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zoom RSS 【敗者烈伝】〜平将門(下) 失敗の原因は連勝にあり 自信過剰に陥り「敵」侮る 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2016/03/20 10:45   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 将門が罪に問われなかったため、反将門派諸将には武力による打倒しかなくなる。良兼(よしかね)は一致団結して将門を討伐すべしと、平氏一門やその伴類(ばんるい)に呼び掛けたので、兵は集まり、承平7(937)年8月、連合軍は子飼渡(こがいのわたし)に押し寄せた。
 一方、同年5月に帰国していた将門は、上洛の疲れや油断もあって対応が遅れた。伴類に呼び掛ける暇がなく、兵が集まらないのだ。しかも出陣した直後に脚気(かっけ)を患い、自ら陣頭に立てなくなった。
 この時代の軍隊は、武勇を誇る統率者によって成り立っており、将門軍もその例に漏れない。つまり将門が陣頭に立てなければ、全く士気が上がらないのだ。致し方なく将門は、戦闘を避けて後退する。一方、勢いに乗った良兼らは豊田郡に乱入、略奪と放火を繰り広げた。この時、将門の妻子も殺された。
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関東独立の夢を求めた姿という平将門の騎馬像=茨城県坂東市

 将門は猿島(さしま)郡の湿地帯に身を隠したが、党は離散し、伴類も離れていった。営所も破壊され、蓄えていた武器と兵糧も奪われた。良兼らが去った後、将門は猿島郡に本拠を移し、石井(いわい)の営所を築き始める。
 10月、今度こそ将門を討とうと、良兼が再び動き出す。一方の将門は、1800の兵を率いて真壁郡に進出する。将門軍は緒戦で良兼軍を破ると、その勢いで筑波郡にある良正と貞盛の所領に攻め入り、2人の所領を焼き尽くした。この時、良正と源護は討ち死にしたらしく、以後、記録に現れない。同年12月、上総国に逃げ帰っていた良兼は、石井の営所を夜襲するが、将門の返り討ちに遭い、これも失敗する。

 ところがこの頃になると、将門にも驕(おご)りが目立ち始めていた。武蔵権守(ごんのかみ)の興世王(おきよおう)や藤原玄明(はるあき)といった「悪徳受領(ずりょう)」や「国の乱人」を食客(しょっかく)として石井の営所に迎え、将門軍は反乱軍の様相を呈していく。
 こうした最中の天慶(てんぎょう)2(939)年6月、良兼が病死し、敵は貞盛だけとなった。
 同年10月、常陸国府は将門に「国の乱人」の玄明を引き渡すよう求めたが、将門はこれを拒絶し、逆に常陸国府に攻め寄せた。これにより将門は朝敵となった。
 将門の「宰人(さいじん)(軍師や相談役)」の興世王は、ここで関東8カ国の制覇を将門に勧める。12月、意を決した将門は下野国府に向かい、これを降伏させる。
 続いて将門は、上野国の国府も降伏させた。ここで将門は、その与党を関東8カ国の受領に補任(ぶにん)し、自らを「新皇」と呼ばせた。
 天慶3年になり、貞盛は反将門勢力を結集し、最後の決戦を挑もうとしていた。そのためには、下野国の一大勢力である藤原秀郷(ひでさと)に味方してほしい。貞盛は秀郷を必死に説得し、味方に付けることに成功する。かくして2月、貞盛・秀郷連合軍4千余は下野国から侵攻を開始した。
 この時、将門は与党を関東8カ国の受領に任命し、現地に赴任させていたので、兵力不足となっていた。それでも機先を制すべく、手持ちの兵力だけで下野国に向けて出陣する。

 これを知った連合軍は、将門を下野国深くに引き付けて戦うことにした。秀郷は、自領の被害よりも地の利を選んだのだ。
 将門は果敢に勝負を挑むが、惨敗を喫する。敗れた将門は猿島郡北山まで引き、今度は逆に自領内の湿地帯に敵を引き付けて戦おうとするが、下野国で惨敗を喫したという噂が広まり、味方は集まらない。それでも将門は、400余に減った兵力で最後の決戦を挑んだ。
 将門は善戦したが、最後には敗れ、敵の流れ矢に額を射抜かれて即死した。これにより将門軍は瓦解(がかい)する。将門一個の武勇に頼った軍勢は、将門が斃(たお)れた瞬間に瓦解し、やがて関東8カ国に散っていた興世王たちも、各個撃破されることになる。
 かくして平将門の乱は終息した。将門の失敗は、相次ぐ勝利によって自信過剰に陥り、敵を侮ったことだろう。しかも興世王ら佞臣(ねいしん)たちにおだてられて国府を攻撃し、自ら朝敵となったのは致命的だった。過大な野望を持たずに、関東の所領争いという線でとどめておけば、将門にも勝機は十分にあったのだ。
 正義を貫く、大義を掲げる、自信過剰に陥らない、周囲に茶坊主やイエスマンを置かない、後継者を育てておくといったリーダーの鉄則は、いつの時代も共通しているのだ。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 次回「源義経」は10月29日に掲載します。
 本連載は月刊「J−novel」(実業之日本社)に掲載された作品のダイジェスト版です。

*2015.10.08 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/151008/lif1510080016-n1.html)

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勝ち続ける人いないからね。バブルとか景気循環とか全部そうだね。
井出浩司
2016/03/21 17:23

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