攘夷をなすべき長州藩は、微力で都ともそれを実行する力がない、一方で、幕府に対してその非を認めさせようにも、諸藩が付いてこない状況であると....  かくなる上は、いったん萩に退き、力を蓄えるべきと、熱弁を振るいました。そして、あろうことか、自らの事例を詫びると、そのまま脱藩してしまいます。 ... ...続きを見る

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2013/01/17 21:39
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(103)狂生篇 脱藩(五)
  伊藤から自分の不在の間の出来事を聞いていた晋作は、藩命により、今日から江戸へと向かう途中でした。しかし、上海から帰国した晋作を大いにに悲しませる出来事があったのです。それは、晋作を松下村塾へと導いてくれた、中谷正亮の急死です。  享年35歳の若すぎる死。晋作には中谷との水魚の交わりが思い出されます。そして、晋作はついに脱藩という、大胆な行動に出ます。 ...続きを見る

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2013/01/16 21:50
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(102)狂生篇 脱藩(四)
  長州藩の藩論となった「航海遠略策」をもって、幕府の実権を握る老中・安藤信正に接近した長井雅樂は禁裏への工作にも成功し、時の孝明天皇からも異例の厚遇を受けます。  しかし、安藤が「坂下門外の変」で失脚すると、事態は急変します。尊王攘夷派からの猛烈な巻き返しが功を奏し、長井は「航海遠略策」の中に、皇室を中傷する言葉があるという、今さらの様な言いがかりで、ついに故郷の萩で謹慎、藩主の沙汰を待つ身となりました。  小説の中では真偽不明ながらも、久坂玄瑞一派の画策ではないかと書かれてい... ...続きを見る

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2013/01/15 20:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(101)狂生篇 脱藩(三)
  久坂ら4人に伊藤俊輔たちも加わり、長井雅樂を暗殺する計画は、文久2(1862)年6月末日に実行されました。しかし、長井雅樂はこれを事前に察知、帰郷のコースを変えていたため、暗殺は未遂に終わりました。  事が破れた久坂たちは、京都の薩摩藩邸に自首し、謹慎処分となりました。しかし、一味に加わったはずの俊輔が目の前にいます。不思議に思った晋作がそれを尋ねると、俊輔はそもそも自首などしていなかったのです。こういう要領のよさこそが、明治まで生き残り、政治の中枢となった原因かもしれません。... ...続きを見る

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2013/01/14 14:50
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(100)狂生篇 脱藩(二)
  晋作はこれまでの話を聞いて、薩摩の西郷と最も親しくしているのは、久坂ではないかと懸念していましたが、その予感は当たりました。  藩論が「航海遠略策」になっていることが、薩摩に後れを取っていると考え、寺田屋騒動の謀議にも加担しようとしていました。このほかにも勤皇の労使とも連絡を取り合い、義挙の企てをするなどしており、既に藩主・毛利慶親にも睨まれています。  さらに、晋作は伊藤俊輔から驚くべき情報を得ます。それは久坂たちと、江戸から帰郷する途中の長井を暗殺するというものです。 ... ...続きを見る

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2013/01/13 15:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(99)狂生篇 脱藩(一)
 西郷が長井雅樂を切れと言っていたことに、晋作は激怒します。薩摩の、それこそ田舎侍に、藩内のことをとやかく言われる筋合いはないと思ったのでしょう。  しかし、これにはもう少し裏がありました。久光の側近の堀次郎が、長井雅樂と通じ、久光の公武合体政策を推進していると思ったからです。  どうやら、堀+長井VS西郷+桂・久坂の対立の構図があったようです。 【幕末の孤独】 高杉晋作 愛刀写し(栗田口) 033 [模造刀・美術刀・模擬刀]GEMEX PLEASURE名称高杉晋作仕様鞘... ...続きを見る

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2013/01/12 16:37
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(98)狂生篇 変転(十)
  薩摩藩の過激派分子は、久光の上京を利用して、挙兵を計画していました。幕府に穏便な形で、圧力をかけようとしていた久光とは当然対立します。  挙兵計画は薩摩の過激派分子が佐幕派関白の九条尚忠邸を焼打ちにし、これと連携した長州の桂や久坂らが京都所司代の酒井忠義を襲うというものでした。  久光は腕の立つ藩士9名を派遣し、武力鎮圧を図ります。ところで驚いたことに、一緒に徒党を組むはずだった桂ら長州勢は、久光が武力鎮圧を図ると聞くや否や、全く関わり合いがないことと、シラを切り始めます。薩... ...続きを見る

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2013/01/11 22:12
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(97)狂生篇 変転(九)
 無断で、先に大坂に行ってしまった西郷に対して、久光はブチ切れます。悪いことに、西郷が過激派分子をそそのかして、京都所司代の酒井忠義(ただあき)を襲撃するという計画があるとの、情報も入りました。  もちろん西郷は、過激派分子を抑えるために、急遽先乗りをしたのであり、逆臣などではありません。しかし久光は、あの対面の時に見せた器の大きさはどこかへやら、西郷を島流しにしてしまいます。  西郷という抑えがいなくなった過激派分子は、寺田屋騒動を起こすのでした。  ところでこの小説の主人公... ...続きを見る

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2013/01/10 22:08
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(96)狂生篇 変転(八)
  西郷が久光のことを田舎者呼ばわりしたことは、しっかり本人の耳に入っていました。いつの時代にもチクる奴はいるものです。ピンチになる西郷。しかし、久光はそれを咎めることなく、何としてもこの度の上京に力を貸してほしいと頼み、器の大きいところを見せます。  それではと西郷も、せめて過激な尊王攘夷派の志士がいる京へ行くことは避けてほしいと願います。久光の上洛が不測の事態を引き起こすことを恐れていたのでした。  しかし、段取りはすべて整ってしまっており、もはや後には引けません。最後は久光... ...続きを見る

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2013/01/09 21:28
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(95)狂生篇 変転(七)
  安政の大獄の影響で奄美大島に謹慎させられていた西郷は、大久保一蔵や小松帯刀のとりなしで、久光と対面します。その裏には、前藩主・島津斉彬が急死のためなしえなかった、京・江戸での示威行動を久光が計画したためです。斉彬の子飼いとも言うべき西郷は、役に立つと考えたのでしょう。  当然賛成すると思っていた西郷は、意外にも反対します。理由は二つ。その一つは、久光が諸藩の賢候と言われる者たちときちんと交際をしていないこと、もう一つは藩主ならいざ知らず、藩主の経験もないものが、将軍に目通りなど... ...続きを見る

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2013/01/08 22:12
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(94)狂生篇 変転(六)
 長州と並んで、維新の立役者となったもう一方の雄、それは薩摩です。薩摩はこの時期、前藩主・島津斉彬からの公武合体派。お由良騒動を勝ち抜いて藩主の座に着いた斉彬は、井伊直弼の独裁を止めさせるために状況を画策しましたが、病に倒れます。  後を継いだ藩主の父親が、島津久光。お由良騒動の当事者でした。久光は、藩主ではありませんが、藩主の父親として薩摩の実権を握ります。無位無官の者が実権を握る薩摩は、他とは違う異常な存在となりました。そして、この久光を嫌っていた男、それが西郷隆盛です。  ... ...続きを見る

