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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(3)

<<   作成日時 : 2017/01/21 15:56   >>

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日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(3)恐怖心からも、憎しみからも危害を加えることがある

 (なんという急勾配だ。これでは参拝道というより登山道ではないか…。え? まだ1合目の半分?)
 11月初旬。登りはじめて10分もすると、半袖にもかかわらず、汗がしたたり落ちてきた。京都市右京区の愛宕(あたご)山(標高924メートル)。目指すは4キロ先の山頂にある総本宮・愛宕神社である。
画像
  愛宕神社参道わきにまします地蔵菩薩像 =京都市右京区(関厚夫撮影)

 434年前の旧暦5月末、そこで明智光秀は連歌の会「愛宕百韻」を催し、
 ときは今 あめが下知る五月(さつき)哉(かな)
 と詠んだ。
 「とき」とは「時」と明智氏の本家とされる土岐(とき)氏。「あめが下」に「雨が下」と「天が下(天下)」をかけ、数日後の「本能寺の変」への決意を暗示した句として知られている。
 日本史上の謀反劇を前に連歌の会とはまた優雅な−の感があるが、連歌には諸神に対する祈願という側面がある。
 当時、織田信長の命によって光秀は中国地方への出陣が決まっていた。ために「戦勝祈願」の連歌の会を催す。もっともなことだ。ただ、その「祈願」の内実を光秀しか知らなかっただけだ。
 なぜ愛宕山頂だったのか。
 愛宕神社は古来、防火・鎮火の神様として庶民の尊崇を集めてきたが、江戸期までは神仏習合の聖地だった。8世紀末前後に建立された白雲寺(明治の神仏分離令で廃寺)には勝軍地蔵が本地仏としてまつられており、勝利を願う戦国武将たちの信仰の対象となっていた。戦勝祈願にこれ以上の場所はなかった。
 さて愛宕山は比叡山や比良山とともに「七高山」の一つとされ、修験道の行者の修行場として有名であり、天狗(てんぐ)が出没する深山としても恐れられていたという。
 なるほど、出がけにある人が同情半分・含み笑い半分、「なかなかつらいですよ。お気をつけて」と声をかけてきたはずだ…。
 光秀の生年については不詳ともされる一方で、大きく2つの説がある。「1528年」と「1516年」。辞典類では前者に「?」を付記しているのを見かける。
 仮に前者だとすると、1582年の旧暦5月、愛宕山頂に向かっていたときの年齢は数えで55歳−。
 筆者と同い年ではないか! 坂路、汗みずくになりながら考えた。
 (旧暦5月末はいまの6月下旬、盛夏を控えた梅雨のさなかにあたる。「人間五十年」の時代だ。すでに「老人」である光秀もまた、汗だくになって登っていたに違いない。「勝軍地蔵よ、神よ、われによき託宣を授けたまえ」と念じながら…)
 正午。登坂開始から約2時間。ようやく着いた。まず参拝をすましたあと、おみくじを引いた。
 10番、凶。「人知らぬひそかごと其外(そのほか)悪(あ)しき事せず独りを慎むべし」。縁起でもない。もう一度引いた。
 19番、半吉。何のことだ? 「身の分限を守り慎め」とある。調べてみると「半吉」とは「半分凶」で「半分吉」のことだった。
 光秀も、おみくじを引いたという。二度、三度と。
 実は愛宕山は織田家にとっても聖地だった。
 「本能寺の変」の3カ月前、織田軍の先鋒(せんぽう)として甲斐国に攻め込んだ信長の長男、信忠は一気呵成(かせい)の勢いで武田勝頼と一族を攻め滅ぼした。
 信忠が京に凱旋(がいせん)した後の行動について、宣教師、ルイス・フロイスは『日本史』にこう記している。
 《(信忠は)都に着くと、同所から三里のところにある愛宕と称せられる山にある悪魔に二千五百クルザードを献納した。なおその悪魔への深い信心から、それに捧げる一種の犠牲の行として、自らの邸で裸となって全身に雪をかぶる苦行をした。だがその後三日以内に悪魔に対するその奉仕の報いを受ける》
 「奉仕の報い」とは信忠もまた本能寺の変に斃(たお)れることだ。貴重な歴史の証言である。文章にみなぎる異教への嫌悪や、初夏に「雪をかぶる苦行」とのくだりなどは割り引かねばならないが…。
 午後2時。着替えをすませ、光秀も望んだであろう京都市中心部の遠景を眺めたあと、帰路についた。
 過去の登山同様、今回も悪夢に見舞われた。「登り」ですでにエネルギーの過半を費消し、筋肉が疲労困憊(こんぱい)している。ために「下り」では「登り」以上に身体、とくに下半身が言うことを聞かない。
 歩みも、時間がたつのも遅い。また汗がにじみ出てくる。思わずねばっこいつばを道端にはく。われながら何と罰当りなことか…。
 するとまもなく、若い女性の2人連れが笑いさざめきあいながら筆者のわきを駆けるように下りていった。
 なんだ、街角にでもゆくようなあの格好は? トレッキングシューズさえはいていないのではないか? そう思ったとき、足がもつれ、年寄りくさい自分の姿がふいに434年前の光秀と重なった。
 (愛宕山の帰路、光秀は自身の体力の衰えを感じつつ、路傍につばをはき、大地を見つめながら思う。
 「土に還るのだ。死ねば。老い先長くはないだろうこのおれも、信長様も、また信忠様も−」)
 そうだ。光秀が引いたおみくじは「凶」ではない。何度引いても「大吉」だったはずだ。だから、彼は心のなかでこう叫ぶ。
 (勝軍地蔵と神のご託宣が下された。この乱世を治めるのは、織田家ではない。わが明智家だ!)
 「ほう、大した想像力だ。新聞記者というよりもまるで作家さんだな」
 まただ。ふいに、またあの甲高い、冷笑をふくんだ声が聞こえてきた。
 「でもまだまだ、だな。いちど、『君主論』の7章の終わりあたりを読んでみな。お前さんの人間洞察に足りないところが少しはみえてくるかもしれないぜ」
 帰宅後、その該当の章を開いた。“イタリアの小信長”チェーザレ・ボルジアの没落が描かれていた。
 そこには、《人間は恐怖心からも、また憎しみからも危害を加えることがある》(中央公論社「世界の名著21マキアヴェリ」)とあった。(編集委員 関厚夫)



*2016.12.18 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/161218/lif1612180030-n1.html)

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「本能寺ホテル」見に行こうかと思ってますよ。
井出浩司
2017/01/21 17:47

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