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zoom RSS 【敗者烈伝】〜明智光秀(下) 信長殺害は「手違い」だった? 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2015/12/13 14:16   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 それでは、本能寺の変に至るまでの明智光秀の軌跡を整理してみよう。
 天正10(1582)年5月17日=備中への援軍を命じられ、安土から坂本城へ▽同26日=坂本城を発し、丹波亀山城へ▽同27日=愛宕山に参詣し、一晩籠もる▽同28日=連歌を興行し、発句を詠む。その後、亀山に帰る(天正10年5月は「小の月」なので29日まで)▽6月1日=亀山城を出陣、山陰道を進む▽同2日=未明に桂川を渡り、本能寺を襲撃
 一方、織田信長の関心は、少ない供回りで安土にやってきた徳川家康を、どこで殺すかである。忠実な同盟者を安土で殺してしまっては、天下の威信を失う。光秀は、この点を指摘したのではないだろうか。
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京都・小栗栖で落ち武者狩りにあう明智光秀 =『国史画帖大和桜』(昭和10年刊)から

 信長は、出陣支度で大わらわの安土では、饗応(きょうおう)が十分に尽くせないことを理由に、家康に京都行きを勧める。この話を家康は断り切れない。
 この頃の家康の行動を整理すると、以下のようになる。
 5月15日=安土入り▽同17日=安土での饗応▽同19日=安土ハ見寺(そうけんじ)で能興行▽同21日=京都入り▽同22〜27日=京都見物▽同28日=京都出発、その日のうちに大坂入り▽同29日=大坂出発、堺入り▽6月1日=堺で1日3回の茶会▽同2日=信長の命により京都に向けて出発

 家康は、信長の命によって畿内を行き来させられた。しかもこの日程は、信長の指示によって頻繁に変えられた。おそらく光秀は、野盗か野伏(のぶせり)を装って家康を襲撃し、信長の信用を落とさないようにして家康を葬り去ろうと、信長に提案していたのだろう。
 しかし家康は隙を見せない。しかも家康には、茶屋四郎次郎という諜報機関があり、信長の行動は逐一、入っていた。それゆえ光秀はそれを逆手に取り、信長本人を囮(おとり)として家康をおびき出そうとした。
 5月29日、信長は備中への後詰めのために入洛する。しかし供回りはわずかで、馬廻(うままわり)衆をはじめとした主力部隊は安土にとどまっている。15日に救援要請が入ったのだから、16日には陣触れを出しているはずで、兵農分離が進んでいる織田軍団としては、あまりに遅い。つまり信長から馬廻衆に、安土にとどまるようにという指示が出ていたとしか思えない。
 京都に来るよう信長から命じられた家康は、6月2日の朝、堺を出発した。むろん茶屋四郎次郎からの情報により、織田軍主力が安土にとどまっていると知って、安心して上洛の途に就いたはずである。

 危ういのはその途次である。家康は先触れを出して慎重に進んだ。しかし信長は、家康を本能寺に招き入れ、自分が抜け出した後に、野盗を装った明智勢に襲わせようとしていた。しかし、そこで手違いが生じた。ないしは信長がいると知っていながら、光秀は本能寺を襲った。
 『信長公記』によると、襲撃前日の6月1日に重臣たちに決意を語っているので、“確信犯”の可能性が高い。だとすると黒光秀の面目躍如である。しかし、変後の準備不足を考慮すると、手違いが生じて信長を殺してしまったという線も捨てきれない。
 さて、これが私の考える本能寺の変である。もちろん、状況証拠を積み上げた末の仮説にすぎないことは断っておく。
 黒光秀なら、家康を討つと言っておきながら、信長をだまし討ちにした可能性は十分にある。問題は、本能寺の変を成功させた後である。これまで用意周到だった光秀が、人が変わったように後手に回り、勝者から敗者へと転落している。とくに味方を増やせないまま、秀吉と戦い、無残な敗北を喫するのは、いかにもおかしい。
 こうなると光秀という人物の本質がどこにあったのか、本当に分からなくなる。手違い説だと、うまく説明できるのだが、それ以外、変後の計画性がないことを説明できない。

 本能寺の変は謎のベールに包まれている。その理由の一つは、光秀という人物の「己を偽装するのに抜け目がない」と言われるほどの捉えどころのなさに起因している。黒か白か、または二面性を有していたのか。人というのは実に謎に満ちている。完璧な作戦で勝者となったにもかかわらず、その後の計画性がなく、光秀は敗者に転落した。そこには、何か大きな謎が介在していたとしか思えない。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 次回「榎本武揚」は3月12日に掲載します。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。

*2015.02.19 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150219/lif1502190014-n1.html)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
僕も戦記大好きだけど、コミックで読むと面白いよ。
理由:漫画で顔・体型が出るのでイメージがわかる。
例:明智光秀-ロンゲのイケメン、お市の方-メチャいい女、淀君-メチャいい女&巨乳。
参考までに。http://www.cmoa.jp/title/71190/
井出浩司
2015/12/13 18:11

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