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zoom RSS 【敗者烈伝】〜兄への甘さが命取りになった足利直義 いつの時代も「身内にも冷徹でいられる者」だけが生き

<<   作成日時 : 2015/12/06 14:54   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 建武2(1335)年11月、後醍醐帝の意を受けた新田義貞が、追討軍を率いて東下してくる。これに対して足利尊氏は、帝に弓引くことを嫌がり、髻(もとどり)を落として寺に引き籠(こも)ってしまう。致し方なく迎撃に向かった直義(ただよし)だが、連戦連敗を重ね、箱根まで後退した。
 どうも直義というのは戦下手である。表裏なき正直な人間性が、軍事面では裏目に出てしまうのかもしれない。しかし尊氏が戦線に復帰することで、新田軍を箱根竹下の戦いで破った足利軍は、上洛の途に就く。
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天保15(1844)年刊の「英雄百人一首」で描かれた足利直義 (跡見学園女子大学図書館蔵)

 建武3年正月、足利軍は上洛を果たすが、今度は、追尾してきた奥州探題の北畠顕家軍に敗れて九州まで落ちていく。しかし4月、足利軍は再び勢いを盛り返し、上洛戦を展開、5月には湊川で新田・楠木両軍を破り、楠木正成(まさしげ)を討ち取った。
 6月、上洛を果たした足利軍は、8月、持明院統の光明帝を擁立し、建武式目十七条を制定する。そして暦応元(1338)年、尊氏は征夷大将軍に任じられ、室町幕府を開くことになる。
 吉野に逼塞(ひっそく)する南朝勢力は次第に衰微し、暦応2年8月、後醍醐帝が死去することによって、その退潮は決定付けられた。

 常であれば、これで足利兄弟は手を取り合い、新たな武士の世を築くことになるのだが、家中には、獅子身中の虫・高師直(こうのもろなお)が健在である。
 直義というのは、清廉潔白・謹厳実直で表裏のない男だった。何事にも杓子(しゃくし)定規に対応し、清濁併せのむことができない。政治家や軍人というより裁判官向きの性格である。また保守的でもあるため、朝廷・公家・寺社といった既得権益層の利益を守り、さらに、鎌倉幕府時代からの有力御家人層を保護するという方向に走っていく。しかし室町幕府創設の原動力となったのは、畿内の土豪や地侍といった新興武士層である。ライバルの師直は、こういった新興武士層を与党化して直義に対抗した。
 両者の対立が明らかになるのは、貞和5(1349)年閏(うるう)6月である。直義派の上杉重能(しげよし)と畠山直宗(ただむね)が、師直の謀殺を企てたのだ。これは未遂に終わったが、怒った師直は8月、軍勢を呼び寄せて直義を襲撃、直義は尊氏邸に逃げ込んだ。
 結局、師直は尊氏の顔を立てて包囲を解くが、直義は出家得度させられ、上杉重能と畠山直宗は配流先で謀殺され、その権力基盤は崩れ去ったかに見えた。
 しかし観応元(1350)年10月、軟禁状態だった直義が出奔、かつての与党の再組織化に成功、さらに南朝と手を組むという離れ業をも演じる。

 観応2年2月、尊氏と師直を摂津国の打出浜(うちではま)で破った直義は、師直一派を処刑し、尊氏の無力化に成功する。
 後から思えば、ここで尊氏を隠退させた上、嫡男の義詮(よしあきら)ともども暗殺し、直義の養子になっている直冬(ただふゆ)を九州から呼び寄せ、将軍位に就かせるべきだった。直冬は尊氏の実子なので、親類衆や有力家臣も納得する。しかし直義はそうしなかった。師直を除くことで、かつての仲のよい兄弟に戻れるとでも思ったのかもしれない。
 一方、尊氏にも言い分はある。実は打出浜で敗れた後、双方合意した降伏条件として、師直一族の助命という一条があった。しかし直義派の上杉能憲(よしのり)は、養父の重能を師直に殺された私怨(しえん)から、師直一族を処刑した。しかも尊氏の要求した能憲の処刑は、直義に拒否され、能憲は遠流となった(すぐ復帰する)。これでは尊氏の面目が丸つぶれである。以後、尊氏の息子の義詮が前面に出てくることで、直義は追い込まれていく。

 同年8月、尊氏・義詮父子に京都を包囲された直義は、決戦を避けて越前に逃れるが、すでに昔日の勢いはなかった。観応2年11月、いったん鎌倉に落ちた直義は、尊氏が陣を布(し)く駿河国薩埵山(さったやま)まで進んだが、留守にした関東で宇都宮氏らに挙兵され、挟撃される。
 結局、直義は尊氏に降伏、観応3年2月26日、鎌倉で急死する(毒殺だったと言われる)。享年は47だった。兄に対する甘えにより、直義は身を滅ぼした。いつの時代も、身内に対しても冷徹でいられる者だけが、生き残れるのだ。

 次回「明智光秀」は2月12日に掲載します。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。

*2015.01.22 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150122/lif1501220019-n1.html)

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エグスプロージョン 「本能寺の変」系で歌作りたいが、後醍醐天皇、足利尊氏でもマイナーかな。
井出浩司
2015/12/07 16:31

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