モノトーンの肖像画

アクセスカウンタ

zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(21)

<<   作成日時 : 2017/06/18 22:10  

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 1

 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(21)天下人は、ひっかき集めた金を鷹揚に使い、世を回してゆく

 例年のごとく財力もひまもなく、わびしい限りのGW(ゴールデンウイーク)。じっとわが手をにらみながらなんとかほんの少しでもあやかる方法はないか−と、つくづく思う。織田信長のことである。彼は30代半ばで美濃(岐阜県)を制してまもなくすでに「天下一」の大金持ちとなっていた。
 仇敵(きゅうてき)・斎藤龍興が籠もっていた稲葉山城(後の岐阜城)を攻略してから2年後にあたる永禄12(1569)年6月(太陽暦)、宣教師のルイス・フロイスは記している。
 《堺の市は四行の許可状を得るのにおよそ四万クルザードを彼(信長)に贈り、大坂からは一万五千以上を、各僧院からは金の延べ棒を十本や十五本、二十本と贈った。然(しか)してこれは二、三度にわたり、諸城についても同様であった。したがって、彼の有する金銀の富は信じ難いほどであり、今や彼はこれを贈られるのに嫌気がさしている》(松田毅一氏監訳『十六・七世紀 イエズス会日本報告集』)
 当時のポルトガル金貨の単位である「クルザード」や「金の延べ棒」を持ち出されてもその価値についてピンとこない方も多いだろう。参考までにフロイスの別の書簡の記述を紹介すると、12年後、柴田勝家が居城のある越前から安土まで、1万人の家臣と1万人の人夫を率いてやってきたさいの道中の費用と豪華な衣装代は総計5万クルザード。また同じ重さかどうかがわからないのが難点だが、1571年秋時点での金の延べ棒1枚の値段は約70クルザードだった。
 信長は、うなりにうなっていたこれらの金銀類を蓄財にまわさなかった。『人物叢書(そうしょ) 織田信長』の著者、池上裕子氏は3年半前、岐阜市で行われた講演会で語っている。
画像
金色に輝く織田信長像=JR岐阜駅前(関厚夫撮影)

 「そのようにお金を一生懸命集めるけれども、いろいろなことに支出して世の中のお金を回らせることをやっているんですね。そこが信長の特徴と言いますか、おもしろいところだと思います」
 なるほどそれが「天下人」というものか、納得である。ところがなんと、わがお師匠様(マキャベリさん)は『君主論』で−と書きかけたところ、ご本人が高らかに「お前の言いたいことなどはお見通しだ」とのたまいながら現れた。
 「おれさまは《賢明な君主は、けちだという評判など気にかけてはならない》《大事業はすべて吝嗇(りんしょく)だとみなされた人によってしかなしとげられていない》(※1)と金銭面での鷹揚(おうよう)さを否定しているが、信長はその正反対だ、と言いたいのだろう?」
 機先を制され、返答に窮する筆者。余裕綽々(しゃくしゃく)、片ほほでせせら笑ってみせながらお師匠様は続けた。

 「何度も痛い目にあっているくせに本当に性懲りのない奴(やつ)だ。その次のページをめくってみな。『すでに君主になった者にとっては鷹揚なことは有害だが、君位を得る途上にある者にとっては鷹揚さは必要である』とちゃんと書いてあるだろう。君位=天下人と考えればお見事、信長のことそのものじゃないか!」
 (ちぇっ、今度もまた「返り討ち」か…)
 失意に沈む筆者にお師匠様は無慈悲にも「追い討ち」をかけてきた。
 「おれさまの『戦争の技術』に《敗北時には、指揮官(カピターノ)たるものは、その敗戦から何か自軍に有利を生み出せないかどうか、検討しなければならない》(※2)とあるぜ。せっかくだから後半のテーマは、『君主途上』つまり、『天下人への道』にしたらどうだい?」
 《美濃を制する者は、天下を制する》とは司馬遼太郎作『国盗り物語』の名文句。お師匠様から出されたお題をそのまま踏襲するのは悔しいが確かに、美濃の国盗りを機に信長は天下人を意識するようになり、その展望が大きく開けていった。
 永禄10年初秋、稲葉山城は落城し、斎藤道三の孫にあたる龍興は逃亡。信長はまもなく、それまで「井之口」と呼ばれていた城下町を「岐阜」と改め、領国の新首都とした。そして同じ年の11月(旧暦)、彼は「天下布武」の印を使いはじめる。

 その「天下」が指す範囲が京の都なのか、五畿内(大和、山城、和泉、河内、摂津)なのか日本全国なのか、はたまた室町幕府の権威なのか−といった論争は以前に紹介した通り。またその文言の細かな解釈については研究者間で見解の相違がある。でもこの「天下布武」という四文字は、信長が「天下人」であろうとすることを「満天下」に宣言したことばと考えてまちがいはないだろう。
 翌11年9月、信長は2カ月前に岐阜に招いたばかりの足利義昭を擁して上洛(じょうらく)。この結果、義昭は翌月、征夷大将軍(第15代将軍)に就任し、室町幕府は再興された。一方、信長は、余勢をかって五畿内を席巻してゆく。
 「おれさまの『政略論』にいわく《一都市から出発して大帝国へと発展をとげようという望みをいだく者は、自国の領内に多くの住民が住みつくように、あらんかぎりの手だてを講じて努力に努力を重ねなければならない。なぜなら、国内に人間の頭数が十分にととのわぬような国家は、けっして大国に成長することはありえないからである》(※3)」
 再び得意満面のお師匠様である。弟子としてははばかられるが、「少し出しゃばりすぎではないか」と感じるのは筆者だけであろうか。また同時にこの連載の責任者として「まずい」とも思う。何とか主導権を奪い返さねば…。

 「信長の野郎はこの真理に感づいていた、ということだな。京を押さえ、領国の拡大期にあった岐阜時代に奴が発した『撰銭令(えりぜにれい)』や独創性あふれる『楽市楽座』『関所の撤廃』なんかがその証拠の最たるものさ。信長の野郎も大したものだが、どうだい? このおれさまの博識たるや!」
 (すきあり!)
 筆者は心のなかで快哉(かいさい)を叫んだ。さすがのお師匠様も経済は不得手と見える。すぐさま反論に移りたいところだが、紙幅の都合でそれは次回のお楽しみ…。(編集委員 関厚夫)
 ※1、3 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』
 ※2 筑摩書房『マキァヴェッリ全集1』

*2017.04.30 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170430/lif1704300009-n1.html)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
蓄財は非常に大事なのではないでしょうか。財政収支が黒っていうのはいいことだと思います。
井出浩司
2017/06/19 21:52

コメントする help

ニックネーム
本 文

天気予報


コアラのマーチ


AKB48ブログ集

© AKB48ブログ集
【マキャベリ流−是非に及ばず】(21) モノトーンの肖像画/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる