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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(24)

<<   作成日時 : 2017/07/09 22:37   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(24) 金と知恵への過信が大きな不運と汚名、国家崩壊を招く

 〈日本全国でこの堺の町より安全なところはない。他の諸国において動乱があってもこの町にはかつてあったことがなく、敗者も勝者も、この町に来住すればみな平和に生活し、他人に害を加える者はいない。市中では敵味方の差別なく、みな大いなる愛情と礼儀をもって応対している〉
 1562(永禄5)年、キリスト教伝道の開拓者の一人と評される宣教師、ガスパル・ビレラが送った書簡(『耶蘇(やそ)会士日本通信』)の一節だ。戦国時代における「自由都市・堺」を象徴する記述として引用している教科書もあるぐらいだから、「どこかで読んだ覚えが…」と感じる方もおられるだろう。
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国指定史跡・旧堺燈台=堺市堺区(関厚夫撮影)

 この書簡のなかでビレラは堺における例外的な治安のよさについて、〈西は海によって、その他は常に水が充満した深い堀によって囲まれ〉ているという、環濠(かんごう)都市としての〈甚だしい堅固〉さを一因に挙げている。一方、『堺の歴史』(関英夫氏著)や昭和初期に刊行された『堺市史』は「堺は富によって平和を維持した」と論じた。
 長享元(1487)年 室町幕府第9代将軍、足利義尚(よしひさ)は近辺の所領侵害を繰り返す近江守護、六角高頼を討伐するための軍用金として2千貫の拠出を堺に求める。堺側は400貫のみ応じる。
 明応4(1495)年 和泉(大阪南部)に進出してきた畠山尚順(ひさのぶ)が安全を保障する代わりに1万貫の軍用金を要求。堺側は全額を支払う。
 永正3(1506)年 幕府を牛耳る管領、細川政元が堺に遊ぶ。堺側は政元に6千貫を、第11代将軍、足利義澄(よしずみ)に対しては金襴(きんらん)や緞子(どんす)などを献上する。
 −以上、「富による平和」のいくつかの例である。『堺市史』はこれをもって以下のように結論付けている。
 《敵味方の双方に取って何者にも優(ま)さる誘惑であった。堺から永く彼等(かれら)の軍資を引出すの途(みち)は、何日迄(いつまで)も堺の繁栄を続くると同時に、富民の歓心を結ぶことでなくてはならぬ。此望(こののぞみ)の期せずして一致したことが、堺をして兵火の厄から免れさせることにもなれば、又(また)敵味方を超越した世にも不思議の別天地ともならせたのである》

 まあ確かに、応仁の乱(1467〜77年)後、弱体化していたとはいえ将軍の要求を5分の1に値切ったり、織田信長の2万貫の要求を最初は蹴ったり(1568年)しているわけだから、堺は少なくとも80年間は“独立”を維持していたといえなくはない。しかしながら、安全保障や国防をお金にものを言わせて他人まかせにしているような状態で真の独立都市国家といえるのかどうか…。
 「お前も少しはものを考えるようになってきたかな」
 お師匠様(マキャベリさん)だ。珍しい、というか、初めてではないか? おほめにあずかるのは−などと考えたのが甘かった。
 「何か勘違いしているようだな。おれがそれしきで感心したりなどするものか。なぜそこでおれさまの故郷に思いをいたさないのか、と言いにきたんだよ。相変わらず忖度(そんたく)のできない野郎だ」
 フィレンツェ? ルネサンス時代後期の? そう言われてみれば−。
 これでは確かにいくらお金があっても足りない。お師匠様が登用されて以降のフィレンツェ共和国の「軍事費」の使い方である。
 フィレンツェは「斜塔」で有名なイタリア中西部の商業都市ピサの帰属をめぐってベネチアと対立していたのだが、1499年、18万ドゥカート(110億円相当?)の支払いを条件にベネチアにピサの領有権を認めさせる。

 ところが、ピサの方は武力抵抗をはじめる。「国民軍」をもたないフィレンツェは外国軍か傭兵(ようへい)に頼らざるをえないが、費用とトラブルが重なるばかりでらちがあかない。またこの間、「信長になれなかった君主(プリンス)」のチェーザレ・ボルジアはフィレンツェを「金づる」とみて、あの手この手で自分と巨額の傭兵契約を結ばせようとする。
 そうこうしているうちに1507年にはピサの帰属問題のごたごたで、フランス王とアラゴン王(カスティーリャ王国とともにスペイン王国を形成)に総額5万ドゥカートを支払うはめに陥る。
 きわめつきはその5年後の1512年だ。ときの教皇、ユリウス2世はフィレンツェに対し、それまでの親フランス政策を見直し、反仏神聖同盟に加わるよう強要する。フィレンツェはそのさいの償金として15万ドゥカートを課されたばかりか、教皇を中心とした反仏神聖同盟軍の圧力で共和国政府は崩壊し、お師匠様は失職の憂き目に遭う。
 《フィレンツェは莫大(ばくだい)な金額を王に支払わなければならなくなった。そして、その国家を崩壊させることとなってしまったのである。これでこりずに、のちになっても同じような原因で国家を滅ぼしてしまった》
 これは『政略論』にあるお師匠様の嘆きの一文(※1)である。

 また確かに、《大商人を頂点とする政治構造の都市(国家)だった》(『マキァヴェッリの生涯』の「訳注」)という当時のフィレンツェ共和国の政治体制は戦国後期の堺と似ている。『堺の歴史』によると、《堺人の財力と才覚と気魄(きはく)によってつくられたまち)》ではあったが、堺の自治は、「自由都市的」というよりもむしろ、《専制的な商人貴族によっておこなわれた》という。
 「そういうことさ。史実としては、な」。お師匠様は故郷を語るときに時々見せる複雑な表情を浮かべた。
 「まあ、おれに言わせれば当時の堺もフィレンツェも、2つの過信ゆえ滅んでいったというところだな。一つに財力=金、そして己の知恵に対する過信。おれさまの親友、グイッチャルディーニはある梟雄(きょうゆう)のことを『卓越した地位から、知恵を過信して他のすべての者の導き手だと公言し、より大きな不運と汚名をもって道を誤った』(※2)と評したことがあったがね」(編集委員 関厚夫)
 ※1 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』
 ※2 太陽出版『イタリア史I』 一部編集

*2017.05.21 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170521/lif1705210008-n1.html)

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内 容 ニックネーム/日時
信長の統治なら治安は最高だと思いますよ。厳罰だけどね。今の日本も、日本人何も考えてないけど、外から見ると厳罰の国だね。死刑世界10位(未発表国を除く)、暴力団対策法あたりは人権一切無視、だね、戦前の治安維持法より人権無視はすごい。
ま、結局、信長ではなく、日本国民が支持してるんだろうけどね。
井出浩司
2017/07/10 08:58

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