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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(30)

<<   作成日時 : 2017/12/08 22:44   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(30)身を天になげうって日々を生きよ。それが乱世の覚悟である

 「千利休と豊臣秀吉。2人の間の機微を知りたかったら、まずは精神を調べることだろうな。その時代のな」
お師匠(マキャベリ)様(さん)のアドバイスというか、指令である。主題である織田信長から離れるという難はあるが、師命は絶対だ。今回は少しばかり寄り道をお許しいただきたい。
 〈昔から堺には秀でた茶人が多くいて、京都の茶人を見下していた。思うに、京都の茶人は利害得失に敏(さと)く、堺の町人は武士の風情に近かったためにそうなったのだろう。また堺の茶人のなかには京の茶人たちについて善し悪しを考えるほど気にかけず、鷹揚(おうよう)に接する者もいた〉
 小瀬甫庵(おぜほあん)作『太閤記』の一節だ。利休の高弟、山上宗二(やまのうえ・そうじ)は「京都茶人」の代表格・不住庵梅雪(ふじゅうあんばいせつ)を〈自らの茶湯(ちゃのゆ)を取り乱して天下人に近づき、茶湯の師匠顔をした人物〉と酷評した。天下人を目前にした秀吉を恐れずに直言したため耳鼻をそがれ、殺されたと伝えられる宗二を武士の風情をもつ「堺の町人」、宗二が評した梅雪を「京都の茶人」と考えれば、甫庵のこの記述にも合点がゆくのではないか。

 また、『茶話指月集(ちゃわしげつしゅう)』によると、利休自身は「今日の客は京衆じゃ、肩衝(かたつき)(茶入れの一種)に茶をとれ(ものものしく茶事を行え)。明日は堺の人じゃ、棗(なつめ)(薄茶器)に茶をはけ(京都人にはわからない軽やかな侘(わ)びを楽しもう)」とよく言っていたという。
 利休は京の茶人を見下しこそしないが、一種の優越意識があったということだろう。「指月集」の編著者、久須見(美)疎安(くすみそあん)はこの利休の言葉に続けて〈その時分、京の茶人は道具ばかりもてあそんで茶湯は堺に及ばず。天正の末より、京が盛んになり、堺は衰えた〉と解説している。

 「『武士の風情をもつ町人』か。いいねえ」
 お師匠様である。
 「おれさまの親友、グイッチャルディーニは故郷(くに)についてこう書いている。『フィレンツェで人々の好意を得ようと思う者は、野心家だという評判をとってはならない。またどれほど些細(ささい)なことでも、他の仲間より優れていたり、派手だったり、洗練されていると思われる態度を見せてはならない。平等の上にすべてが成り立ち、しかも嫉妬の念で満ち満ちているこの都市では、平等であることを欲していないとか、普通からかけ離れていると思われると、必ずつまはじきにされるからだ』(※1)。話半分のところもあるが、まあこの悪しき平等主義に比べたら、堺人の何とりりしいことよ!」
 《人世(生)七十力●希/咄(とつ)吾這(この)宝剣祖仏/共殺/提(ひっさぐ)ル我(わが)得具足(えぐそく)の/一太刀(ひとつたち)今此(この)時そ(ぞ)/天に抛(なげうつ)》

 激しい雷雨だったという。天正の末年となる19(1591)年2月28日(旧暦)、利休は京都・葭屋町の自邸で秀吉の命のもと、切腹する。これはそのさいの遺偈(ゆいげ)である。
画像

「千利休終焉の屋敷跡」にある晴明神社の晴明井(戸)。祭神である陰陽師、安倍晴明ゆかりのこの名水で利休は最後の一服をたてたという=京都市上京区(関厚夫撮影)

 遺偈とは、「高僧、特に禅僧がのこした辞世の言葉」(『仏教語大辞典』)。利休の侘び茶論や精神、実技を集大成したとされる『南方録(なんぼうろく)』は《茶一道、もとより得道(仏の無上の悟りを得ること)の所、濁(にごり)なく出離(迷いから離れること)の人にあらずしては成(なし)がたかるべし》と説き、山上宗二は《数寄者(すきしゃ)(茶人)の覚悟は禅宗を全と用うべきなり》としている。
 「茶禅一味(一致)」ともいう。茶の湯は禅宗から生まれたものであり、その奥義と禅宗の精神は一致している、という意味だ。
 だから利休は遺偈をしたためたのだろうが、問題は禅語と禅の思想が反映されているその意味である。『人物叢書(そうしょ) 千利休』の著者、芳賀幸四郎氏でさえ、《自信をもって解釈しかねる。後考を期したい》とした難物だが、古筆学を体系化した小松茂美氏は『利休の手紙』で以下の「大意」をかかげている。

 《人生七十年、えい、えい、えい!(忽然(こつぜん)と大悟した時に発する声)/この宝剣で祖仏もわれも共に断ち切ろうぞ(まさに、殺活自在の心境なり)。/みずから得具足(上手に使える武具)の一太刀をひっさげて、今まさに、我が身を天に抛つ(いまや、迷いも何もない心境だ)》

 驚きである。この『利休の手紙』によると、利休は天正14年から自刃の日までの5年間、計5回にわたって同様の遺偈をつづっていたという。
 「いいじゃねえか、何度書いたって。おれさまだって2度遺言状を書いているんだ。それが乱世の最前線をゆく者の覚悟なんだよ。一期一会じゃねえが、利休の野郎は秀吉と接するとき、いつも死を決していたんだろう。武士より武士らしいじゃねえか」
 渋面。「相変わらずなんてものわかりの悪い奴(やつ)だ」とその顔に書いているかのようなお師匠様の再登場である。

 「『君主は、実力ある者を愛することを実践し、一芸に秀でた者を賞揚することを忘れてはならない』(※2)。秀吉は最初はそう思って利休を重宝していたんだろう。しかし、『権力者たちはおのれの権力に決して満ち足りることがない』(※3)。だからおのれの権力に屈さぬ者やおのれとは違う価値観をもつ者、おのれの権威を脅かす者を容赦できなくなる。『武』では小田原征伐や朝鮮出兵がその好例だろうが、『文』では伴天連(ばてれん)追放令、その延長上に『宗二虐殺』そして利休の切腹があるんだろうな。キリシタンにおける神のごとく利休を『師』とたてまつる大名も多かったし、だいたい、『宗易(利休)ならでは関白様(秀吉)へ一言も申上(もうしあ)ぐる人これ無し』と言われていたそうじゃねえか。それにしても何でおれがお前にこんな講釈をしなきゃいけねえんだ。お前も少しは自分の国の歴史を勉強しておけ!」(編集委員 関厚夫)
 ※1 講談社学術文庫『フィレンツェ名門貴族の処世術』 一部編集
 ※2 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』所収、『君主論』
 ※3 筑摩書房『マキァヴェッリ全集4』所収、寓意詩「黄金のろば」
●=くにがまえに力

*2017.07.02 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170702/lif1707020033-n1.html)

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