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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(6)

<<   作成日時 : 2017/02/11 15:11   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(6) 新君主は善事を行いつつ、要あらば悪にふみこめ

 安土城跡(滋賀県近江八幡市)は不思議な空間だ。

 ここでは石垣や石塁、ハ見寺(そうけんじ)(織田家の菩提(ぼだい)寺)三重塔に二王門、何百段という石段などが往時をしのばせているが、その大半はむき出しの地面か山林である。気象は結構気まぐれだ。訪れたある冬の一日は雪が乱舞したあと一転して晴れたり曇ったり。その翌日は早春を思わせるような好天だった。
 あの男−もとい、お師匠(マキャベリ)様(さん)は「想像の世界などに遊ぶな」などとのたまう。しかし、聞こえてくる気がする。この安土城跡を訪れると430年前のどよめきとざわめきが…。天主跡に登り、周囲を見まわしたとき、納得する。織田信長が自らを「神」と考えてもそうおかしくはないのではないか、と。
 そんな安土城の運命は、はかなかった。天正4(1576)年正月に着工し、信長は約1年後、岐阜城から移り住んできたものの、いまだ工事中であり、見る者すべてがため息をもらした7層の壮麗な天主が完成したのはその2年後。しかし、「本能寺の変」の2週間後にあたる天正10年6月中旬には天主が焼け落ち、まもなく廃城に至る。
 《今や異教徒たちは、彼(筆者注・織田信長)の勝利がこの度かくも急転したの(同・15代将軍の足利義昭や越前の朝倉義景、北近江の浅井長政らによる信長包囲網のなか甲斐の武田信玄が信長と雌雄を決すべく進撃していること)は比叡山や観音に捧げられた寺院を焼き払うという無謀な所行に対する神仏の罰以外の何ものでもないと言ってはばからない。だが、信長はこれをことごとく一笑に付し、日本においては彼自身が生きた神仏であり、石や木は神仏ではないと言っている》
 宣教師、ルイス・フロイスが日本布教区長のイエズス会司祭にあてた書簡の一節である。日付は1573年4月。フロイスの記述は必ずしもすべて額面通り受け取ることができないのが難点だが、信長がかなり早い時期、ひょっとすると比叡山・延暦寺の焼き打ち(1571年)の前後、遅くとも安土城着工の3年前にはすでに自らを「神仏」と考えていたことの傍証にはなるだろう。彼がまだ数え年で40になるかならないかのころのことである。

 フロイスがイエズス会総長にあてた報告書や彼の著作『日本史』によると、信長が自身の神格化のために建立したのが安土山中腹にあるハ見寺だった。以下は日本側の史料には皆無なのだが、フロイスは「信長は毎月、自身の誕生日を祝祭日とし、その当日ハ見寺に参詣するようふれを出した」とつづっている。
 信長研究の最重要史料『信長公記』も、時を追うにつれ信長を神格化するような記述が散見されるようになる。
 《進上物を、我劣らじと持参、際限なし。堺南北の僧俗男女、此(こ)の時、信長公を拝み奉らんと、結構に出立(いでた)ち候》。これは、天正6(1578)年9月(旧暦)の記述である。
 《(信長の)花やかなる御出立(いでたち)、御馬場入りの儀式、さながら、住吉明神の御影向(ようごう、「来臨」の意)も、かくやと、心もそぞろに、各(おのおの)、神感をなし奉り訖(おわ)んぬ》
 こちらは天正9年2月、後世の語りぐさとなった一大パレード「馬揃(うまぞろ)え」を京で行ったときの信長の雄姿と見物者の感想をつづった一文。また翌々月、信長が空海ゆかりの名刹(めいさつ)・槇尾(まきのお)寺を焼き払ったさいには、あたかもその「御威光」は「観世音(かんぜおん)(観音菩薩)」をしのぐ−かのように記されている。
 さて、こんな信長をわが師はどう評するだろうか。
 「君主は、とくに新君主のばあいは、国を維持するために、信義に反したり、慈悲に反したり、人間味に反したり、宗教に反した行動にたびたびでなくてはならない。運命の風向きと事態の変化とが命ずるところに従って、変幻自在の気がまえをもつことが必要である。また、できうれば、よいことから離れずに、それでいて必要やむをえぬときは、悪にふみこんでゆくことが肝要である」(※1)
 −といったことが『君主論』に書かれている。延暦寺や槇尾寺の焼き打ちについてはあてはまるだろうが、信長の神格化問題を解決するには少々物足りない…などと考えていたときのことだった。
 「ばかやろう。『神への畏(おそ)れのないところでは、その国家は破滅のほかはないだろう。さもなくば、宗教のないのを一時的にでもうめあわせのできるすぐれた君主の高徳によって統治されるよりほかはないだろう。そのような君主たちの生命もかぎりのあるものだから、彼らの能力(ヴィルトゥ)に衰えがみえてくると、たちまち国勢も地に堕(お)ちることになる』(※2)ということじゃないか。『君主論』ばかりでなく、ほかのおれの著作もちっとは読んでおけ」

 怒気をふくんだお師匠様の声がとどろいてきた。
 「結局、信長は『高徳』ではなく、自身が神となることで国を統治しようとしたんだろうよ。それにあいつの死後、“織田政権”があっけなく瓦解(がかい)していったのもこの一節で説明できるだろうが」
 そう言い放った後、わが師は一転、見事なほどの悪役顔にいつもの冷笑を浮かべながら、続けた。
 「そんなことよりも、信長の『神格化』のはじまりは桶狭間の合戦にあるんじゃないか? 『信長公記』でそのあたりのくだりをもう一度読み直して調べてみな。え? 何でおれがそんなに詳しいのかって? 興味があるんだよ、信長って奴(やつ)にさ。あいつはひょっとすると、チェーザレ・ボルジアなんかよりもよっぽど君主らしい君主−チェーザレに代わって、『君主論』で褒めたたえるべき野郎−じゃないかとおれはにらんでいるんだ」(編集委員 関厚夫)
 ※1 中央公論社『世界の名著21 マキアヴェリ』。一部編集
 ※2 同書所収『政略論』


*2017.01.15 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/170115/lif1701150029-n1.html)

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コメント(1件)

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関厚夫さんの考えで、実際は本人に聞いてみないとわからないよね。無理だけど。
井出浩司
2017/02/11 19:56

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