モノトーンの肖像画

アクセスカウンタ

zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(49)

<<   作成日時 : 2018/03/31 14:20   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(49)秀吉編II 運の女神は永遠を望まぬことで自分の力を際立たせる

 16世紀末、豊臣秀吉が夢見た「唐入(からい)り」の出発点・名護屋城(現・佐賀県唐津市)。高さ25〜30メートル、5層7階建てとされる天守閣からは北西に陣取る島津義弘や上杉景勝、西に控える加藤清正、福島正則らの軍陣が一目で、しかも目の当たりにして見渡せたにちがいない。
 はせ参じた諸大名の数は約160。大小合わせて8千の船が集結したという。いまは少年の背丈ほどの石碑が往時をしのばせるだけの天守台跡から、玄界灘のきらめく海と突風にのぞんだとき、五感に響いてきた。
 海を渡る軍勢が上げる、地を揺るがす鬨(とき)の声が、堰(せき)を切って海外に膨張してゆこうとする武士いや日本人、そして時代の熱気が−。
 《6重目。八角で4間。外の柱は朱塗り、中の柱は皆金塗りである。障壁画は釈迦(しゃか)と十大弟子。縁側部分には餓鬼に鬼、その羽目板には鯱(しゃちほこ)や飛龍が描かれている。(中略)7重目。3間四方、御座敷のなかはみな金色。外側もこれまた金である。四方の内柱には昇り龍と降り龍、天井には天女の来臨図、御座敷の障壁画は三皇五帝(中国の伝説上の帝王)や孔門の十哲(孔子の10高弟)、商山四皓(しょうざんしこう)(秦時代末期に乱を逃れて隠棲した4人の老高士)、竹林の七賢人などが描かれている》
 『信長公記』がいまに伝える安土城天主閣(地上6階地下1階、計7重)の最上2階の景観である。

 最上階の内装、さらには5階以下にも中国の歴史や風物をテーマにした障壁画が多くみられることから、これらは織田信長が自分を中国の皇帝になぞらえていた証拠の一つ−との見方がある。
 そうだろうか。
 信長はもっと遠くを見ていた、と思えてならない。安土城の6重目の画題が仏陀とその弟子−中国ではなく、天竺(てんじく)(インド)であることもあるが、それだけではない。

 安土城の建設は天正4(1576)年の正月(旧暦)に始まった。翌月、信長は拠点を安土に移したが、天主閣など主要建築物が完成するのは3年後のことだ。
 安土城の完成に歩みを合わせるように城下町・安土も発展していった。その威容を永遠にとどめておきたかったのだろう。信長は狩野永徳に屏風(びょうぶ)絵を制作させた。
 《信長は安土と彼の城を実物と寸分違わぬほどありのままに、また湖および諸邸宅などすみずみまでを能うる限り正確に描かせた。実物と少しでも異なっていると思うところはことごとく新たに描かせたので多くの時間を費した。結果、彼の好み通り、完璧な出来栄えの作品となった》
 イエズス会の初代日本準管区長、コエリョによる1581(天正9)年度日本年報の一節(一部編集)である。

 屏風絵「安土城之図」は非常な評判を呼んだ。年報によると、正親町(おおぎまち)天皇が所望されたにもかかわらず、信長は首をたてにふらなかった。それどころか彼はこれをコエリョの上長で来日中だった東洋巡察師、ヴァリニャーノに寄贈するのである。
 この屏風絵は、ヴァリニャーノが主導した天正遣欧使節とともに海を渡り、お師匠(マキャベリ)様(さん)やチェーザレ・ボルジアゆかりのユリウス2世からちょうど10代後のローマ教皇、グレゴリウス13世に献上された。現存していれば国宝間違いなしの逸品だが、その後、行方不明となり、現在に至る。
 《永遠に続くものなど、この世にありはしない。運の女神がそれを望まぬからだ。実際、それでこそ彼女は自分の力を際立たせることができるというもの》(※)
 お師匠様の諷刺(ふうし)詩の一節だ。屏風絵「安土城之図」はそのモデルとなった城と城下町同様、はかない運命に弄ばれたというべきか…。
 横道にそれたが、本能寺の変に前後する「安土城之図」をめぐるエピソードは、当時の信長の世界観とその地理的な広がりを表しているように思えてならない。
 安土築城のさいには、当時の武士・貴族階級の伝統的な中国観の影響−中華への憧れに似た思いが信長にもあったことだろう。

 しかしその後、南蛮文化により深くふれることで信長の目は中国を超え、「世界」に開かれていった、とはいえないだろうか。また、彼の最高傑作は「安土城」といった単なる建築物などではなく、「安土城下」という都市そのものであるということを屏風絵に託して世界に誇示したかったのではないだろうか。

 そうだ、歴史小説家、海音寺潮五郎はその著書のなかで「人間は努力し、成長し、変化する」という立場から徳川幕府の鎖国を「非」とし、「鎖国がなければ日本人が南洋や米国の西部に発展していっただろう」という見方を紹介していたではないか。信長の「安土城之図」の寄贈は16世紀末、世界へ、七つの海へと乗り出していった日本人の象徴でもあったのだ。
 「おいおい、我田引水もそのあたりにしておけや」
 げっ、お師匠様だ。しかもえらくご立腹の様子だが…。
画像
イエズス会宣教師・マテオ・リッチ作『坤輿(こんよ)万国全図』の写図(横浜市立大学学術情報センター所蔵)

 「『ポルトガル人やスペイン人、特に驚嘆すべき危険な航路を1492年に最初に発見したイタリア人、コロンブスたちの航海の結果、われわれの世紀は偉大な、以前には見たこともないような物事について知ることができるようになり、古代の人びとが地球に関する知識において多くの点で誤っていたことが明白となった』−。だいぶはしょったが、おれさまの親友、グイッチャルディーニの大著『イタリア史』の一節だ。おまえはまるで日本がまず世界に進出していったような言いようだが、逆だろうが! 信長や秀吉の目を見開かせたのは、15世紀に欧州ではじまり、わがイタリア人が大活躍した大航海時代なんだよ!」(編集委員 関厚夫)
 ※ 筑摩書房『マキァヴェッリ全集4』所収「運について」


*2017.11.12 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/171112/lif1711120010-n1.html)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

天気予報


コアラのマーチ


AKB48ブログ集

© AKB48ブログ集
【マキャベリ流−是非に及ばず】(49) モノトーンの肖像画/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる