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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(10)

<<   作成日時 : 2017/03/11 15:32   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(10)謙虚であれ。民という神に憎まれ、難破したくなければ

 「知ってるか? 《民の声は神の声に似るといわれているのも、まんざらいわれのないことではない。それというのも世論というものは、不可思議きわまる力を発揮してさきのことを見通す働きをやってのけるからである。まるで、なにか隠された神通力のようなもので、未来の吉凶をぴたりとかぎわけてしまうのである》(※1)とおれが『政略論』に書いていることを」
 わがお師匠(マキャベリ)様(さん)はいつになく朗らかにそうご託宣を下されたあと、続けた。
 「ここで言う『民の声』や『世論』は織田信長の野郎がいつも気にしていた『天下』とか『外聞』とかいうしろものと同じなんだぜ。つまり、『世間の評判』のことだよ」
 本当だろうか?
 いやいや、もちろんわが師の言葉を疑っているわけでは決して、ない。だが、悲しいかな新聞記者(ジャーナリスト)の末席に連なる者(「お前は『末席にしがみついている者』じゃないのか」とお師匠様には皮肉られそうだが…)にとってはそれがだれであっても、言われたことをそのまま鵜呑み(うの)みにするのは厳禁なのである。
 畏れ多いことではあるが、少し調べてみるとするか−。
 確かに信長は、羽柴藤吉郎(秀吉)に対して万に一つも勝ち戦(いくさ)を逃さないよう事細かに指示するさいには「外聞」、筆頭格の部将だった佐久間信盛を解任するときには「天下」という言葉を用いて彼らへの戒めとした。

 ただ、ここで気をつけなければならないのは、「是非に及ばず」ではないが、この時代、「天下」ということばは多義性をもち、信長が意味するところも文脈や時期によって異なってくることだ。
 堀新氏「信長公記とその時代」や久保健一郎氏「天下と公儀」(ともに『信長公記を読む』所収)、神田千里氏著『織田信長』(ちくま新書)などによると、戦国時代後期、「天下」の意味は以下のように大別されるようだ。
 順不同ながら一つには現代と同様、「日本全国」。そして京都、あるいは京都を中心とした「五畿内」(大和、山城、和泉、河内、摂津の5カ国)。さらに「足利家・室町幕府」と「貴賤を超えた社会全般」−の4つである。
 後二者は地域的概念からの発展形といえようか。堀氏は著書のなかで「信長は自らの行動の正当化に『天下』の語句を使用したが、その語義は多義的で、ある種の御都合主義的な要素もある。しかし、社会への視座をあわせ持っていた点にその特徴があろう」としている。
 実際、信盛への断罪書で用いられている「天下」は「社会全般=世間(の評判)」と解してさしつかえないのだが、もっと直接的な信長の言葉を伝える逸話がある。
 『信長公記』によると、天正10(1582)年5月(旧暦)、「本能寺の変」の10日ほど前のこと。信長は、甲斐・武田家攻めで軍功を挙げた後、上洛(じょうらく)してきた徳川家康らを安土城内のハ見寺(そうけんじ)に招き、慰労を兼ねた舞と能の会を催した。ところが、舞は上出来だったのに能の方はお粗末で信長は激怒−。
画像
安土城跡のハ見寺三重塔=滋賀県近江八幡市(関厚夫撮影)

 《梅若(うめわか)大夫御能悪(のうあし)く仕(つかまつ)る事、曲事(くせごと)におぼしめされ候へども、黄金拘(かか)へ惜しむの様に、世間の褒貶(ほうへん)あるべきやの御思慮を加へられ、右の趣、条々仰せ聞かされ、其(そ)の後、梅若大夫にも金子拾(きんすじゅう)枚下さる》
 「けしからん」と思ったが、「世間がほうびを出し渋ったと批判するかもしれぬ」と思い直し、よく言い含めたうえで演者の梅若大夫に(舞の演者と同額の)金子10枚を下賜(かし)した−というのが右の一節の要約である。腹の虫はおさまらないが、「けちくさい」と世間の評判を落とすよりもほうびを出す方を選ぶ。案外な価値判断である。
 「(このまま)攻め殺させ候ては都鄙(とひ)の口難、無念!」
 こちらは天正4年5月、明智光秀をはじめとする大坂・天王寺の織田勢が、敵対する石山本願寺の大軍に包囲されたさい、信長が発した言葉(『信長公記』)だ。「都鄙の口難」とは、「『味方を見殺しにした』という世間の非難」の意味である。
 当初、京都にいた信長は大坂に急行。3千の兵を陣頭指揮して1万5千もの石山本願寺勢に挑む。最前線に立つ信長自身、足に鉄砲傷を負う激戦だったが、見事に劣勢を挽回し、討ち取った首数は2700余に上ったという。

 無勢で多勢を制した「桶狭間の合戦」以降、信長は合戦においてバクチを打たなかった−とされる。しかしながらこの「天王寺合戦」はバクチといってよいのではないか。信長は、世間の非難を招くよりも自らの身を賭す道を選んだのだから。だらしなく町中を練り歩き、「大うつ気(け)」の評判を買っても平気だった10代後半の信長とはまったくの別人−の観がある。
 「世間之かほつき(世間の顔付き)」
 信長は細川藤孝(幽斎)にあてた書状のなかでそんな表現を用いている。おそらく、天上天下、だれの顔色をうかがうことも潔しとしなかったであろう信長が、世間といううつろいやすい民衆の集団意志−つまり世論の「顔付き」をうかがっている…。
 「『結論として、述べておきたいことはただ一つ、君主は民衆を味方につけなければならないことである。それでなくては、逆境にあたって対策の立てようがない』(※2)。これが信長の野郎の心理を解く一つの鍵かな」
 再び、わが師が現れた。どういうわけか、今度は少々不機嫌なようである。
 「もう一つ、『傲慢や気取りは、とくに民衆にはなはだしい不利益を与えるというわけではない。だが民衆はそうしたふるまいにでる人物を憎む。要するに君主は、民衆の憎しみをあたかも一つの暗礁と心得て、警戒しなくてはならない』(※3)ってな一節もある。でもこれは信長よりよっぽど肝に銘ずべき輩(やから)がいまもあちこちにいるんじゃないか? もっとも、銘じたところで手遅れかもしれないがね」(編集委員 関厚夫)
 ※1 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』
 ※2 同書所収『君主論』
 ※3 同書所収『政略論』

*2017.02.12 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170212/lif1702120037-n1.html)

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信長も世論を気にしていたっていうことだね。
井出浩司
2017/03/11 17:14

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