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zoom RSS 【敗者烈伝】〜織田信長(下)己自身に負けた英雄 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2016/06/04 23:57   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 元亀元(1570)年は織田信長にとって苦難の年の始まりだった。足利義昭、浅井長政、朝倉義景、比叡山、三好三人衆、松永久秀、伊勢長島一向一揆、雑賀(さいか)衆、毛利一族、石山本願寺といった敵に囲まれた上、武田信玄が上洛(じょうらく)の機をうかがっているという四面楚歌(そか)の状況である。ただし、これはひとえに信長の外交戦略に一貫性がなかったからで、後の秀吉や家康が備えていた外交手腕が、信長には欠けていた。
 元亀3年、武田信玄が西上作戦を開始する。ところが上洛途中に、信玄が病没してしまう。
 この僥倖(ぎょうこう)を信長は逃さない。信玄に呼応して挙兵した足利義昭を降伏に追い込み、越前の朝倉義景を屠(ほふ)り、返す刀で浅井長政を攻め滅ぼした。
 天正2(1574)年、三好義継を自害に追い込み、松永久秀を降(くだ)し、頑強な伊勢長島一向一揆さえも壊滅に追い込んだ信長は、翌天正3年5月、三河国の長篠で、信玄亡き後の武田軍を打ち破る。さらに越前一向一揆を討滅、丹波・丹後両国を平定、戦国最強の傭兵(ようへい)集団・雑賀党をも降伏に追い込んだ。

 信玄の病死を境に、信長に勝運が舞い込んだわけだが、こうした運を逃さないのも信長の強さの秘訣(ひけつ)である。流れを見極め、「今だ」と思った時に全力を投入する。これこそは、信長が他に抜きんでることができた最大の要因だろう。
 しかし、これだけ何もかもうまく回り始めると、人は増長する。「相次ぐ成功」→「自信過剰」→「自己肥大化」→「無反省」という負のスパイラルが回り始めるのだ。
 天正8年に難敵の石山本願寺を大坂から退去させた信長は天正9年、伊賀惣国(そうこく)一揆を掃討し、翌天正10年3月、かつて強勢を誇った甲斐の武田氏を滅亡に追い込んだ。
 そして、いよいよ本能寺の変となるわけだが、その詳細経緯は、昨年2月に掲載された「明智光秀」の回を参照してほしい。
画像
幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、月岡芳年が描いた本能寺の変での織田信長=明治11年(静岡県立中央図書館蔵)

 それでは信長の最終目標はどこにあったのか。言うまでもなく、大陸侵攻にあったと筆者は見ている。だが信長は、秀吉のように朝鮮半島や大陸を面で捉え、全土を支配しようなどとは考えなかった。おそらく寧波(ニンポー)・厦門(アモイ)・広州(香港(ホンコン))・澳門(マカオ)など、大陸にある有数の港町を点で押さえ、そこに城郭都市を築き、西洋諸国との交易から上がる利益を独占するつもりでいたのではないだろうか。

 むろん、それを史実として証明することはできない。だが、伊勢湾交易網の生み出す利益を知っていたこと、上洛するや堺を押さえ、また大坂を得るべく本願寺と十年戦争を繰り広げていたこと、さらに琵琶湖畔などに舟入(ふないり)を城内に取り込んだ水陸両用の城を築いていたこと(後に秀吉が、この技術を朝鮮半島の倭城に利用した)、天正10年に「天下の儀」を嫡男の信忠に譲っていることなどを考えると、状況証拠はそろっている。
 最後に信長の性格面から、その敗因を探っていくことにしよう。
 信長は、よい面と悪い面が極端な人間である。よい面は、決断力や行動力に秀で、問題を先送りせずに迅速に解決する。カリスマ的リーダーシップがあり、部下から絶大な信頼を寄せられる。目標達成意欲や上昇志向が強く、実力主義を徹底できる。問題が発生した際の即応力や俊敏性にも優れている。

 悪い面は、独断専行が行きすぎて周囲のアドバイスを聞かない。共感性に乏しく、他人の気持ちを考えない。自信過剰に陥り、敵をなめて掛かる。外交や調略を使わず、力ずくで敵を平らげようとする。権力欲や支配欲が旺盛に過ぎる。せっかちで我慢ができない。気分屋で首尾一貫性に欠ける。感情的で怒りっぽい。無反省な上に意固地で、物事を自責で考えない。見切りが早く、長い目で人材を育てられない。自分だけが常に正しいと信じている。猜疑心(さいぎしん)が強く、過去の恨みを忘れない。
 こうして書き連ねてみると、短所がはるかに長所を凌駕(りょうが)している。やはり本能寺の変の遠因は、信長自身が肥大化する己を抑えきれなくなったことにあると言えるだろう。人にとって最大の敵は己であり、己を克服した者だけが人生の勝者になれるのだ。
 連載好評につき、次回から産経新聞向けの書き下ろしとなる「番外・勝者編」を4回掲載します。第1回「源頼朝」は2月25日掲載です。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 本連載は月刊「J−novel」(実業之日本社)に掲載された作品のダイジェスト版です。

*2016.02.04 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/160204/lif1602040015-n1.html)

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内 容 ニックネーム/日時
約束は守る、人だったよね。織田徳川連盟はまれに見る長続きした同盟ではないかな。ロシアにも見習ってほしい。
井出浩司
2016/06/05 04:44

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