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2013/01/07 21:12
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(93)狂生篇 変転(五)
  死ぬほどの難儀をして上海に渡航した晋作は、薩摩の五代才助から寺田屋騒動の話を聞きます。  当時の情勢は、薩摩藩の事実上の権力者島津久光が、兵を率いて上京、孝明天皇の信任厚く、公武合体を推し進めていました。  そんな矢先に起きたのが寺田屋騒動です。この寺田屋騒動は、薩摩藩が自藩の過激な尊王攘夷派分子を粛正した事件で、坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件とは別です。 【中古】 afb【古本】Fantasy 寺田有希写真集/寺田有希細野晋司フルイチオンライン 楽天市場店作者:寺田... ...続きを見る

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2013/01/06 16:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(92)狂生篇 変転(四)
  晋作は上海の様子を、俊輔に語り始めます。上海の港には、外国船が数千隻も入稿していると、大げさに話します。実際はせいぜい、300〜400隻程度だったようですが晋作にはそういう印象に映りました。  そして注目すべきは、上海が中国の領土の一部でありながらも、イギリス人やフランス人が、大手を振って闊歩していることでした。アヘン戦争で敗れた清は、すでに欧米列強の風下に立っていたのです。 木口亜矢 DVD『上海ディアー』晋遊舎ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by ...続きを見る

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2013/01/05 14:36
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(91)狂生篇 変転(三)
  晋作は、上海行きの話をようやく始めます。上海への航海は、麻疹に罹ったうえに海が荒れて、さんざんな目にあいました。  しかし、船中では薩摩の五代才助(友厚)と知り合いになりました。明治になり、北海道開拓使払下げ事件の中心人物は、早くものちの政商ぶりを発揮しています。  さらに佐賀の中牟田倉之助。後に日本海軍の育ての親ともいえるこの人物は、航海術のみならず、英語も堪能でした。 ...続きを見る

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2013/01/04 22:18
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(90)狂生篇 変転(二)
  上海での国際情勢を聞きたがる伊藤俊輔(博文)に、晋作は長崎での話を始めます。その話は意外な内容でした。  商売に疎い長州藩の政策を批判、積極的に外国人相手に交易を行う『長崎互市(ごし)(通商)の策』を言い出したのです。  さらに、藩に無断で西洋式の軍艦を購入する契約を結んでしまったのです。 ...続きを見る

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2013/01/03 15:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(89)狂生篇 変転(一)
  晋作は伊藤俊輔(博文)の、長州訛りを一生懸命、直そうとしていました。伊藤の通称名を利助から俊輔に変えてやったのは晋作でした。利助ではなんだか商人のようで、勤皇の志士ふさわしくないという理由でした。  さらに諱もすわりが悪いという理由で、博詢から博文に変えようとします。  あれこれと俊輔に世話を焼いてやる晋作、それは俊輔を気に入っていたからです。 ...続きを見る

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2013/01/01 10:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(88)狂生篇 嵐の予感(三)
  老中・安藤信正と組んで『航海遠略策』を進める長井雅樂は中老雇となります。正式な中老ではなく、一時的な、言わば「中老事務取扱」のようなもんです。  順調に行くかに見えた『航海遠略策』でしたが、「坂下門外の変」で頓挫してしまいます。老中・安藤信正は、暗殺こそ免れましたが、後に失脚、長州藩の藩論も転換することになります。 ...続きを見る

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2012/12/31 15:02
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(87)狂生篇 嵐の予感(二)
  日本よりも先に西洋諸国と対峙した清朝が、どのような対応をしているのか調べよ、というのが毛利定広の命です。  晋作は上海に向かいましたが、日本を留守にしている間、長州藩では事件が頻発していました。  周布政之助が藩論『航海遠略策』の撤回を藩主・毛利慶親に訴えますが、失敗。謹慎させられます。玄瑞が藩主に直訴しようとしていたのを押し止めての行動でした。  そして、当の玄瑞も萩への帰国を命じられます。 弥生農耕集落の研究 南関東を中心に (単行本・ムック) / 浜田晋介/著... ...続きを見る

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2012/12/30 14:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(86)狂生篇 嵐の予感(一)
  晋作は、元々、幕府の「文久遣欧使節」の随行が予定されており、世子・毛利定広が動いたのですが、定員に足しており、断念せざるを得ませんでした。  「文久遣欧使節」は、「両都両港開市開港延期交渉」と「日露国境画定交渉」を目的として派遣されており、後の明治時代を担う豪華な顔触れがそろっておりました。  結局、晋作の渡海は、幕府が清に派遣する使節に随行、上海へと向かったのです。 ...続きを見る

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2012/12/29 13:47
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(85)狂生篇 再び、江戸(九)
  政之助は、国難を利用して幕府の復権を図ろうとする老中・安藤信正の企みを見抜いていました。それに加担することになる長井雅樂、何としても阻止すると宣言します。  晋作はこれを聞いて、目から鱗が落ちる思い、脱藩して藩論を変えると言い出します。しかしそこで、桂が声をあげます。晋作に、松陰の遺志を継ぎ海外へ出て、見聞を広めて来いと言うのです。  さらに先ほど大喧嘩をした玄瑞さえも、晋作を藩の中枢にあるべき者と言い、外国行きを進めるのでした。 ...続きを見る

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2012/12/28 15:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(84)狂生篇 再び、江戸(八)
 周布政之助は、藩論となった『航海遠略策』と長井雅樂の真意は異なっていると言います。長井は、徳川家安泰を図るためだけの公武合体策に組し、部門の誇りなど全くないと批判しました。  それゆえ、玄瑞の主張の方が理があるというのです。 ...続きを見る

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2012/12/27 22:18
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(83)狂生篇 再び、江戸(七)
 悪くすれば刃傷沙汰になるところに、タイミングよく周布政之助が現われました。いつものように酔っぱらっています。  「お前の母ちゃん出べそ」の様な事を言われてカッとなった晋作でしたが、これで振り上げたこぶしが降ろせます。政之助は晋作を窘めます。  晋作は政之助が『航海遠略策』に理解があると思い、玄瑞の頭を冷やさせる目的から、ネタを振ります。しかし、意外なことに政之助も玄瑞と全く同じ意見でした。 ...続きを見る

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2012/12/26 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(82)狂生篇 再び、江戸(六)
  ボルテージが上がる玄瑞を諌めるように、晋作は長井雅樂の説得を試みるべきだと言いますが、聞き入れません。長井雅樂を『君側の奸』と呼び、これを窘める晋作へは、晋作の父まで例に出し、非難します。  これにはさすがの晋作もキレました。玄瑞を斬り捨てようと刀に手を掛けます。  ところで玄瑞という男、純粋で一直線なのはいいのですが、どうも周りが見えない男になってしまったようです。ケンカをするのに、相手の親を例えに出すとは、「お前の母ちゃん出べそ」と言っているようなもんです。 ...続きを見る

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2012/12/25 22:37
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(81)狂生篇 再び、江戸(五)
 玄瑞の描いていた実行策とは、水戸藩と同盟し、破壊活動を行うこと。さらにその後、幕府に尊王攘夷の献策をして事後処理をするというものです。  しかし、藩論が『航海遠略策』という開国論になってしまった以上、それは叶いません。そこで浮上してきたのが、長井雅樂の暗殺です。 ...続きを見る

