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zoom RSS 【敗者烈伝】〜藤原頼長(下) 自負心の強さが命取りに 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2016/01/03 21:55   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 『愚管抄(ぐかんしょう)』の著者・慈円(じえん)が「日本第一の大学生(だいがくしょう)」とたたえるほど優秀だった藤原頼長だが、『今鏡』に「なにごともいみじくきびしき人」と記されるほど厳格な性格でもあり、腐敗した政治の一新を目指し、律令に反した官人には、容赦なく罰を下した。
 「是非明察」「善悪無二」を貫く正義漢と評された頼長だが、諸方面から不平不満が噴出し、遂(つい)には「悪左府(あくさふ)」と呼ばれるまでになる。
 頼長の強引さには、鳥羽院でさえ愛想をつかし、「うとみ思(おぼし)召(め)しにけり」(『愚管抄』)というほどになったという。これに慌てた父、忠実(ただざね)は、さかんに頼長をいさめたが、その暴走は止まらず、孤立は深まっていった。
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藤原頼長=「天子摂関御影」から

 一方の忠通(ただみち)は、院政の執行機関である院近臣勢力に接近し、鳥羽院近臣の信西(しんぜい)と手を組んだ。忠通は信西の力で鳥羽院を動かし、忠実・頼長父子を失脚させようとしたのだ。この時、信西は鳥羽院に、「頼長は近衛帝に譲位させ、崇徳(すとく)院の息子・重仁(しげひと)を帝位に就けようとしている」と讒言(ざんげん)し、衰えの目立ってきた鳥羽院を慌てさせた。

 実は、崇徳院は鳥羽院の祖父である白河院の子なのだが、鳥羽院の子として養育されたため、重仁が帝位に就いてしまうと、鳥羽院の皇統が絶えることになるのだ。
 しかし久寿(きゅうじゅ)2(1155)年、近衛帝が、わずか17歳で病死してしまう。近衛帝に皇子はなく、帝位には重仁が就くものと思われた。早速、公卿(くぎょう)や院近臣を中心に「王者議定(ぎじょう)」が開かれたが、信西が養育係を務める雅仁(まさひと)こと、後の後白河帝が皇位に就いた。むろん信西の差し金である。
 「新天皇は雅仁」という議定の結果が発表され、忠通に関白再任の宣旨(せんじ)が下された。しかし頼長に内覧再任の宣旨はなく、頼長の失脚が明らかとなる。この結果に落胆したのは、重仁の父の崇徳院も同じである。その崇徳院と忠実・頼長父子が手を組むのは、時間の問題だった。
 保元元(1156)年7月、鳥羽院が崩御(ほうぎょ)するや、後白河陣営の主導権を握った信西は、忠実・頼長父子の謀反をでっち上げ、挙兵に追い込む。結局、苦し紛れに挙兵した崇徳陣営に兵は集まらず、一方、後白河陣営には、平清盛や源義朝といった武門の有力者が集まり、保元の乱は瞬く間に決着した。

 この結果、崇徳院は出家させられ、讃岐(さぬき)国に配流される。忠実は奈良興福寺に逃げ込んだ末に投降し、6年後に死去する。合戦の最中に頭部に矢傷を負った頼長は、桂川を下って興福寺にいる忠実に助けを求めるが拒否され、絶望のうちに息絶えた。享年は37だった。
 しかし戦後、忠通は摂関家の権益や荘園を、後白河帝の権力を背景にした信西によって取り上げられた上、敗者同然の扱いを受ける。これにより、白河・鳥羽両院時代を通じて続いてきた院近臣と摂関家の併存的政治体制は崩壊し、信西の独裁制が確立された。ところが、保元の乱に続く平治の乱で信西が殺されるに及び、院近臣勢力も淘汰(とうた)され、武士の時代が幕を開ける。
 保元・平治の乱の歴史的意義は、皇位の行方や公家の政治生命が、天皇の権威でも政治的駆け引きでもなく、武力によって決定されたことにある。
 どのような世界にも優秀な人はいる。だからといって、政治力に長(た)けているとは限らない。摂関家の権力闘争は、結果的に凡庸な忠通が勝者となり、優秀な頼長は敗者となった。

 頼長の敗因は、綱紀粛正を急ぎすぎた点、兄、忠通の政治力を侮っていた点、鳥羽院を取り込まれた点、崇徳院と組んでしまった点にある。しかし真の敗因は、頼長の心の内にあった。頼長は自負心が強すぎ、己一個の力で、道長の時代の栄光を取り戻せると思っていたに違いない。
 結果論ではなく、兄の子の基実(もとざね)を養子にして忠通と妥協するとか、院近臣勢力に接近し、信西と権力を分け合うこともできたはずである。しかし頼長は己を恃(たの)みすぎた。
 「日本第一の大学生」とまでたたえられ、「悪左府」とまで恐れられた頼長だが、藤原摂関家の衰退を早める役割を果たしたにすぎなかった。頼長は自負心こそ最も恐ろしいものだと、われわれに教えてくれている。
 次回「桐野利秋」は6月11日に掲載します。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2015.05.21 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150521/lif1505210039-n1.html)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
十字軍の頃だよね。あのころから今のテロの元が始まってるわけで、根は深い。韓国は40年でこれだからね。
井出浩司
2016/01/04 06:21

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