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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(51)

<<   作成日時 : 2018/04/06 23:45   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(51)秀吉編II 愚行の典型とは、脅しや侮辱の言葉を口にすることである

 あるとき、織田信長と羽柴(豊臣)秀吉との間にこんなやりとりがあったという。
 「上様、宣教師(バテレン)どもは純粋で神聖な動機などに導かれたのではなく、日本を征服し、統治するために参ったものだとのことでござりまする」と秀吉。対して信長は−。
 「何を言う。あれほど遠い国からそのような企てを実行できるだけの兵力を派遣できるはずがないではないか」
 この逸話を伝えたのはイエズス会宣教師、パシオ。秀吉による伴天連(ばてれん)追放令の発布からまもない1587(天正15)年10月の書簡に記されているという。
 宣教師、フロイス著『日本史』の共訳者、松田毅一氏には『秀吉の南蛮外交』という著書もある。そのなかで氏は、キリスト教を日本に最初に伝えた宣教師、ザビエルが「日本を占領しようと艦隊を派遣しても全滅するだけだ」と知らせた書簡を引用しつつ《信長が秀吉の忠告を無視して、危険性はないと述べたというのは、さすがである》と評価している。
 だが一方で松田氏は《布教を許さぬなら、征服するのはあたりまえだと考えた「危険なバテレン」もいた》と明かし、こうしめくくっている。

 《秀吉がまだ少数しか宣教師が来日していなかった信長時代に、その「危険なバテレン」まで見抜いていたというならば、これまたさすがというほかはない》
 「別に身びいきで言うわけじゃないぜ」
 お師匠様(マキャベリさん)である。
 「その松田って先生によると、『危険なバテレン』の代表格が初代日本イエズス会準管区長のコエリョだ。例のフロイスと一緒になって神社仏閣破壊にいそしみ、『領土的』あるいは『宗教的』な『征服欲』にかられていた−ってんだからな。実際、追放令を受けたとはいえ、長崎を要塞化し、武装蜂起しようとしたそうじゃねえか。こいつらはみなポルトガル人だ。ところが、同じイエズス会でもイタリア人は違うんだね」
 ここでお師匠様は片ほおを上げて笑ってみせた。
 「たとえば東洋巡察師のヴァリニャーノ(こいつは中南部のキエーティ出身だ)は上長として常に仏教者とは親睦(しんぼく)を結ぶよう指示していたし、その留守中に起きた武装蜂起計画については途中でおっ死(ち)んじまったコエリョの面従腹背ぶりに怒り心頭、『生きていたら厳罰に処していた』って言っているわな。それに最も日本を愛し、日本人からも愛された宣教師、オルガンティーノもまたイタリア人さ」
 東南アジアの島嶼(とうしょ)国、フィリピン。中世後期〜近世初期には日本とも繋(つな)がりが深く、現在の首都であるマニラには日本人町もあった。

 その国名がスペインの王族の名前にちなんでいる、という話はお聞きになったことがあるだろう。フェリペ2世。彼の即位から10年目の1565年、スペインは本格的な侵攻を開始、マニラを中心とした植民地「フィリピン」の支配地域を拡大していった。
 本能寺の変の2年前の1580年、フェリペ2世は断絶のため空位だったポルトガル国王の座を得る。欧州と米大陸、アジアにまで版図を広げた超大国の誕生である。
 内実をいえば王室財政は火の車であり、まもなく自慢の無敵艦隊が英国海軍に完敗を喫するという憂き目に遭う。それでもスペインは「黄金の世紀」の最盛期にあり、世論は「自国の軍事行動を神への奉仕と確信してきた」(平凡社「世界大百科事典」)。
 《彼は、西欧人の東洋侵攻を漠然とながら認識した最初の人であった》
 安土桃山時代史の大家、桑田忠親氏著『太閤の手紙』の一文である。「彼」とはもちろん秀吉のこと。続けて桑田氏は、こう述べている。
 《この自国防衛意識が、西欧をもひっくるめた諸外国に対する強硬外交に拍車をかけたものと見える。(中略)彼は、どこまでも日本の強さを海外に誇示して、弱肉強食の世界の乱世に対処し、日本を積極的に防衛し、自己の名声を轟(とどろ)かしたかったのだ。これが、偽らざる彼の本音だったと、私は見ている》

 朝鮮出兵やアジアの超大国・明との戦闘の陰で見逃されがちだが、桑田氏が示唆するように、秀吉はスペインとも実は一触即発だった。
 文禄年間後期、秀吉は「自分に服従しない者は皆殺しにすること、朝鮮を征服したこと」(『秀吉の南蛮外交』)をはじめ、脅しとホラの文句を並べながら、フィリピン総督に対して降伏し、朝貢してくるよう促す勧告書を送りつけている。
画像

文禄・慶長の役の遺構「耳塚」=京都市東山区(関厚夫撮影)

 《人間がとりうるなによりも賢い態度の一つは、相手に対して脅かすような言辞を吐いたり、侮辱するようなことばをけっして口にしないようにつつしむことである》(※1)。お師匠様はがらっぱちのようでいて案外なことに、『政略論』でそうのたもうている。秀吉に対してだけでなく、時空を超えた金言だろう。
 前述した当時のスペイン・ポルトガル国王、フェリペ2世は秀吉より10歳ほど年上。2人は同じ時代に生きた絶対権力者だった。
 《時はいっさいのものをもたらし、善をも悪をもどれこれかまわず連れてくる》(※2)−。お師匠様の『君主論』からの一文だ。

 そのままでは衝突必至といえた秀吉とフェリペ2世という東西の一大個性が、「時」の力によってそうならなかったのは世界史上の幸いと言うべきだろうか。
 1598(慶長3)年秋、2人は互いを追うようにして他界する。ともに一見そうは思えないけれども、すでに斜陽期に入っていた「帝国」をあとに残したまま…。
 「だれががらっぱちだ!」
 顔を真っ赤にしたお師匠様の再登場である。
 「そんなことよりも、おれさまがせっかく最初のほうでコエリョにかこつけて『面従腹背』ってヒントをやっているのになぜそれを文禄の役の小西行長に結び付けて『面従腹背は国を亡ぼす』という結論を導かない? 何? 次回? ばかやろう、そんな時間があると思っているのか!」(編集委員 関厚夫)
 ※1、2 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』

*2017.11.26 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/171126/lif1711260022-n1.html)

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