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2012/12/24 20:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(80)狂生篇 再び、江戸(四)
 久坂玄瑞は、藩論となった『航海遠略策』に激しく反発しました。  対馬藩で起きたロシア船の暴挙について、幕府は何もできず、結局イギリスの手を借りた体たらく振りを晒しました。開国論とは、外国の傘下に入ることを意味し、海外に威信を示すこと など不可能という主張です。  さらに『和宮降嫁』についても、幕府が人質を取っているにすぎないと批判しました。  ここで晋作、徐に玄瑞に今何をするかの具体的な実行プランがないと指摘します。 ...続きを見る

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2012/12/23 22:44
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(79)狂生篇 再び、江戸(三)
  晋作は20日間という強行軍で、江戸に到着しました。江戸では藩論となった「航海遠略策」に対して、賛否両論の議論が起こっていました。  「航海遠略策」は開国論、弱腰外交で開国した幕府の政策に通ずるものがあります。攘夷鎖国を堅持する朝廷をはじめとする諸藩からの批判に対して、打ち出されたのが公武合体論でした。時の天子・孝明天皇の妹、和宮を14代将軍・徳川家茂の正室として迎える「和宮降嫁」の発案者は、あの井伊直弼です。支持されるはずもありませんでしたが、結局、「和宮降嫁」は攘夷決行を幕府... ...続きを見る

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2012/12/22 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(78)狂生篇 再び、江戸(二)
 江戸に行くことになった晋作は、ロリ妻・政に、武家の妻たる者の心得について説教を垂れます。しかし政は、返事をするだけで、眼がウルウル。  晋作もそれにほだされて、つい、手紙を書くように伝え、会えない間はその手紙をお前だと思って大切にするなどと、甘い言葉を吐いてしまいます。  しかし、史実では外に子供を作る晋作君、お前ってやつは.... 江戸時代の江戸の税制と明治六年地租改正法公布税務経理協会土方 晋ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by 【中古】トレーディングフ... ...続きを見る

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2012/12/21 22:28
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(77)狂生篇 再び、江戸(一)
 晋作は再び江戸に行くことになりました。妻の政にもそのことを告げます。テンションの上がる晋作でしたが、どうも家庭をあまり顧みない、昭和のモーレツサラリーマンのような生活を送っていたため、ロリ妻・政にも不満があるようです。  晋作は雄弁に江戸行きを説明するのですが、政はただ返事をするだけ、目で不満を訴えてきます。 MONOQLO(モノクロ)プライム Vol.2 (MONOQLO増刊)晋遊舎ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by 江戸時代の江戸の税制と明治六年地租改正... ...続きを見る

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2012/12/20 21:24
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(76)覚醒篇 雅楽(うた)(四)
 長井雅樂の家から帰宅した晋作は、父・小忠太に報告します。小忠太と雅樂は昔からのマブダチ。その思い出を懐かしく語りますが、晋作は航海遠略策が藩論なのか、問いただします。  小忠太は、異議を唱えようとする晋作に、強く釘を刺すのでした。 【中古】美品! 混声合唱のためのうた/晋友会合唱団CDアルバム/クラッシックゲオEショップ楽天市場店タイトル混声合唱のためのうた コンセイガッショウノタメノウタアーティスト名晋友会合楽天市場 by 【メール便で送料無料】 池... ...続きを見る

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2012/12/19 21:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(75)覚醒篇 雅楽(うた)(三)
  長井雅樂は晋作の前で、航海を開始することの重要性を解きます。海原を公開することとはすなわち開国を意味します。異議を挟もうとする晋作でしたが、雅樂は攘夷の不可能であることを見抜いており、そもそも鎖国とは徳川幕府の始めた政策で、それ以前は盛んに交易をしていたと主張します。  有名な航海遠略策は、藩公の承認の下、藩論となりました。 スーパーヒーロー・クロニクル メタルヒーロー主題歌・挿入歌大全集 IIIコロムビアミュージックエンタテインメントテレビ主題歌ユーザレビュー:Ama... ...続きを見る

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2012/12/18 21:09
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(74)覚醒篇 雅楽(うた)(二)
  長井雅楽は、晋作の小姓就任の祝を自邸で催します。席上、雅樂は松陰の死罪に関して、自分が関与しているという、久坂たち松下村塾の門下生の非難は見当違いであると釈明します。  そして、現在の日本の病根の本質は、実質的な支配者である幕府と朝廷の心が一つになっていないことであると、説きました。 ...続きを見る

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2012/12/16 20:33
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(73)覚醒篇 雅楽(うた)(一)
 長州藩の重鎮、長井雅楽のお話。長井雅楽は世子・定広の養育掛を勤めましたが、非常に厳格な人で、定広にも容赦しません。この性格ゆえに、久坂ら松下村塾の門下生の恨みを一身に買い、後に俗論派の筆頭として悲劇的な死を迎えます。 ...続きを見る

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2012/12/15 11:52
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(72)覚醒篇 出世(四)
  晋作は死生を超えた境地に達するため、天照大神と不動明王を信仰すると先輩の中谷正亮に告げます。  天照大神は神道、不動明王は仏教(真言宗)でそもそも宗教が違います。この時代、いや今でも神仏混交はごく当たり前の日本ですが、それでもおかしいことと思い、中谷は吹き出してしまいます。 ...続きを見る

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2012/12/14 21:34
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(71)覚醒篇 出世(三)
  世子の小姓となった晋作、小姓といっても身の回りの雑務をこなすのではなく、言わばご学友のような存在でした。  就任に伴う公務も一段落したころ、晋作は臨済宗の高僧の元を訪ね、死生観について講義を受けるようになります。 いのちとこころのNHK中学生日記 1/関功/大久保晋作【RCP】オンライン書店boox著者関功(著) 大久保晋作(編)出版社四季社発行年月2002年11月ISBN978488405163楽天市場 by バカヤロー経済学 (晋遊舎新書 5)晋遊舎竹内 薫ユーザ... ...続きを見る

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2012/12/13 21:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(70)覚醒篇 出世(二)
  今回は、当時の長州藩の藩主の世襲状況が述べられております。生まれながらにしての世継ぎではないものが突如、藩主になった場合は、良きにつけ、悪しきにつけオレが、オレがとグイグイ前に出てしまうようです。  さて晋作ですが、父・小忠太に続き、2代続けて世子小姓となり、テンションが上がります。 ...続きを見る

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2012/12/12 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(69)覚醒篇 出世(一)
 帰郷後の晋作は、漢詩の才能を開花させました。有名な都々逸『三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい』は、この才能が元にあったかどうかはわかりませんが....  さて晋作は、順調に出世の階段を駆け上がっていきますが、忠孝を尽くすことと自らの学問(主張)を深めることとの間に、矛盾が生じてまいります。 ...続きを見る

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2012/12/11 21:20
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(68)覚醒篇 遍歴(十)
  身分に関係なく人材を広く登用するという晋作の考えに、小楠は賛意を示し、日本の取るべき道を鎖国か、開国か問うてきました  晋作は、攘夷と答えました。変化球で勝負です。もちろん小楠は開国派、鎖国がこれ以上続けられないのは、世界の潮流であると説きます。ただし、幕府のように圧力に屈して開国するのではなく、自らの意志で開国すべきであると言いました。  ここで晋作、我が意を得たとばかりに、口を開きました。師・松陰は開国が必要と考えていたが、世論を覚醒させるためにあえて攘夷を叫んでいたと主... ...続きを見る

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2012/12/09 22:09
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(67)覚醒篇 遍歴(九)
  小楠は、幕政が国のためではなく、徳川家安泰のために行われてきたと批判します。そしてこのことが諸藩にも影響し、隣国のことなど顧みない、日本全国鎖国体制をしているようなものだと言いました。  そして、アメリカの大統領制度を例に出し、世襲批判を繰り広げます。 ...続きを見る

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2012/12/08 22:29
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(66)覚醒篇 遍歴(八)
 横井小楠は、晋作に武士の本分とは何か問います。晋作の答えは、模範解答、忠義でした。 しかし小楠はこんなありきたりの解答では、満足しません。  小楠は、国を富ませることが、武士の本分であると看過します。つまり、経済こそが最も重要であるというのです。  そして、銀の内外価格差に眼をつけていました。 ...続きを見る

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2012/12/07 21:48
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(65)覚醒篇 遍歴(七)
  象山と晋作の面会は、未明から明け方まで、夜を徹して行われました。その間、象山は全く疲れを見せず、語り続けます。その体力に、晋作は畏敬の念を感じました。  象山との面会が終わり、晋作が次に向かったのは、福井。越前藩主松平春嶽の指南役・横井小楠に会うためです。横井小楠は熊本藩士、象山と違い、小柄、小さいおじさんですが、弁舌爽やかにして、舌鋒鋭いという人でした。ただしこの男、酒癖がすこぶる悪かったようです。 真・三國無双6 A5リングノート 晋【発売中・取り寄せ商品】かぐや ... ...続きを見る

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2012/12/06 21:00
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(64)覚醒篇 遍歴(六)
  晋作は、松陰を頑固な攘夷論者だと批判した象山に公然と反論します。松陰は、象山の開国論に賛成していたが、時勢から攘夷を唱えなければ、結局異国の侵略を受けると判断していたことを伝えました。  これを聞いた象山、さっきまでの傲慢から一転して涙ぐむのでした。 やさしく語る放射線 (新コロナシリーズ)コロナ社菅野 卓治ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by 聖徳太子は蘇我入鹿である (晋遊舎新書 S03)晋遊舎関 裕二ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by ...続きを見る

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2012/12/05 21:31
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(63)覚醒篇 遍歴(五)
  象山は晋作に対して、孫子の兵法から質問をするのですが、晋作に答える暇を与えず、自分で回答してしまいます。まさに独壇場。象山は、西洋の進んだ技術を取り入れることが肝要であるという自説を述べ、この点において、攘夷論者の松陰とは相いれなかったと言いました。  これを聞き、今まで押されっ放しの晋作、初めて反論を開始します。 ...続きを見る

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2012/12/04 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(62)覚醒篇 遍歴(四)
 象山は図体もデカいが、態度もデカい人でした。上から目線というやつです。洋学に通じ、才能も非常にあったので、松代藩主・真田幸貫の目に止まり、重用されたのですが、その幸貫は黒船来航の前年に亡くなっていました。  しかし、その押し出しの強さは相変わらず、晋作の前でもグイグイときます。 ...続きを見る

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2012/12/03 21:21
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(61)覚醒篇 遍歴(三)
  晋作と象山の対面が始まりました。象山は身の丈6尺を超える偉丈夫、西洋人かと思えるほどの風体でした。そして何より、耳が見えません。  そんな晋作の心を見透かしたように、象山は耳が見えないのは英雄の相だと言い放ちます。  続けて、大切なのは機敏であることだと説き、晋作は機敏ではあるが学問がおろそかだと看過します。 ...続きを見る

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2012/12/02 21:05
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(60)覚醒篇 遍歴(二)
  吉田松陰の師・佐久間象山は、松陰の海外渡航計画を授けたとして、蟄居謹慎を命ぜられていました。したがって、尋常な方法では面会はかないません。そこで一計を案じた晋作、急病にかかり、西洋医学に精通している象山に診てもらうという作戦に出ます。  信州・松代に到着した晋作は、そこで酒宴の席を張り、にわかに腹痛を起こします。 ...続きを見る

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2012/12/01 16:14
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(59)覚醒篇 遍歴(一)
  晋作の剣術の腕は、柳生新陰流の免許皆伝、なかなかのものです。ちなみに柳生新陰流は将軍家の剣、「暴れん坊将軍」や「長七郎江戸日記」では、おなじみの剣です。  各地で手合わせを願い出ますが、幕府の直轄地では、陪臣筋では相手にされません。そのうち晋作は、剣の道というのが、それほど奥深いものではないのではないかと気づき始めます。 ...続きを見る

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2012/11/30 17:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(58)覚醒篇 立身と心変(こころがわり)(五)
  幕府の軍艦教授所へ入学することを辞めた晋作は、友人たちの盛大な見送りを受けて、一路、「文学(学問)と撃剣(剣術)」への旅に出発しました。テンションは大いに上がっています。  学問は、笠間に隠居する加藤桜老なる勤皇化の歓待を受け、感激にむせびます。さらに、信州に向かい、いよいよ佐久間象山との対面を目指します。こうして学問の方は、成果が着々と上がるのですが、剣術の方がさっぱりでした。 ...続きを見る

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2012/11/29 22:49
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(57)覚醒篇 立身と心変(こころがわり)(四)
  晋作はとうとう、幕府の軍艦教授所への入学を拒否、藩に江戸留学の目的を「文学(学問)と撃剣(剣術)」に変更するよう願い出るのですが、許可が下りません。  父・小忠太の叱責もあり、萩に戻ることになりました。その際、途中の各地にいる学問や剣術の優れた人物に面会し、見聞を広げ、反省の役に立てたいと申し出たところ、あっさりと許可されます。  この中には、あの松陰が師事した信州の佐久間象山も含まれていました。 弥生農耕集落の研究 南関東を中心に (単行本・ムック) / 浜田晋介/... ...続きを見る

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2012/11/28 22:09
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(56)覚醒篇 立身と心変(こころがわり)(三)
  長州藩が大枚4000両をかけて新造した丙辰丸は、徒歩で江戸に向かうよりも日数がかかる始末でした。元々短気な性格の晋作、やってらんねぇということになってしまいました。  砲術や航海術など、細かい計算のいる学問は、この時代下に見られており、さらにそれらは武士階級の苦手とするところでした。 ...続きを見る

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2012/11/27 21:04
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(55)覚醒篇 立身と心変(こころがわり)(二)
 長州藩の最新鋭軍艦「丙辰丸」は、悪天候で出発が遅れ、ようやく出航したものの、なかなか江戸に着きません。瀬戸内海から紀伊半島に抜け、外洋に出た後、江戸に到着するのですが、晋作はこの航海に限界を感じていました。 ...続きを見る

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2012/11/26 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(54)覚醒篇 立身と心変(こころがわり)(一)
  「桜田門外の変」から半年後、晋作は幕府軍艦教授所で勉強をするよう、藩命を受けます。それに先立ち、藩の新洋式軍艦「丙辰丸」で、江戸まで外洋航海をして行くように命じられました。  張り切る晋作ですが、何やら怪しい雲行きが漂い始めます。 人間の身体と精神の関係 コペンハーゲン論考1811年 【中古】afb古書 高原書店発行年:1997年備考:-状態:B-サイズ参考画像はありません楽天市場 by マンガ霞が関埋蔵金 (晋遊舎ムック)晋遊舎高橋 洋一ユーザレビュー:Amazon... ...続きを見る

