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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(25)

<<   作成日時 : 2017/07/16 21:27   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(25) 天国にゆく真の方法は、地獄にいたる道を学ぶことにある

 「いっさいは予の力のもとにあるが故、内裏(だいり)(天皇)も公方(くぼう)様(室町幕府将軍)も意に介するに及ばず、汝(なんじ)は予の言うことのみを行い、汝の欲する所にいるがよい」
 永禄12(1569)年初夏、信長は岐阜を訪れた宣教師、ルイス・フロイスにそう公言してはばからなかった。
画像
「堺市立町家歴史館 清学院」で=堺市堺区(関厚夫撮影)

 《信長の高貴な人々や、都および諸国から用務のため政庁に来ていた数多の貴人は驚嘆し、私とロレンソに対して、信長が私に種々の恩恵を授けるというような、かくも尋常ならざることが何に起因するのか判(わか)らず頭が混乱すると述べた》
 以上はそんな信長の厚遇を伝えた書簡の一節。また本能寺とともに上洛(じょうらく)時の宿舎の一つである妙覚寺に滞在中の信長を訪ねた別の宣教師は天正5(1577)年、その歓待ぶりを報告する書簡にこう記している。
 《後に人から聞いたところによれば、彼(信長)は我らが退出するや否や、デウス(万物の創造主たる神)の教えを讃(たた)える言葉を数多く述べたとのことであり、彼が教えを褒め、たびたびそれについて長々と話すことから、諸人は彼がキリシタンになることを望んでいるのかと訝(いぶか)った》

 1580〜82年度のイエズス会士の年報によると織田家でキリスト教に興味を示したのは信長だけではなかった。彼の三男である信孝は《キリシタンとなることを望み、すでに司祭たちを自らの師と見なしていると公(おおやけ)に述べ》たばかりか、コンタツ(キリスト教信者用の数珠)を常に身につけている理由について次のように答えていた。
 「このことが父(信長)の耳に届くようにするためであり、自分がキリシタンになったと考えて父が怒ればこれを否定し、構わぬ風であれば、その時こそは父を恐れることなく望む時にキリシタンとなる自由を得るであろう」
 こんな逸話もある。嫡子の信忠はある修道士と話をしたさい、武将たちがキリスト教に改宗するさいに最大の障害となっているのが「汝、姦淫(かんいん)するなかれ」として、浮気や側室を持つことを否定する戒律であることをたびたび伝えてきたうえで説いた。
 「この戒律を厳守することによって人々を威圧してその改宗を逃すよりも、戒律を免除して多数のキリシタンを作る方がよりいっそう、デウスへの奉仕になるはずである。もしそうなれば、予がまっさきに改宗するであろう」

 《うまくもっていきさえすれば、どのような信仰でも思いどおりにつくりだせるものだ》(※1)とはお師匠様(マキャベリさん)の『政略論』の一文である。大著『マキァヴェッリの生涯』で著者、ロベルト・リドルフィは《マキァヴェッリは、少なくともその著作においては、宗教は政治の、つまり人間の道具であるべきだと考えていた》と解説している。
 このあたりは信長も同じであっただろう。彼は信忠や信孝らを使って巧妙に宣教師やキリスト教の融通の度合いを瀬踏みしている−卑俗な言い方をすれば「かまをかけている」との感がある。
 イエズス会側はむろん、こうした取引には応じなかった。また後には信長をはじめ信忠や信孝たちは、いずれもフロイスに「傲慢」とみなされ、評価が百八十度転回することになる。
 さて、織田家の面々とはちがい、はなからキリスト教に興味を示さなかった日本人もいる。案外なことに、世界に開かれた自治都市・堺に住む大半の人々がそうだった。
 《日本の主要都市の一つである堺では、その地出身の市民でキリシタンになった者は(僅か)三名に過(す)ぎない。同地に住むキリシタンはすべて外来者である》

 フロイスの『日本史』の記述である。ただ、豪商の日比屋了珪(りょうけい)や大名に取り立てられた小西行長といった堺出身や堺にまつわるとされる有名なキリシタンもいる。松田毅一・川崎桃太両氏の「訳注」によれば、これは「堺出身者でかつ堺に住んでいるキリシタンは三名しかいない」との意味だという。少々誇張はあるとしても、ほかの宣教師もまた似たような報告をしているようだから、「生粋の堺人キリシタン」は確かに少数だったといえそうだ。
 やはり『日本史』によると、堺市民はきわめて自尊心が強く、「自分がキリシタンになれば世人はどう言うだろうか」といった体面にこだわるあまり、「信用や、世間からの人望を失うのでなければ自分たちが天国へ行けないものならば、むしろそんなところへ行こうとは思わない」と言い放っていた。
 「いい言葉じゃねえか」
 どういうわけか、「感に堪えぬ」といった風情でお師匠様が現れた。
 「大概の人間は天国への道を示してくれる説教師や宣教師を望むのだろうが、おれはちがう。悪魔の棲家(すみか)にいたる道を示してくれる説教師をぜひ見つけたいものだと思う。なぜだかわかるか?」

 意外な質問に首を横に振るしかない筆者を横目にしながらお師匠様は続けた。
 「天国にいたる真の方法はただ一つ−すなわち、地獄行きを避けるために地獄にいたる道を学ぶことにあるからだよ(※2)。またこういう考え方もある。過去、政治を真剣に論じてきた者は『この世の知恵は神の敵なり』とかいう教えにふれたとして地獄行きを宣告されたという。そいつらと一緒に地獄へ行く方が、『幸いなるかな汝ら貧しき者たちよ、天の国は汝らのものなればなり』などと唱える貧相な自称『天国の霊』とやらと一緒に天国に行くよりもよっぽどいいじゃねえか(※3)。そう思わんか」
 「???」
 「なんだ、お前は。せっかく深遠な真理を教えてやっているのに目を白黒ばかりさせやがって。まったく困ったもんだ。宿題をやろう。一度、堺の茶の湯文化を調べてみることだ。誇り高き自治都市の精神やお前の師匠(マエストロ)が言っていることが少しはわかるようになるかもしれないぜ」(編集委員 関厚夫)
 ※1 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』
 ※2 筑摩書房『マキァヴェッリ全集6』 一部編集
 ※3 岩波書店『マキァヴェッリの生涯』 一部編集

*2017.05.28 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170528/lif1705280020-n1.html)

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コメント(1件)

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ま、公方も調子乗りすぎだと思うよ。信長そんなに甘くないわな。
井出浩司
2017/07/17 07:53

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