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zoom RSS 【敗者烈伝】〜蘇我馬子(上)強引な手法で絶頂期築く 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2016/03/12 21:37   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 誰もがロマンをかき立てられる飛鳥の都。そこで6世紀から7世紀にかけて、一大勢力を誇ったのが、稲目(いなめ)、馬子(うまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)の蘇我氏4代である。
 稲目の名が初めて歴史に登場するのは、宣化(せんか)帝元(536)年の大臣(おおおみ)就任を示す『日本書紀』の記載である。稲目は欽明(きんめい)帝31(570)年に死去するまで、この地位にとどまっており、大伴(おおとも)氏や物部(もののべ)氏とともに、長期にわたって政権の中枢にいたことが分かる。
 稲目は、新たに服属してきた豪族に所領の一部を屯倉(みやけ)(朝廷の直轄領)として差し出させ、朝廷の収入を増大させることで発言力を増し、2人の娘を欽明帝の后(きさき)にすることに成功する。これにより2つの蘇我氏系嫡流を創出し、この2流から生まれた用明(ようめい)、崇峻(すしゅん)、推古(すいこ)の3人が帝位に就くことになる。
 蘇我氏は仏教受容を推進した崇仏(すうぶつ)派としても名高いが、土木建築・兵器製造で力を発揮した倭漢(やまとのあや)氏や、仏像制作に秀でた鞍作(くらつくり)氏といった渡来系氏族を傘下に従えて軍事力を養い、廃仏派の物部氏との対立を顕著にしていく。

 『日本書紀』によると、欽明帝13(552)年に正規の外交ルートを通じて百済から入ってきた仏教は、その精緻な論理によって学識者たちを虜(とりこ)にした。欽明帝もその一人で、仏教を受け入れるか否かを群臣に問うたところ、稲目は受容に賛意を示すが、物部尾輿(おこし)や中臣鎌子(なかとみの・かまこ)らは反対する。その対立は、次代の馬子VS物部守屋・中臣勝海(かつみ)へと引き継がれていった。
 こうしたことから、初代の稲目は経済感覚に優れている上、伝統や因習にとらわれない野心家だったと分かる。渡来系氏族を優遇し、仏教を自らの勢力拡大に結び付けるところなどは、その感覚の鋭さと狡猾(こうかつ)さを物語っている。
 用明帝2(587)年4月、欽明、敏達(びだつ)と続いた帝位を引き継いだ用明帝が重篤となり、群臣の間で、仏教受容の可否が再び議論された。病魔退散の祈祷(きとう)を仏式にするか、神式にするかという対立である。
 この時、稲目の跡を継いだ馬子は、ライバルの中臣勝海を殺害することで勝負に出る。その後、すぐに帝も崩御(ほうぎょ)し、蘇我氏と物部氏の対立は、王位継承をめぐる武力闘争へと発展していく。

 馬子は、物部守屋が擁立しようとしていた穴穂部皇子(あなほべのみこ)と、それを支援する宅部(やかべの)皇子を殺すや、返す刀で物部氏を攻め滅ぼし、独裁的権力を確立する。この見事な手際は、馬子の豪胆さや果断さを物語っている。
画像
蘇我馬子の墓と推定される奈良県明日香村の石舞台古墳


 かくして馬子は、蘇我氏系の崇峻帝を帝位に就けるが、崇峻帝が策謀をめぐらし、馬子を失脚させようとしたため、崇峻帝5(592)年、崇峻帝を謀殺する。歴代天皇で殺されたことが明らかなのは、崇峻帝だけである。これにより馬子は独裁者と化し、傀儡(かいらい)も同然の推古帝(女性)を即位させる。
 ここに一人の男が登場する。推古帝の甥にあたる厩戸(うまやどの)皇子こと聖徳太子である。
 厩戸皇子は出自が蘇我氏系ということもあり、馬子によって推古帝の執政の座に就けられ、馬子とともに政務を執ることになった。この二人三脚体制はうまくいき、蘇我氏は絶頂期を迎える。しかし推古帝30(622)年と同34年に、厩戸皇子と馬子が相次いで死去することで、一つの時代が終わりを告げる。
 蘇我氏は、次代の蝦夷へと引き継がれていく。(次回に続く)
【プロフィル】蘇我馬子
 そがの・うまこ 生年不詳。6世紀半ばごろ、蘇我稲目の子として生まれる。敏達天皇の時代に大臣となり、渡来した仏教の受容をめぐって廃仏派と対立。穴穂部皇子や物部守屋らを滅ぼし、また崇峻天皇の暗殺、推古天皇の即位などで政治の実権を握る。以後、厩戸皇子と共同で政権を担い、飛鳥寺の建立や史書「天皇記」「国記」の編纂(へんさん)などの事業を行った。推古帝34(626)年、死去。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 本連載は月刊「J−novel」(実業之日本社)に掲載された作品のダイジェスト版です。

*2015.09.03 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150903/lif1509030007-n1.html)

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コメント(1件)

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JR京葉線蘇我駅、外房と内房の分岐点なんだけど、蘇我氏と関係あるっていう説もあります。
井出浩司
2016/03/13 07:42

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