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zoom RSS 【マキャベリ流−是非に及ばず】(2)

<<   作成日時 : 2017/01/08 13:44   >>

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 日本史に関する記事では定評のある産経新聞、今回は数々の著作もある論説委員の関厚夫さんが、マキャベリをとおして日本史を語ります。必見です。

NOBUNAGA(2)信長最期の言葉は「言語道断」… 深まる謎

 「賢い人間は、偉人の歩いた足跡をたずね、ずばぬけて立派な人物をつねに範とすべきなのである。たとえ自分の力量がそこまで到達できなくても、せめてそのあたりの余香にあずかれるように」※
 なるほど。
 では筆者も『信長公記』と『増訂 織田信長文書の研究』をたずねることにしよう。「是非に及ばず」という、本能寺の変で明智光秀の裏切りを知った信長が発した謎の言葉の意味を解明し、彼という人物を知るために。
画像
「本能寺の変」の直前、明智光秀も望んだであろう京都中心部の遠景=愛宕山から(関厚夫撮影)

 −と、ここまではよかった。また「是非に及ばず」だけでなく、「是非なし」「是非なき題目」といった類似の表現にもあたっているうちに「これではないか!」という解も見えてきた。
 たとえば−。
 「公方様御所行、不及是非次第ニ候、雖然君臣間之儀候条(公方様(くぼうさま)の御所行(ごしょぎょう)、是非に及ばざる次第に候、然(しか)りと雖も君臣間の儀に候条)〜」(傍点は筆者)
 元亀(げんき)4(1573)年3月(旧暦)、数え年で40歳の信長が細川藤孝(ふじたか)(幽斎(ゆうさい))にあてた黒印状(こくいんじょう)(私信的書状)だ。

 「公方様」とは室町幕府15代将軍、足利義昭のことで、このとき、信長と断交寸前。まもなく叛旗(はんき)を翻した果てに追放の憂き目にあい、室町幕府は崩壊する。信長にすれば決裂に至った原因は、ひとえに義昭の「御所行」(悪行)にあるのだが、まだ形のうえでは臣従していた。
 「信長文書の研究」の著者、奥野高廣氏はこの件(くだり)について「義昭の行為は、言語道断だが、君臣の関係だから〜」(傍点は筆者)と要約している。
 そう、信長は「是非に及ばず」は「やむをえない」「しかたがない」という意味ではなく、「言語道断(もってのほか)」「けしからん」という意味で用いているのだ。
 そんな例はこの文書だけではない。
 元亀3年4月、信長は賀茂神社境内が一種の無法状態になっていることについて、朱印状(しゅいんじょう)(指令書)案のなかで「是非なき題目」と表現しているのだが、同じことをこの件の直接の担当である木下藤吉郎(豊臣秀吉)は判物(はんもつ)(指令書の一種)で「言悟(語)道断」と非難している。
 ところが、である。
 困ったことに例外が一つや二つではないのだ。
 同時代人である戦国武将や『信長公記』の著者である太田牛一の「是非−」の使い方は信長とは同じではないし、信長自身も別の意味で使っているようなケースがある。

 ならば仕方がない。「是非−」の表現を用いた文章を一つ一つ抜き出し、その意味に応じた分布図を作成して検討するしかない。
 やれやれ、とんでもないことになったぞ…。
 さて以下はその調査結果である。筆者としては微力を尽くしたつもりだが、「もれ」や「勘違い」があったさいには何とぞご勘弁を−。
 『信長公記』(桑田忠親校注、新人物往来社)に出てくる「是非に及ばず」「是非なし」「是非なき題目」などの表現は21、『増訂 織田信長文書の研究』では47あった。
 『信長公記』のうち、信長自身の発言として記録されたとみられるのは計6つでいずれも「是非に及ばず」。異論を承知のうえでいえば、すべて「言語道断」または「けしからん」といった現代語訳が可能だった。
 あとは筆者の太田牛一が地の文で自分の言葉として使ったケースや戦国武将の発言の引用。ただ、その意味するところは幅広く、「悲しい」「残・無念」「すばらしい」「仕方ない」「最高だ」等々。また、複数の解釈が可能な例もあった。
 次に「信長文書の研究」に収載されている「是非−」は信長の朱印状や黒印状、覚書などに30あり、ほかに信長の発言を記したとみられるのが2つ。残りは徳川家康や明智光秀、前田利家らの書状などで使われていた。

 そこで信長が使った意味を検討してゆくと、「是非に及ばず」の3分の2、また「是非なき題目」の少なくとも4分の3は「言語道断」と訳してよく、残りは「残念」または「面目ない」といったニュアンスだった。
 一方で、20近くあり、最も母数の多かった「是非なし」は勘定が難しい。複数の解釈が可能な場合が多く、これまた異論を承知のうえで「『言語道断』とも訳せる」として間口を広げると、その割合は70%をゆうに超した。
 信長以外の戦国武将らがこれらの表現を使ったさい、訳語としてもっとも多かったのは「すばらしい」。ただ、意味の広がりは否定的なものから肯定的なものまで『信長公記』を上回る。戦国期、そもそも「是非−」が“共通語”として通用していたのか疑わしいくらいだ。
 いや、ひょっとすると、「是非−」といった一連の表現そのものには意味はない可能性もある。枕詞(まくらことば)が変幻自在化したようなもので、ある感情を最大限に強調するときに用いられ、意味については、前後の言葉や文脈によって判断すべきなのかもしれない。
 そんななか、信長は彼独特の言語感覚を発揮し、おもに「言語道断」「けしからん」といった感情を表現するときに用いていた…。
 わかった。本能寺の変における「是非に及ばず」は彼の怒りと無念の爆発なのだ−。
 (疲れた…。でもまあ、答えらしきものは出せたかな)
 ひと息ついたときだった。
 「おいおい、おめでたい野郎だな。それで謎解きは終わりかい? 肝心の疑問に答えていないじゃないか。百歩譲って信長が『言語道断』という意味で『是非に及ばす』と言ったとしよう。ではそれは光秀に向けられているのか、それとも光秀の逆心を見抜けず、千載一遇の隙をみせた自分に向けられているのか。いったいどっちなんだい?」
 ふいに冷笑を含んだささやきが聞こえてきた。無茶(むちゃ)振りばかりする例の上司か? いや違う。妙に甲高い、聞いたことのない声だ。
 だれだ、お前は?(編集委員 関厚夫)


 ※中央公論社「世界の名著21マキアヴェリ」所収『君主論』(一部編集)

*2016.12.11 産経新聞より
(http://www.sankei.com/column/news/161211/clm1612110005-n1.html)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ま、歴史っていうのは生きている人が考えることだからね。本当のところは信長に聞いてみないとわからないよね。僕らがどう思うかだね。
井出浩司
2017/01/08 16:20

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