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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(16)

<<   作成日時 : 2017/05/07 18:41   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(16)だます人間は、だまされる人間をざらにかぎ分ける

 さて前回に引き続き、「イタリアの織田信長」になれなかった男、チェーザレ・ボルジアについてなのだが、彼の出自について違和感を覚えた方もおられるだろう。
 チェーザレの父はローマ教皇(法王)のアレクサンデル6世。「当時、カトリック聖職者として最高の地位にある者になぜ子供がいるのか?」という疑問はしごくごもっともである。それに対する説明の一つとして、まずはお師匠(マキャベリ)様(さん)の親友、フランチェスコ・グイッチャルディーニの『イタリア史』を挙げたい。
 《教皇たちは、教皇というより、むしろ世俗君主のように思われるのである。彼らの関心と努力はもはや聖なる生活、あるいは宗教の宣伝、隣人に対する献身や慈善には向けられなくなる。ひたすらキリスト教徒に対して武器を執り、戦争を行い、その犠牲者を血塗られた両手や思想で扱うのである。彼らは財宝を蓄積しはじめる。新しい法を制定し、あらゆる方面から金を集めるために新しい策略、新しい狡猾(こうかつ)な装置を考え出す。(中略)大きな富が彼らに集中し、その宮廷全体に行き渡ると、その後に華美、贅沢(ぜいたく)、不正な慣行、淫欲、忌むべき快楽が続く》(※1)

 これが15世紀前半以降のローマ教皇とその周辺の姿だという。そしてその世紀も終わろうとする1492年、スペイン・バレンシア地方出身のロドリーゴ・ボルジア枢機卿が教皇に選出される。アレクサンデル6世である。
 グイッチャルディーニによれば新教皇は《注目すべき狡猾さと鋭敏さ、秀れた見識、驚嘆すべき説得力と困難な仕事すべてに対する信じられないような能力と適応力》を有する一方、《卑猥(ひわい)としか言いようのない習慣、真摯(しんし)さも恥もなく、真理もなく、信仰もなく、宗教もない。飽くことのない貪欲さ、節度を欠いた野心、野蛮さを越えた残忍さ、さらに多くの息子たちをいかなる手段を用いてでも昇進させようという燃えるような欲望》の持ち主だった。
 アレクサンデル6世は父親として、歴代教皇のなかでも変わり種だったようだ。
 《以前の教皇たちは己(おの)れの罪を隠蔽するために息子を甥(おい)と呼び慣らわしていたが、彼はまったく異なって常に彼らを息子と呼び、何ぴとに対しても息子として紹介した》

 が、まだ10代後半のチェーザレを枢機卿に登用するときは勝手がちがったらしい。グイッチャルディーニは《庶子をそのような高位の地位に就かせるのは正常なことではなかった。それで教皇はその障害を除くために、偽の証言者によって、彼が誰か他の者の正当な息子であることを証明している》と暴露している。
 「あの時代、イタリアに天皇家があれば…また、もし」
 突然、いつになくまじめな表情でお師匠様が現れた。「キリスト教が成立当初と同様の姿を維持していたなら、欧州はもっとまとまりのあるはるかに幸せなものになっていたろうよ」(※2)
 ここまで話すと、お師匠様は例のすごみのある冷笑をたたえながら続けた。
 「それが戦国時代だと言ってしまえばそれまでだが、イタリアは当時、まったく信仰心を失い、無限の災厄と底なしの大混乱に陥っていた。その元兇がローマの教皇庁さ。『宗教のあるところには必ず善行が行われ、ないところでは悪が支配する』ってことの後半部を自ら証明してみせたわけだ(※3)。これ以上の皮肉はなかろうよ。ただ、チェーザレの親父(おやじ)の方の偉いところは『人間はきわめて単純であり、目先の必要性に、はなはだ動かされやすいので、だまそうと思う者にとって、だまされるような人間はざらに見つかるものである』(※4)ということを知りつくしていたことさ」
 アレクサンデル6世とチェーザレ・ボルジア。この父子の間柄は「一枚岩」なのか緊張関係をはらむものなのか、また、どちらが「主」でどちらが「従」であったのかなどについて、いまだ決着しないようだ。『イタリア・ルネサンス事典』(東信堂)にはこう記されている。
 《アレクサンデルの意図は教皇国家の再征服にチェーザレを利用することであったが、果たしてアレクサンデルがチェーザレを利用したのか、それともチェーザレがアレクサンデルを利用したのかという問題は歴史家のあいだで議論されるところである》
 「親父の教皇は口に出したことを決して実行しないし、息子のチェーザレは実行したことを決して口に出さない」
 グイッチャルディーニは父子の絶妙な(悪の)コンビぶりについて、ローマの宮廷ではそうささやかれていた、と書き残している。
 一方で、こんな逸話も伝えられている。1502年の暮れ、チェーザレは教皇領北部で悪戦苦闘中だった。ローマにいた親父は、息子の働きぶりがふがいないと腹を立て、大声で虚空にむけて罵(ののし)った。

 「ああ、娼婦(しょうふ)の子め、私生児め!」
 アレクサンデル6世は教皇に選出される以前にすでに複数の女性と複数の子をなしていた。チェーザレの母は実際のところ娼婦ではなく、この言葉は、チェーザレの出生の秘密の暴露というよりも、アレクサンデル6世という教皇の人間性の低さの暴露だとされている(※5)。
 「父子関係は難しい。とくに戦国時代には。お前さんところの武田信玄って奴(やつ)は実父を国外追放し、嫡男を自刃させたんだろう? それに比べればあの2人はずいぶん仲のいい父子だぜ。とはいえ…」
 そう言うと、お師匠様は顔を少しゆがめてみせた。
 「チェーザレと信長の違いは、父親がいなくなったときに何ができたか、ということさ。それがチェーザレが信長になれなかった一番の理由だろうな」(編集委員 関厚夫)
 ※1 以下、グイッチャルディーニ関係の引用は太陽出版『イタリア史I』及び『II』『III』(末吉孝州氏訳)
 ※2、3 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』から『政略論』 一部編集
 ※4 同『君主論』
 ※5 リドルフィ著『マキァヴェッリの生涯』(岩波書店)

*2017.03.26 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170326/lif1703260026-n1.html)

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コメント(1件)

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前に進んでいかない限り、倒れんじゃないですかね。自転車みたいなもんだよね。そのくらいの切迫感がないと、世の中は一揆には変わらないよね。
井出浩司
2017/05/07 21:04

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