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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(20)

<<   作成日時 : 2017/06/04 16:18   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(20) 来世はないと考える君主にとっても、祈りは必要である

 それにしても織田信長の野郎は−とお師匠(マキャベリ)様(さん)をまねて毒づきたくなった。「安土城にしてもこの岐阜城にしても、なんでこんな高いところばかりに城を築くんだ」と。
 「『百曲がり道』は『健脚向き』ですが『七曲がり道』なら『家族連れ向き』。信長の時代の登城路でもありますからお勧めですよ」。そう聞いたので『七曲がり道』を選んだのだが、けっこう勾配はきつい。石段も多い。
 「なぜ、『所要時間4分』のロープウエーを使わなかったんだ?」という後悔にさいなまれる自分が情けない。「膝が笑う」とは、山道を登り終えた後、下山のさいの疲労困憊(こんぱい)の様子を言いあらわす慣用句だそうだが、小一時間かけて天守閣が再建された山上にたどり着いたとき、すでに膝が大笑いしていた。
 朝方には小雪に見舞われた早春の一日。にもかかわらず大汗をかき、ふうふう言っているような見学者は案の定、筆者一人だけだった。
画像
再建された岐阜城天守閣から(関厚夫撮影)
 《彼(信長)は同所(岐阜城天守閣)から美濃国と尾張国の大部分を私に見せたが、それはすべて平野で、城から見渡すことができた。この縁に面した屋内には非常に豪華な座敷があり、部屋全体を幾つかの黄金の屏風(びょうぶ)で(飾り)、その周囲をおよそ二千本の矢が取り巻いていた。彼はインドにこのような城を有する山があるかと問い、それから二時間半、乃至(ないし)三時間話を続けて、元素(四大)や日月星辰のこと、寒い土地と暑い土地の性質、国の習俗について尋ね、大いに喜び満足した》
 宣教師、ルイス・フロイスが永禄12(1569)年7月12日(太陽暦)付の書簡で同僚に伝えた信長の消息と岐阜城の様子である(松田毅一氏監訳『十六・七世紀 イエズス会日本報告集』)。少し安心したことには、フロイスにとってもこの岐阜城登山は難行苦行だったらしく、《山はいとも高いうえに険しく》と記している−とまで書いたところで、聞き覚えのある声が響きわたった。
 「わざとらしく横道にばかりそれるのはいいかげんにしろ! お前は今年の初め、山城である安土城は、信長が自分を神格化するために築かれたのだ−なんて言っていたが、この岐阜城がその先駆だと言いたいんだろう? その証拠が『上之権現(かみのごんげん)』だと言いたいんだろう? それだったらそうと単刀直入に言え! お前の語り口はいつもまどろっこしくていかん」

 お師匠様! 唯一といえる弟子が、ない知恵をしぼって読者の興味をつなぎとめようと四苦八苦している気も知らず、そんな身も蓋もない…。でも種を明かされた以上、仕方がない。「単刀直入」に話を進めてゆくしかないか…。
 高く築かれた岐阜城にまします「上之権現」。その存在を後世に伝えたのは公卿(くぎょう)、山科言継(やましな・ときつぐ)だった。やはり永禄12年の初秋、フロイスが岐阜を離れてからしばらく後、彼もまた美濃を訪れ、岐阜城に登城する機会を与えられた。
 〈夕食があり、信長も陪席された。次に上之権現その他城中方々を同道してみてまわられた。嶮難(けんなん)の風景は言葉にすることもできない〉
 言継は日記『言継卿記』にそんなふうにつづっている。
 さてそれでは、この「上之権現」とはいったい何か?
 権現とはもともとは「特に、仏や菩薩が日本の神に姿をかえて現れたもの。また、その神の称号」(『全文全訳古語辞典』)のこと。『国史大辞典』によると、「中世の神仏習合的な神道は権現思想を重要な論拠としたが、徳川家康が死後日光山にうつされたとき、天台の天海は山王神道により、家康に神号として権現を奉るべしと主張し、ついにこの号をもってまつられること(筆者注・東照大権現のこと)になった」。

 フロイスや言継の岐阜城訪問は安土城の築城開始の7年前。また『言継卿記』の記述からしても、「上之権現」が信長その人を指すとは考えにくい。実際、「上之権現」に相当する場所(岩山部)、また祭神についても有力な説がいくつか挙げられている。
 ただ信長は「上之権現」をまつりはしたが、それをどれほど敬っていたか…。彼は岐阜城が頂にそびえる金華山の西麓に壮麗な居館を建設した。この「山麓居館」についてフロイスは《かつて私がポルトガルからインド、日本へと至るまでに見た宮殿や家屋の中で、爽快、精緻、豪華、清潔の点でこれに並ぶものは一つもなかった》と述べたうえでこう続けている。
 《信長は来世はなく、見える物以外には何も存在しないと考えており、また、いとも財力に富み、何事においても他の国主が己(おの)れを凌(しの)ぐことなく、己れが諸人を超越することを望むが故に、己れの偉大さを示し自らの歓楽を得るため、この美濃の人々が地上の天国と呼ぶものを造ることに決したのであり、これに相当な金銭を費やしたのである》
 こう考えたらどうだろう。信長は岐阜城でまず自分の代理となる神を置き、次に安土城で自身の神格化へとステップアップしていった−。いやいや、飛躍のしすぎか…。
 「おれさまは『政略論』に《優れた君主はけっして城塞を構築するようなまねはしない。城塞ではなく、人民の善意だけをよりどころとするからだ》(※1)と書いた。まあ『人は城、人は石垣、人は堀』ってところだ」
 満を持した−といった表情でお師匠様が現れた。
 「が、信長の野郎にしてみれば城は防御用の軍事拠点である以上に民や国を治めるための神殿だったのだろうな。《確かに祈りは必要である。/民に儀式や信心を禁じるものがあれば、/まったく狂気の沙汰である。/というのも実に祈りから結束とよき秩序が/生まれるらしく、国の幸運はこのよき秩序に由来し、これあってこそご機嫌だからだ》(※2)とはおれさまの名詩の一節だが、あの価値の混乱期の大難題を城づくりで解決しようとしやがった。いやまったく大した野郎だぜ」(編集委員 関厚夫)
 ※1 中央公論社『世界の名著21マキアヴェリ』一部編集
 ※2 筑摩書房『マキァヴェッリ全集4』から『黄金のろば』


*2017.04.23 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170423/lif1704230010-n1.html)

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岐阜県は豊かだと思うよ。あと長野。
井出浩司
2017/06/05 00:19

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