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2012/11/25 13:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(53)覚醒篇 風雲(四)
  「桜田門外の変」を持って「安政の大獄」は終わりを告げます。この事件から、幕府の威信は急速に衰えを見せ、尊王攘夷の中心であった水戸藩も歴史の中心から消えて行きます。  開国を推し進めた井伊直弼が実は西洋嫌いであり、攘夷運動の中心人物の徳川斉昭が開国はやむを得ないと考えていたことは、歴史の皮肉としか言いようがありません。 ...続きを見る

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2012/11/24 21:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(52)覚醒篇 風雲(三)
 安政7(18620)年3月3日(旧暦、太陽暦では3月24日)、大老・井伊直弼は水戸藩浪士の襲撃を受け落命、世にいう「桜田門外の変」の勃発です。  この変の知らせは、松下村塾にももたらされました。当初懐疑的であった玄瑞でしたが、三日後、ようやく松陰の墓前に報告をします。  井伊直弼の死は、弾圧された尊王攘夷派の面々だけでなく、幕閣の開国派や、進歩派からも歓迎されるありさまだったのです。 ...続きを見る

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2012/11/23 20:55
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(51)覚醒篇 風雲(二)
  隠密裏に行動してたとは言え、松下村塾への出入りはやがて高杉家の知ることとなります。晋作を江戸に留学させた長州藩は、松下村塾から離れさせるために、策を弄しました。藩校・明倫館の教官ともいうべき、舎長に任命したのです。  松下村塾と疎遠になる晋作。塾生は残念がりますが、晋作の心は別のところにありました。松陰の志を大きく育てる機会ととらえ、前向きに考えていました。晋作はすでに、松下村塾という狭い枠組みから飛び出していたのです。 ...続きを見る

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2012/11/22 22:41
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(50)覚醒篇 風雲(一)
 新婚の晋作は、毎日のようにどこかへ出かけていきます。行く先は松下村塾でした。松陰亡き後、松下村塾は玄瑞が中心となって勉強会を開いていました。晋作はそこへ、婚礼の翌日から通い詰めます。結婚を機に軟弱になったと思われるのがいやだったからです。ただし松下村塾に行っていることは、高杉家には内緒でした。 ...続きを見る

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2012/11/21 22:17
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(49)覚醒篇 萩にて(六)
  いよいよ、晋作と新婦まさの床入りです。ムフフの内容は、とてもここでは書けません。本文を御覧ください。〜〜❤.... ...続きを見る

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2012/11/20 22:12
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(48)覚醒篇 萩にて(五)
  新妻前に晋作は、とまどいます。といっても十分遊んでいる晋作は、そっち方面にまごついているのではありせん。そもそも目の前にいるのは、これまで遊んできた女とは、格も立場も違います。  どうでもいい、ぎごちない会話が始まりました。 ...続きを見る

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2012/11/19 21:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(47)覚醒篇 萩にて(四)
  父・小忠太からの話はやはり縁談でした。師・松陰の死からひと月しか経過していない今、とても結婚などする気になれず、反論しようと思いましたが、父が相好を崩し喜ぶ姿を見ると、その気になれません。さらに夢の中で、松陰が言った、結婚することも『孝』を尽くすことになると言ったことを思い出し、承知します。  ところで新婦は数え年16歳、満なら15歳、今なら犯罪年齢です。この時代は特に問題になることもなく、むしろ家制度の維持が目的で、早婚は一般的でした。ロリ志向というのは、案外伝統的なものかも... ...続きを見る

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2012/11/18 20:44
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(46)覚醒篇 萩にて(三)
 小忠太は続けます。松下村塾の門下生は自分たちの意見と異なる者たちは、全て俗論派と切り捨てているが、それによって家臣同士が反目しあうのは、忠義の道に背くのではないかと、危惧するのでした。  これに対して晋作は、師の松陰を寅次郎と呼び捨てにし、すでに死したものに従うことなどないと、大ウソをつきます。  しかし小忠太はこれを聞いて大喜び、縁談の話を切り出そうとします。 ...続きを見る

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2012/11/17 14:45
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(45)覚醒篇 萩にて(二)
  晋作の父・小忠太は、1年ぶりに我が子と対面しました。たくましく成長したと思う半面、まだまだといった思いもありました。  小忠太は、松陰の死を意外にも惜しみ、累が親類縁者に及ばぬよう努力する意思を示します。しかしその反面、関が原において、主家の存在を危く仕掛けた、安国寺恵瓊や直江兼続に松陰を例え、批判しました。 ...続きを見る

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2012/11/16 22:39
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(44)覚醒篇 萩にて(一)
 晋作は故郷の萩に帰りつきました。追っかけ、松陰の悲報が伝わりましたが、晋作に驚きはありませんでした。あの夢は、松陰の知らせであったと思ったからです。  晋作の胸には、必ず仇を取るという復讐心が芽生えました。復讐=敵討ちとは武士道精神の根本的は要素の一つですが、民俗学者の柳田国男によれば、武士道が極端に過ぎると「天狗道」に堕ちると言われています。こののち、晋作が「天狗道」に堕ちる寸前でそれを回避できたのは、松下村塾での学問の成果でした。 ...続きを見る

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2012/11/15 20:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(43)覚醒篇 遺言(七)
 吉田松陰は安政6(1859)年10月27日(旧暦)、刑場の露と消えました。享年30歳でした。  辞世の句として知られている、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」は、獄中で書かれた書『留魂録』の冒頭に掲げられています。『留魂録』で松陰は、自分の死を哀しむのではなく、自分の志を発展させてほしいと、弟子達に遺言をしていました。 遺言に関する法律相談 残された人々への愛のメッセージ (弁護士の知恵 SERIES) (単行本・ムック) / 村田恒夫 阿野順一 池宗... ...続きを見る

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2012/11/14 21:15
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(42)覚醒篇 遺言(六)
  松陰と対面を続けている晋作は、そこにはいないはずの久坂玄瑞や入江杉蔵の姿を見つけます。さらに先ほど罪一等が減じられて、遠島になるはずだと言っていた松陰が、死罪が決まったと告げます。驚いて、叫び声をあげた晋作.....  そこで目が覚めました。今までの対面は全て夢だったようです。萩での別れが最後のものになると書きながら、獄中で対面するのはおかしいと突っ込んでしまった私.....。関厚夫先生、申し訳ありませんでした。こんな仕掛けを考えていたのですね。  そしてその不吉な夢は、まさ... ...続きを見る

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2012/11/13 20:59
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(41)覚醒篇 遺言(五)
  松陰は晋作に門弟たちへの伝言を託しました。晋作と並ぶ一番弟子の玄瑞に対しては、才気が優れているものの暴走するのではないかと危惧しています。後の蛤御門の変を予感していたかのようです。  そのほかの門弟たちにもそれぞれ伝言を託しましたが、それは遺言のようでもありました。 ...続きを見る

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2012/11/11 21:14
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(40)覚醒篇 遺言(四)
  松陰は、晋作と対話を続けます。取り調べは、まず、寺社・勘定・江戸町の3奉行で行われましたが、その取り調べは概ね好意的であったとのこと。特に、老中・間部詮勝への暗殺計画は、目をつぶってくれる様子から、死罪は免れ、遠島になるのではと予測していました。しかし、現実は..... ...続きを見る

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2012/11/10 22:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(39)覚醒篇 遺言(三)
  晋作と松陰の対面は続きます。晋作は、父が進めている縁談に難色を示しているのですが、松陰の答えは意外にも、この縁談を肯定します。  結婚して父母に『孝』を尽くし、任官し藩公に『忠』を尽くせと言うのです。その上で、おのれの正論と正義を主張し、困難や苦痛があれば、抗うことなく身を引きつつ、学問に集中せよというのでした。  松陰は、今、おのれのこれまでの軽挙な行動を反省し、玄瑞や桂らに自分のまねをするなと諌めます。  まるで、極左冒険主義を自己批判する新左翼のようです。 ...続きを見る

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2012/11/09 23:06
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(38)覚醒篇 遺言(二)
 晋作は獄中で再会した(何度も言いますが、江戸に遊学するときにはなむけの言葉を受けたのが最後ではなかったのです。)松陰に、死すべき場所がどこにあるのか問いました。  松陰は私利私欲なく、大義を追及する人が生きることに執着することは大切なことだと説きます。 【中古】afb 遺言状を書いてみる ちくま新書/木村晋介(著者)ブックオフオンライン楽天市場店木村晋介(著者)販売会社/発売会社:筑摩書房/ 発売年月日:2001/02/20JAN:978448楽天市場 by ...続きを見る

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2012/11/08 21:23
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(37)覚醒篇 遺言(一)
 江戸に送られた松蔭は、伝馬町の牢屋敷で晋作と対面を果たしました。牢番に金を掴ませて、実現したものです。  松陰の江戸での入牢は、海外渡航を企てた科以来2度目です。松陰は取り調べの様子を晋作に語り始めました。  ところで、第24回で松陰が江戸に行く晋作にはなむけの言葉を送る場面が描かれていますが、それが最後の対面だと書かれています。でも今回、再び対面しています。突っ込みどころですね。 【送料無料】 ネコのために遺言を書くとすれば / 木村晋介 【単行本】HMV ローソン... ...続きを見る

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2012/11/07 21:43
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(36)修行篇 往復書簡(十)
  松陰は落ち着きを取り戻し、晋作に対して和解の手紙を書きます。時を待つ穏やかな心境になり、松陰を投獄した周布正之助に対しても、理解を示します。  しかし、数日後、自らその内容を全文削除しなければならない事態が起こりました。松陰に対し、幕府からの召喚状が届いたのです。「安政の大獄」が松陰にも及んだのでした。 ...続きを見る

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2012/11/06 20:28
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(35)修行篇 往復書簡(九)
 テロ計画が挫折した松陰は、ほとんど弟子たちとも絶縁状態になっていました。欧米列強の来襲という国難に対して、幕府の覇道ではなく、皇室の王道を持って、日本を一致団結させようとした松陰でしたが、うまくいきません。  自暴自棄の様な状態になりながら、やがて、今の状態で何ができるかを模索するという心境に達するのでした。 ...続きを見る

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2012/11/05 21:44
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(34)修行篇 往復書簡(八)
  江戸にいた桂や玄瑞、中谷など晋作の同志たちは、皆萩に帰郷しました。残された晋作は、手紙ひとつよこさない同志に憤まんやるかたない思いです。特に、義兄弟とも思っていた玄瑞に対しては、その思いはなおさらでした。  堪えきれなくなった晋作は、ついに玄瑞に書を認めます。手紙を受け取った玄瑞は、晋作の思いをうれしく思いますが、返書には松蔭の身辺に重大な変化が起きていることを記し始めます。 ...続きを見る

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2012/11/04 21:41
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(33)修行篇 往復書簡(七)
 江戸では久坂玄瑞が投獄された松蔭の赦免を願い出る書状を認め、萩に向かいました。松下村塾は、今や閉鎖の危機に直面しています。萩に残った門弟たちも改革派の要人・周布政之助に抗議をしたりしていますが、逆に謹慎を言い渡されてしまいます。  江戸に残った晋作は、暗澹たる思いで日々を過ごしていました。 ...続きを見る

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2012/11/03 21:37
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(32)修行篇 往復書簡(六)
 江戸の晋作たちは、江戸という町の大きさに圧倒されていました。そんな江戸を支配する幕府に到底勝ち目がないことも感じ取っていました。萩という地方の辺境にいる松蔭には、天下の大勢が理解できないのではないかとも思い始めていました。  晋作らの手紙を読んだ松蔭、門弟の一人に失望と怒りを吐露しています。 ...続きを見る

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2012/11/02 21:35
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(31)修行篇 往復書簡(五)
 江戸の長州藩邸では新作や玄瑞、桂が挙兵を思いとどまるよう、勝因に手紙を認めています。幕府と長州ではあまりに兵装の差があり過ぎる。義挙は無謀のことと自重を促すのでした。  こうして出来上がった手紙には、晋作ら5名の署名と血判が押してありました。 ...続きを見る

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2012/11/01 21:33
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(30)修行篇 往復書簡(四)
 江戸では将軍継嗣問題で、「南紀派」と「一橋派」、違勅開国問題で「攘夷派」と「佐幕派」がそれぞれ入り乱れて血みどろ権力闘争をしていました。遠く西日本の外れにあった松蔭、天下に名を轟かすためには何か大きいことをやる必要がありました。それが老中・間部詮勝の暗殺計画であったのです。  ところが松蔭、何をとち狂ったのか、計画を長州藩の重役周布正之助に漏らし、藩の武器の供与を願う始末です。こんな具合ですから、テロ計画が江戸の晋作たちの耳にも入ってきました。 ...続きを見る

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2012/10/31 21:40
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(29)修行篇 往復書簡(三)
 待望の松蔭からの返信がありました。しかしその内容は何を伝えたいのかわかりかねました。  今は天下国家のことを論じるよりも、自分の考えで行動すべきと書いてあります。さらに、人は自分(松蔭)のことを「功名のとりこ」というが、そのとおりであると認め、以後は変身はしないと結ばれていました。  実はこの時、松蔭は老中・間部詮勝へのテロを計画していたのでした。 ...続きを見る

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2012/10/30 21:54
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(28)修行篇 往復書簡(二)
 松下村塾の教えは、学んだ学問を実行に移すこと、そのために晋作は江戸に出てきたのでした。しかし江戸では、玄瑞や桂たちはただ議論をするだけで、何一つ実践に移そうとしません。そのいらだちを、手紙で松蔭にぶつけるですが、肝心の松蔭からは、なかなか返事がきません。 ...続きを見る

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2012/10/29 20:45
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(27)修行篇 往復書簡 (一)
 晋作は松陰宛てに、いらだつ心境を文にしたためます。いらだちの原因は、朝廷が水戸藩にあてた「戊午(ぼご)の密勅」でした。この密勅の内容は、朝廷に無断でアメリカと通商条約を結んだことや、大老・井伊直弼が勤皇派の諸侯を退けたことへの婉曲な非難でした。  その内容を知った江戸の長州藩の桂や玄瑞、中谷達は毛利公が将軍とともに京へ上り、帝に条約締結の経緯を丁寧に説明すべしという意見を口にしていました。  しかし晋作は違いました。アメリカに条約破棄を言い渡し、かなわねば開戦せよという過激な主... ...続きを見る

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2012/10/28 21:10
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(26)修行篇 江戸へ(四)
 「思誠塾」をわずか2か月でバックれた晋作、今度は幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」へ入学します。しかし持ち前の気質から、かなりの不良学生、酒を飲んでは暴れるなどの狼藉を働きます。でも逃げ足だけは早かったようです。 ...続きを見る

