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zoom RSS 【敗者烈伝】〜豊臣秀頼(下)滅亡早めた城郭網の不備 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2016/05/03 16:53   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 周知の通り、関ケ原合戦は、徳川方の一方的勝利に終わった。これにより豊臣家は、統一政権から摂河泉(せっかせん)65万7千石の一大名に格下げされた。それでも秀吉恩顧の大名たちが生きている限り、徳川家康も容易に手が出せない。
 ところが慶長16(1611)年、浅野長政、堀尾吉晴、加藤清正が相次いで没した。彼らは家康より若く、それまで病気がちとも伝えられていないことから、家康の手の者による毒殺説というのも、あながち偽りとは言えない。家康は残り時間が少ないので、どんな手でも使っただろう。
 慶長8年、62歳の家康は征夷大将軍となり、江戸幕府を開いた。同年8月には、秀頼(11歳)と千姫(7歳)の婚約を決める。千姫は家康の孫で、秀忠の娘にあたる。家康としては、時間切れ(急死)という事態を迎えた場合のリスクヘッジをしたのだろう。
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大坂の陣で豊臣家と徳川家が激戦を繰り広げた大阪城(大坂城)。この堀の内側で淀殿と豊臣秀頼は自害した=大阪市中央区

 実は、ここが一つの転機だった。もしも秀頼が大坂城を出て完全な公家となるなら、家康は秀頼の関白就任を許さずとも、豊臣家を残した可能性はなくもない。
 一方、家康の立場も苦しい。後継者として将軍位を譲った秀忠は、豊臣恩顧の諸大名を従わせるほどの器量と実績を持ち合わせていない。そうなれば自分が元気なうちに、軍事力で豊臣家を滅ぼすしかないと思うのは当然だろう。
 ところが天下の兵を動かすには、それなりの大義が要る。そうした中、苦肉の策として考え出されたのが、慶長19年7月の「方広寺鐘銘事件」である。
 結局、それをきっかけとして大坂冬の陣と夏の陣が勃発、豊臣家は滅ぼされ、秀頼は23年の生涯を閉じることになる。
 歴史を後世から見ると、豊臣家の滅亡は必然だったように思えてくる。しかし統一政権としての存続は難しくても、豊臣家が生き延びる可能性が、なかったとは言いきれない。

 その鍵は家康の年齢である。それがある限り、豊臣家は勝つための戦をする必要はなく、負けない戦をすればよいのだ。つまり秀頼は、生きているだけで活路が見いだせるので、時間を稼ぐことに徹すればよかったはずである。
 それでは私が豊臣家の執政なら、関ケ原合戦の敗戦後に何をやったか。
 ずばり城郭ネットワークの構築である。城というのは、いかに難攻不落の名城とて、一城では、守るにも限界がある。しかしネットワーク化することにより、敵兵力を分散させることができ、そこに付け入る隙も出てくる。
 とくに大坂城の場合、淀川を使った補給が生命線になるので、その流域を守れるようにしておく。また大坂城は南面が弱点なので、四天王寺の辺りに、ある程度の規模の城を築いておく。こうしておけば、家康が大軍を催してきても(結局、そうなったのだが)、大坂城一つに籠もるよりも時間が稼げる。
 ただし、何事もシナリオ通りに進むという保証はない。現に小田原合戦で、この戦略を実践した北条氏は、支城が相次いで降伏してしまい、ネットワークが機能しなかった。それでも、大坂城だけで戦うよりはましなはずだ。
 最後になったが、豊臣家滅亡の原因が、秀吉にあったことは明らかである。すなわち、家康と決着をつけておかなかったこと、秀次を自害に追い込んだこと、朝鮮出兵を断行したこと、この3点によって豊臣家の没落は見えていた。結果論ではなく、朝鮮出兵にかけた経費を家康討伐に使い、秀次に中継ぎを託していれば、少なくとも豊臣家は、秀頼の代では滅びなかったはずだ。

 秀頼は天下の統治者としての大きな可能性を秘めながら、それを開花させることなく滅んでいった。歴史というのは、時に残酷なものである。
 次回「徳川慶喜」は12月24日に掲載します。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
                   ◇
 本連載は月刊「J−novel」(実業之日本社)に掲載された作品のダイジェスト版です。


*2015.12.03 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/151203/lif1512030011-n1.html)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
信長と秀吉&イケメンの浅井長政の血を引いてる人だから、もったいないよね。
井出浩司
2016/05/03 19:41
僕は、外で小さな戦いを何度かするべきだったと思う。あと外国にSOSだね。ポルトガルとか。
井出浩司
2016/05/04 06:50

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