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zoom RSS 【敗者烈伝】〜榎本武揚(上) 繊細な風貌の下に気骨 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2015/12/19 21:00   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 榎本釜次郎こと武揚は天保7(1836)年、幕臣の次男として江戸で生まれた。幼い頃から優秀で、15歳で昌平黌(しょうへいこう)に入学、18歳で卒業した。しかし余暇を使って蘭語と英語を学び、洋学に傾倒したため、儒学と漢学を主要科目としていた昌平黌での成績は悪く、エリート幕吏への道は閉ざされた。
 転機となったのは安政元(1854)年、19歳の時、箱館奉行・堀織部正(ほりおりべのしょう)の従者として蝦夷地を探検したことである。この時、榎本は蝦夷地の無限の可能性を知り、それが、後に箱館戦争を起こす遠因となる。
 安政2年、江戸に戻った榎本は、長崎海軍伝習所に入学、オランダ人講師から航海術や海軍戦術を学んだ。
 文久2(1862)年、幕府は最新鋭の軍艦・開陽丸をオランダに発注、同時に榎本ら15名の留学生を派遣した。榎本は航海術、蒸気機関学、機械工学、電信技術、国際法など多くの分野を習得した。
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オランダ留学時代の榎本武揚(国立国会図書館蔵)

 慶応3(1867)年3月、榎本は進水成った開陽丸に乗って横浜に到着する。ところが、国内の情勢は一変していた。西国雄藩の台頭である。とくにイギリスと組んで近代化を推し進める薩摩藩と、第二次長州征伐を弾き返した長州藩の力は、侮れないものになっていた。

 こうした最中に帰国した榎本は、幕府の期待を担って異例の出世を遂げ、海軍副総裁まで上り詰める。ところが慶応3年10月、将軍慶喜は大政を奉還、王政復古の大号令が発せられる。
 政権を返上しても、慶喜は諸侯会議の議長の座に就き、徳川家の所領と権益を守ろうとした。しかし新政府は、容赦なく慶喜に辞官納地(じかんのうち)を命じる。これに怒った慶喜は、翌慶応4年正月、軍事力で朝廷を威圧し、辞官納地を取り下げさせようとした。これをきっかけとして鳥羽・伏見の戦いが勃発、朝敵となった旧幕府軍は惨敗を喫する。この時、榎本は旧幕府海軍を率いて大坂湾にいた。
 1月4日、榎本の乗る開陽丸は、停船命令を無視した薩摩藩の春日丸と翔鳳(しょうほう)丸に砲撃を加える。わが国初の洋式艦船による砲撃戦となった阿波(あわ)沖海戦である。しかし互いに命中弾はなく、榎本は春日丸を取り逃がしてしまう。それでも機関が故障した翔鳳丸を追い込み、座礁(ざしょう)させた上、自焼させた。これにより榎本は、そのデビュー戦を白星で飾った。

 ところが大坂湾に戻ってみると、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いで大敗を喫していた。榎本は大坂城に伺候(しこう)し、慶喜に籠城戦をさせようとするが、すでにこの時、慶喜は城を脱出しており、入れ違うようにして開陽丸に乗り込み、江戸まで逃げ帰ってしまう。致し方なく、敗残兵をまとめて江戸に戻った榎本は、徹底抗戦を唱えるが、慶喜は謹慎恭順の姿勢を崩さず、3月には江戸城の無血開城が決まった。
 榎本という男には、どことなくナイーブで繊細なイメージが付きまとう。大身の幕臣という出自、長身の上にハンサムな風貌、また洋学に精通した才人といった要素などから、そのイメージは形作られてきたのだろう。しかも箱館戦争末期、自決しようとして止められたことで、そのイメージは定着した。しかし榎本の本質は、古武士のような意志の強さと負けず嫌いなところにあった。
 それでは、なぜ榎本は戦いに踏み切ったのか。勝算はどこにあったのか。(次週に続く)
【プロフィル】榎本武揚
 えのもと・たけあき 天保7(1836)年、旗本の息子として江戸に生まれる。オランダ留学後、幕府海軍副総裁に。江戸開城後、幕府艦隊の引き渡しを拒否して抗戦を続け、「蝦夷共和国」総裁となるが降伏。その後赦免されて新政府に出仕し、海軍卿、逓信相、外相などを歴任。明治41(1908)年、死去。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2015.03.12 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150312/lif1503120015-n1.html)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
五稜郭タワー建設中に行った。2005年ころ。亡父と。いい思い出だね。
井出浩司
2015/12/20 07:01

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