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2012/10/27 14:37
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(25)修行篇 江戸へ(三)
 江戸についた晋作は、評判の儒学者、大橋順蔵の「思誠塾」に学びます。しかしその講義は、古典御解釈を中心とする抽象的な内容で、実践が伴っていません。  加えて、順蔵は視野の狭い単なる排外主義者でした。開国の必要性を誰よりも認識しながら、時勢から攘夷を叫ばなければならなかった松蔭とはえらい違いです。  結局晋作は、「思誠塾」からバックれてしまいます。 ...続きを見る

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2012/10/26 23:07
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(24)修行篇 江戸へ(二)
 玄瑞に続き、遊学する晋作。師松蔭は、壮行の辞を述べます。玄瑞と競わせ、不快な思いをさせたことを詫びながら、晋作の長足の進歩を讃えます。そして、同志を大切にし、ともに歩めと激励しました。  しかしこの時が、晋作と松蔭の今生の別れとなりました。 ...続きを見る

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2012/10/25 22:38
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(23)修行篇 江戸へ(一)
 久坂玄瑞に続き、高杉晋作も江戸をめざし遊学に旅立ちます。この時代、藩外に出るということは、現在の海外留学と同じような価値がありました。  松下村塾は、いよいよ興盛を極め、謹慎中の松蔭は藩の要職を務める周布政之助らを引き入れ、藩公に具申をしていました。 ...続きを見る

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2012/10/24 21:52
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(22)修行篇 師弟(十)
 晋作と玄瑞は松下村塾の双璧と言われており、周囲も二人をライバルだととらえていました。前田敦子と大島優子のようなもんです。  ある日、江戸に遊学に向かう玄瑞は、松蔭と晋作を前にして、晋作の洞察力の素晴らしさをたたえます。これに対して、晋作も学問の才をほめたたえます。  この二人のやり取りを聞いて、松蔭は大いに喜ぶのでした。 ...続きを見る

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2012/10/23 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(21)修行篇 師弟(九)
 伊藤利助は雄弁に天下国家を論じます。そして長州藩の家老には、天下を切り盛りする力がないと嘆くのでした。  ところがこれを聴いていた松陰は、珍しく立腹します。利助の話を聞いていると、有能な家老の力を借りなければ、天下を治めることがかなわないといいているようなものだと、指摘しました。  普段立腹したことなど見たことがない松蔭の剣幕に、さすがの利助もへこみます。ところがそんな利助を明るく励ましたのが、晋作でした。 ...続きを見る

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2012/10/22 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(20)修行篇 師弟(八)
 晋作が松下村塾に入門したころと同じ時期、伊藤利助、後の伊藤博文も入塾していました。記憶力お言い、機転の利く青年でしたが、農家出身の軽輩、周りからは軽んじられていました。  「才能は身分に関係なく授けられている」と考えていた松陰でしたが、身分の高いものほど努力を怠るとも指摘しており、軽輩のものほど秀でたものが出るとも考えていました。  そんな松蔭が、伊藤をこっぴどく叱りつけるという事件が起きます。 ...続きを見る

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2012/10/21 10:58
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(19)修行篇 師弟(七)
 「高杉に比べて、久坂の方が人望があった」とは、97歳の長寿を全うした同門の天野清三郎が大正時代に述懐した言葉です。  天性の洞察力の持ち主であった晋作ですが、それを論理立てて説明する能力は今一つでした。  加えて、高杉家は塾生の中では高禄、一族は能吏を輩出するなど、一目置かれる存在であったことが、敬遠される要因であったかもしれません。  しかし、松蔭は身分や偏見で、その才能が生かされないことを憂いており、晋作も同意するのでした。 ...続きを見る

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2012/10/20 15:46
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(18)修行篇 師弟(六)
 松下村塾での松蔭と門弟との関係は、封建的な師弟関係というよりは、ともに学びあい、向上していくというものでした。体力だけであった晋作も、久坂玄瑞というライバルとの切磋琢磨で、伸びていきます。  そんな晋作に松蔭は、学問はまだまだであるものの、心理を見抜く才能に一種天才的なところがあると感じていました。 ...続きを見る

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2012/10/19 22:53
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(17)修行篇 師弟(五)
 松蔭は、天下は皇室のものであり、これを預かる徳川幕府は、諸外国から国を守るべき義務があると説きます。その意味では攘夷思想ですが、一方で彼の師である佐久間象山の、開国し富国を図ることにも賛成しており、決して排外主義者ではありません。  さらに皇室の現人神説に与せず、日本人の心のよりどころとでぃてとらえるなど、現代にも通ずる進歩的な考えを持っていました。 ...続きを見る

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2012/10/18 21:32
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(16)修行篇 師弟(四)
 徳川幕府の権威は衰えたりとはいえ、まだ絶大なものがありました。そんな時代にあって、松蔭の思想は、天下は朝廷のものであって徳川家のものではないという、まさに過激なものでした。  さらに長州藩は、関が原以来の外様大名であったにもかかわらず、徳川家とは縁戚になっており、松平姓を賜っていました。 ...続きを見る

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2012/10/17 21:36
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(15)修行篇 師弟(三)
 晋作と玄瑞は、幼いころから顔見知りでしたが、藩の要職にある高杉家と、たかだか藩医の久坂家では格が違います。本格的な交流が始まったのは、松下村塾に来てからでした。  松蔭は晋作と玄瑞を何かにつけて競わせます。武芸では玄瑞を圧倒する晋作ですが、学問と人望の点ではかないません。  そんな中で、松蔭の妹婿の大本命であった桂小五郎を差し置き、松蔭たっての願いで玄瑞と結婚させるというのですから、晋作の胸中は複雑です。 ...続きを見る

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2012/10/16 21:53
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(14)修行篇 師弟(二)
 松蔭の妹が久坂玄瑞と結婚すると聞いて、晋作は色をなします。後の「蛤御門の変」の首謀者・久坂玄瑞のことを坊主呼ばわりしますが、もちろん玄瑞は僧侶ではありません。  久坂家は長州藩の藩医の家柄ですが、江戸時代、藩に仕える医師は僧侶に準じて髪を剃り上げ、位も僧侶の位に準じていたという事情があったようです。 ...続きを見る

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2012/10/14 15:07
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(13)修行篇 師弟(一)
 晴れて松下村塾の門下生となった晋作ですが、藩の重職にある父・小忠太は、脱藩と海外渡航を企てた大罪人の松蔭を快く思うはずがありません。ことあるごとに批判します。  そもそも兵学師範だった松蔭を「家臣の鑑」と褒めたたえたのは、父だったはず、晋作は父への不満が鬱積していきます。 ...続きを見る

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2012/10/13 14:26
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(11)修行篇 入塾(五)
 松蔭は、「孫子」の兵法の中で、重要な点を問います。晋作は『彼を知り、己を知れば百戦して危うからず』と答えました。これは松蔭に受けたようです。松蔭は、敵を知り、正攻法で事に当たり、状況に応じて臨機応変に対応する、いわば戦術論を説きます。  さらに、戦わずして勝つことこそ、最も重要であるという、戦略論にも言及しました。 ...続きを見る

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2012/10/11 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(10)修行篇 入塾(四)
 戦をするにあたって最も大切なものは何か、との松蔭の問いに対して、晋作は自信満々に「鉄の規律」と答え、信長と勝家の故事を引用しました。  しかし、松蔭はその答えに感心することなく、むしろ嘲笑するような素振りさえ見せます。怒りがこみ上げる晋作に、松蔭は穏やかに、信長と勝家の故事は作り事ではないかと看過するのでした。 ...続きを見る

