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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(8)

<<   作成日時 : 2017/02/25 22:41   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(8)神に祈れ。勝った側にいつもわが身をおけるようにと

 歴史というものの残酷さや不思議さ、わからなさを最も現代に伝えている。それが桶狭間合戦ではなかろうか。
 《勝った側にいつもわが身をおくことになるように神に祈るように。それというのも、勝った側に味方していたら、たとえその中で君が何の役割も果していなかったことがらについてさえ称讃が与えられるのだから。これとは反対に、君が敗れた側に身をおいていようものなら、たとえ君にはひとかけらの嫌疑をかけられるようなすじあいがないにしても、数かぎりない非難にさらされるであろう》
 これはわがお師匠様(マキャベリさん)−ではなく、その後年の親友、フランチェスコ・グイッチャルディーニの著作(※1)からの引用である。「勝った側に身を置け」とは身も蓋(ふた)もない、わが国には「判官贔屓(ほうがんびいき)」という世界に誇れる伝統文化がある−と反論したら、「おれの兄弟分の悪口を言うな」と、お師匠様からお叱りをうけてしまったことがある。
 確かによく考えると、後半部に関しては言う通りのところがないではない。好例は桶狭間合戦における敗軍の将、今川義元だろう。

 今川氏は足利将軍家の氏族という名門。その頭領として数万の大軍を率いながら、すきを突かれて寡兵の織田信長軍に敗れ、あえなく落命−。それだけに義元にはお坊ちゃん育ちの「凡将」のイメージがつきまとう。
 ところが−。
 義元はまず武芸者としてなかなか強い。『信長公記』によると、乱戦の末、信長方の毛利新介に討ち取られるのだが、それまでに少なくとも一人を斬り伏せている。「多勢に無勢」の状況でなければもっとその武者ぶりを発揮できていただろう。
 また、もともと駿河の守護大名だった今川氏は、いちはやく戦国大名へと脱皮、時代の最先端をゆく存在だった。義元の父、氏親は版図を遠江に広げたうえ、「中世的観念の否定」と評価される分国法(戦国家法)「今川仮名目録」を制定した。朱印状や黒印状といった武家文書をだれよりも先に用いたのも氏親。後に信長が踏襲したことで、これらの印判状様式は全国と後世に伝わることになる。
 家督を継いだ兄の急死後、骨肉の争いを制した義元は戦国大名・今川氏をさらに進化させた。三河を領国化する一方で、「仮名目録追加」を制定。その中に《只今(ただいま)ハをしなべて、自分の力量を以て、国の法度(はっと)を申し付け、静謐(せいひつ)する事なれば、しゆご(守護)の手入り間敷(まじき)事、かつてあるべからず》とある。「将軍家をふくめいかなる上位者をも戴かない地域国家の王としての気概が感じられる」(村井章介氏著『分裂から天下統一へ』)。堂々たる「戦国の覇者宣言」である。

 桶狭間合戦のとき、義元は数えで42歳。先駆者であり、脂の乗った「東東海(ひがしとうかい)の覇王」がなんと、南尾張の守護代の家臣(足利将軍家の陪々臣(ばいばいしん))の出身で、尾張一国をかろうじて手中におさめたばかりの成り上がり者、27歳の信長に討ち取られる。この瞬間、時代の主客が入れ替わったばかりか、彼は典型的な敗者として記憶される。
 義元にしてみればこんな理不尽はないであろう。
 さて、そんな戦国史、また日本史の画期(エポックメーキング)となった桶狭間合戦だが、いまだにわかっていないことがけっこう多い。
 義元が桶狭間に侵入してきた意図や信長軍の進撃ルートについて新旧の説が入れ替わりつつ、論争が続けられていることは前回述べたとおりなのだが、実はどこで合戦が行われたかについても厳密には確定されていない。
 まず、義元が本陣を敷いていた「おけはざま山」(『信長公記』)の場所について諸説ある。また義元が討ち取られた場所についても、桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市)だけでなく、桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)も名乗りを上げている。
画像
夕闇迫る桶狭間古戦場公園に立つ織田信長像(左)と今川義元像=名古屋市緑区(関厚夫撮影)

 つい、いったい史実とはなにか、案外歴史とは不確実な“史実”の積み重ねではないのか、などと考えてしまう。
 「『歴史を書き残した多くの人は、征服者の事績を記述するばあい、その勝利をいっそう輝かしいものに浮き彫りにしようとするあまり、勝った側の働きを極端にもちあげるだけでなく、敵側の行動をも筆を曲げて修飾を加える』(※2)。わかり切ったことじゃないか」
 (出た、お師匠様だ)
 筆者はほくそえんだ。
 (一丁、「隠し球」でぎゃふんと言わせてやるか)
 そう心中に期し、「お言葉ですが」と切り出すや−。
 「わかっているよ。おれは『フィレンツェ史』をはじめいくつか歴史書や伝記を残しているが、『マキャベリはしばしば、所与の出来事そのものを意図的に歪曲(わいきょく)さえしていた。その結果、歴史的事実は言うまでもなく完全に、変形を被ってしまう』(※3)なんて評する野郎は一人や二人じゃない。『お前が言うな』と言いたいんだろう?」
 意外な展開に黙ってうなずくしかない筆者を前に、お師匠様は余裕の冷笑を浮かべながら続けた。

 「最後までよく読んでみな。どの評者も『だからこそマキャベリだ』と言っているぜ。なぜだかわかるかい? おれさまは“史実”なんていう不確実なものに惑わされることなくその真実を見極める歴史家だからだよ。それでいて実に謙虚だぜ。執筆中の『フィレンツェ史』について兄弟分のグイッチャルディーニに『事を大げさに讃(たた)えたりおとしめたり』していないかと、意見を求めているくらいだからな(※4)」
 再び沈黙−。とはいえ、どうも強引に言いくるめられている気がしてならないのだが…。(編集委員 関厚夫)
 ※1 講談社学術文庫『フィレンツェ名門貴族の処世術』(永井三明氏訳)
 ※2 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』の『政略論』から
 ※3 筑摩書房『マキァヴェッリ全集 補巻』 F・シャボーの評論。一部編集。
 ※4 ロベルト・リドルフィ著須藤祐孝氏訳『マキァヴェッリの生涯』(岩波書店)


*2017.01.29 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170129/lif1701290030-n1.html)

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今川義元は名将だと思います。
井出浩司
2017/02/26 09:47

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