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zoom RSS 【敗者烈伝】〜作家・伊東潤 天草四郎(下) ビジョンなき籠城戦の悲劇

<<   作成日時 : 2016/03/06 15:32   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 寛永14(1637)年11月末、第一陣だけで鎮定できるか不安になった幕閣は、後詰(ごづめ)勢の派遣を決定、その正使に知恵伊豆こと松平伊豆守信綱を任命した。
 一方、一揆勢は糧秣(りょうまつ)を原城に運び入れ、籠城準備を整えていた。城に籠もった人々は、女子供も含めて2万5千から3万7千といわれる。
 原城は東南が海に面している後ろ堅固の平城で、残る三方は陸続きだが、泥田や湿地が広がり、極めて城に近づきにくい地勢にある。また原城の枡形虎口(ますがたこぐち)は、本丸の2分の1にも及ぶ巨大さで、そこに敵を集めて殲滅(せんめつ)するキルゾーンを形成していた。
 こうした大要害に平寄せすればどうなるか、寄手(よせて)諸将にも分かっていたはずだ。しかし農民を見下し、さらに「功を挙げる機会はここしかない」と焦っている武士たちにとっては、それを考慮している暇はない。諸大名の陣中には、陣借りの牢人(ろうにん)も多くいた。
 かくして12月10日、攻撃が開始された。ひた押しに押す寄手に対し、城方は正確な射撃で応戦し、屍(しかばね)の山を築いていく。

 この損害に驚いた総指揮官の板倉重昌は、仕寄(しより)と呼ばれる土俵(つちだわら)や竹束(たけたば)を並べ、井楼(せいろう)を築き、大筒を撃ち掛けつつ、じわじわと包囲陣を狭めていこうとした。さらに原城を二重の柵で取り囲むことで、城方の逆襲を防ぎ、築山(つきやま)という小山をいくつも築き、諸大名の陣所から最前線の仕寄までの交通壕(ごう)として、ジグザグ状の塹壕(ざんごう)まで掘らせた。しかし、一揆勢の正確な射撃に晒(さら)されながらの作業ははかどらず、板倉を苛(いら)立たせた。
 そんな最中の20日頃、板倉の元に後詰勢来援の一報が届く。この情報は諸大名間にも伝わり、諸大名は指揮官が交代すると察し、積極的に仕掛けなくなった。いわゆる板倉のレームダック化である。これにより板倉に焦りが生じ、一気に勝敗を決しようとする。
 寛永15年元旦、幕府軍の総攻撃が始まった。三の丸の塀際まで迫った寄手だったが、結局、城を攻め落とせず、4400もの死傷者を出して撤退する。この時、先頭を切って城に取り付いた板倉は、眉間を撃ち抜かれて即死。副使の石谷貞清も重傷を負った。一方、一揆勢の死傷者は、わずか17だったという。

 正月4日、知恵伊豆が島原に到着した。知恵伊豆は力攻めを中止し、築山の普請と井楼の築造を急がせた。
 2月に入り、築山や井楼からの砲銃撃が可能となり、城内にも被害が出始めた。2月半ばになると、城方の弾薬不足が深刻になり、さらに兵糧も欠乏し、籠城は限界に近づきつつあった。
 16日には、四郎の住む小屋に被弾があり、四郎が負傷することで、四郎に神通力がないと知れわたり、一揆勢の士気は、みるみる落ちていった。
 27日、幕府軍の総攻めが始まった。一揆勢の抵抗は微弱で、三の丸と二の丸を次々と放棄し、本丸に追い込まれた。最後は、本丸に乗り入れた幕府軍と一揆勢の白兵戦が展開されたが、それは次第に殲滅戦の様相を呈し、そこかしこで凄惨(せいさん)な虐殺が行われた。
 一揆勢は投降した婦女子も含め、ほぼ全員が殺された。天草四郎も甚兵衛も討ち取られた。
 一方、幕府軍全体の即死者は、この日だけで1015人とされるが、この時の傷がもとで後に死んだ者を含めると、かなりの数に上ったはずだ。それだけ、一揆勢の抵抗が激しかったことを物語っている。
 乱後、幕府はキリシタンへの締め付けを強め、鎖国政策を推し進めていくことになる。つまり逆説的だが、天草・島原の乱こそ、日本にキリスト教が広まらなかった遠因となったのだ。

 天草・島原の乱は、偶発的なきっかけによって起こったが、それが最後まで尾を引き、計画性がなく行き当たりばったりで、勝算は他力頼みにしかないという無理のある戦争だった。
 そもそも甚兵衛らの目的は「乱に勝つ」ことではなく、「キリスト教を広める」ことのはずだ。しかしいつの間にか、手段が目的となり、手段のためにモチベーションを高めていかねばならなかった。しかも勝算はなきに等しく、ましてや敗れて殺されたとしても、殉教者になれるというキリシタン独特の逃げ道が用意されている。これでは、勝てという方に無理がある。
 戦争はビジネスと同じく、明確なビジョンと目的、そして自力での勝算が必要なのだ。
 次回「蘇我馬子」は9月3日に掲載します。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。

*2015.08.13 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150813/lif1508130011-n1.html)

*急告*
伊東潤さんの新作が3月8日に発売になります。舞台は謙信VS信玄の川中島。題して「吹けよ風 呼べよ嵐 」




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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
基本、戦争とか、ビジョンないと思う。思い込みだけだね。
井出浩司
2016/03/06 20:05

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