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2012/10/10 21:40
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(9)修行篇 入塾(三)
 初期の松下村塾は、松蔭が誕生した地からほど近い、現在の松蔭神社の辺りにありました。そこで晋作は初めて、松蔭と対面します。  物腰は柔らかく、とても謀反を企てる人物には見えません。その松蔭、晋作に向かって、戦をする前に、最も大事なことは何か問いただします。 ...続きを見る

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2012/10/09 21:12
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(8)修行篇 入塾(二)
 問題のある松下村塾への誘いにビビる晋作でしたが、先輩中谷にそのことを指摘されると、却って意地になり、一緒に出掛けていきます。  道すがら中谷は、松蔭の素晴らしさを、熱っぽく説くのでした。 ...続きを見る

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2012/10/08 16:09
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(7)修行篇 入塾(一)
 19歳の晋作は、たくましく、凛々しい青年へと成長しました。  そんな晋作に、11歳年長の中谷正亮から松下村塾への誘いを受けます。松下村塾は、言わずと知れた吉田松陰の私塾ですが、このころの松蔭は脱藩や外国への密航を企てるなど騒ぎを起こして、蟄居謹慎中の身です。いささか躊躇する晋作でした。 ...続きを見る

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2012/10/07 22:25
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(5)修行篇 父と子(四)
 我儘こそが最大の敵であると説く、父・小忠太。しかしその気質は、修行によって変えられると、断じます。そして、晋作の人の好き嫌いが激しすぎる点を、ズバリ指摘するのでした。 ...続きを見る

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2012/10/05 22:29
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(4)修行篇 父と子(三)
 父・高杉小忠太は、晋作に藩祖毛利元就(洞春公)の業績を語り始め、話は毛利家の祖先、大江氏にまで及びます。さらに、高杉家が清和源氏の流れを汲む、武田氏であることなど、晋作には退屈な話ばかりでした。  いささか辟易とし始めたころ、小忠太は突如、チェンジアップを投げました..... ...続きを見る

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2012/10/04 21:30
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(3)修行篇 父と子(二)
 長州藩では、かなりの名家であった高杉家。後継ぎとして生まれた晋作は、かなりの頑固者であったようです。そんな晋作も、藩校「明倫館」で勉学にいそしみ、齢11になった時、父小忠太が何事かを告げようとしています。 ...続きを見る

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2012/10/03 21:08
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(2)修行篇 父と子(一)
 高杉の生家は、現在でも保存されているとのことです。あと、長州藩の表石高は、36万9千石ですが、実際の石高は幕末には、90万石に達していたようです。 ...続きを見る

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2012/10/02 21:56
【紅と白 高杉晋作伝】〜関厚夫(1)旭日(プロローグ)
 産経新聞の連載小説がWEB上で読めるようになりました。執筆者が、自社の記者だからだと思います。以前にも冒険ダン吉のモデルと言われた、森小弁の伝記「“冒険ダン吉”になった男 森小弁」がWEBで読めました。結構太っ腹な扱いです。  さて今回は、歴女に人気の高杉晋作。産経得意のナショナリズムをどのように表現するのか楽しみです。  第1回はプロローグ、日露戦争の名将、児玉源太郎が登場します。児玉も高杉と同じ長州出身ですが、かどのように絡んでいくのかはまだわかりません。 【送料無... ...続きを見る

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2012/10/02 21:51
大学受験ラジオ講座と寮歌
 産経新聞で、旧制高校の寮歌をテーマとしたコラムが配信されていますが、寮歌と言ってまず思い出すのが、かつて文化放送の番組、旺文社の「大学受験ラジオ講座」です。この受験番組がなぜ旧制高校の寮歌と結びつくのかというと、講師の中で、オンエアー中に寮歌を歌いだす人がいたからです。記憶に残っているのは数学Tの勝浦捨造先生と数学Ubの田島一郎先生でした。  どちらの先生も味わい深く、滋味にとんだ歌声を披露されましたが、特に勝浦先生はご自身が3浪もされた経験があり、受験生への励ましには一方な... ...続きを見る

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2012/10/01 15:37
【司馬作品で読む日本史】〜明治・近代編(1)
 産経新聞の学芸欄に、新シリーズ「司馬作品で読む日本史」が始まりました。ご存知のように、産経新聞といえば主要紙の中では最も保守的な新聞で、朝日新聞の対極にあります。一連の日中・日韓騒動でも最も勇ましいのがこの新聞社です。コラム欄などの宮嶋茂樹氏の主張など首をかしげるものも多いのですが、昨今の政治情勢から追い風に乗っているのは事実です。  そんな産経新聞ですが、国を愛するという観点からか、歴史関係、特に日本しがらみの学芸欄の充実は他紙の追随を許しません。歴史好きにはうれしい限りです。... ...続きを見る

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2012/09/23 12:47
「風林火山」戦国武将VOL.1
 マイスタージャパンというところから、戦国武将の甲冑のフィギュアが発売になりました。兜だけだとだいぶ以前に、海洋堂製作の「激戦−兜コレクション−日本編」がUHA味覚糖が出ていましたが、今回は鎧も含めた全身です。  したがってかなり大型のフィギュアです。大きさだけならかなり立派です。造型はやや甘め。大きさが大きさだけにもっと細かく作り込んで欲しかった。  でもそれより大きな問題は塗装です。写真と実際の塗りがまるで違っています。というより、塗装そのものをしていない部分が多いんです。具体的にいえば... ...続きを見る

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2007/03/10 23:31
ヒストリカル・フィギュア「聖なる騎士伝説」の応募券
 昨日、ヨハネ騎士のメタルフィギュアプレゼントの応募券が見当たらないと書きましたが、エフトイズ様から次のような回答をいただきました。ご参考までに.... ...続きを見る

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2005/05/11 21:25
ヒストリカル・フィギュア「聖なる騎士伝説」
 エフトイズのヒストリカル・フィギュア・ミュージアムもパート5、「聖なる騎士伝説」の登場である。ヨーロッパの伝統、歴史フィギュア、中でもその王道である騎士ものは、これまでのシリーズの中でも最高の出来と言っていいのではないだろうか。  古代エジプトから17世紀イギリスの市民革命までの兵士の姿を時代に沿って表現、解説書のレベルも高い。(西洋史の勉強になります。) 全8種(シークレット2種)のうち、最もイイのは37「聖ヨハネの騎士」、地味な色彩ながら存在感がある。いつものように、1BOXでノ... ...続きを見る

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2005/05/10 22:40
ヒストリカルフィギュア 「戦国風雲録」
 エフトイズ・コンフェクトより「ヒストリカル・フィギュア・ミュージアム Part4【戦国風雲録】」が発売。このシリーズ、前作の「世界の英雄」編でかなりこけたが、今回は盛り返した模様。  造型総指揮の竹谷隆之氏は、ヒストリカル・フィギュアの分野では第一人者。その作品は見事だが、原型と製品との差が大きい気がする。例えば、信長は原型写真では反町似の(NHK大河ドラマ「利家とまつ」の信長役でした)激しい顔だが、製品版では全く違う顔だ。このあたりが、食玩の限界か。  武将もののフィギュアといえば、デ... ...続きを見る

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2004/12/22 00:22

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