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zoom RSS 【敗者烈伝】〜足利直義(上) なぜ兄・尊氏に謀殺されたのか 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2015/12/05 11:53   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 歴史上、兄弟の対立というのは、源頼朝と義経の確執に見られるように、悲劇的な最後を迎えることが多い。足利高氏と直義の対立なども、その典型だろう。
 徳治元(1306)年、直義は鎌倉幕府の有力御家人・足利氏の三男として生まれた。次男の高氏とは一つ違いである。別腹長男の高義の早世により、高氏が嫡男になると、直義は兄を助け、足利家をもり立てていった。
 源義家を祖とし、源氏嫡流に最も近い位置にあった足利氏は、鎌倉時代を無難に生き抜き、その末期には、北条氏を除けば最大の所領を有する御家人となっていった。
 足利兄弟が少年から青年になろうとしていた元亨元(1321)年、大覚寺統(後の南朝)の後醍醐帝は、天皇親政・公家一統の世を築くべく、鎌倉幕府打倒を画策し始める。しかし後醍醐帝の野望は未然に発覚し、元弘2(1332)年3月、隠岐に配流となる。それでも討幕の火は消えず、護良親王や楠木正成らが畿内各地で籠城戦を展開、後醍醐帝も隠岐を脱出した。
 これを聞いた幕府は元弘3年3月、名越高家率いる5万7千の追討軍を京に派遣する。この中には足利兄弟もいた。しかし名越高家が討ち取られることで、状況は一変する。たまたま別動隊を率いていた足利兄弟は、この知らせを聞いて宮方に寝返り、幕府の京都出先機関である六波羅探題を攻め滅ぼした。『太平記』によると、この時、直義が高氏に寝返りを勧めたことになっている。

 その半月後、新田義貞が鎌倉に攻め入ると、鎌倉幕府は呆気(あっけ)なく倒れた。これにより後醍醐帝による建武の新政が始まる。その論功行賞において、高氏は功第一とされ、多くの守護国と地頭職を賜(たまわ)っただけでなく、後醍醐帝から尊の字をもらって尊氏と改名した。
 しかし王政復古を目指す帝と、武士たちの輿望(よぼう)を担うことになった尊氏が、うまくいくはずない。とくに足利氏討伐を強く訴えたのが、新たに征夷大将軍の座に就いた護良親王である。
 しかし護良は焦った。帝に内密で諸国の武士に令旨(りょうじ)(親王の命令書)を出し、尊氏討伐を図ろうとしたのである。この書状の一つを入手した足利陣営は、これを帝に提出する。これが綸旨(りんじ)(天皇の命令書)絶対主義を貫こうとする帝の逆鱗(げきりん)に触れ、護良は失脚した。
 足利陣営の打った次なる手は、鎌倉将軍府の創設である。東国に勢力を扶植しておけば、今後の戦いを優位に運べる。すでにこの時点で、尊氏と直義、そして家宰の高(こうの)師直(もろなお)の頭には、幕府の創設という構図が浮かんでいたはずである。
 鎌倉将軍府の長となった成良親王の補佐役として、元弘3年12月、直義は鎌倉に赴く。しかし、これはミスだった。足利家中で直義と折り合いが悪い高師直に、尊氏を独占されたからだ。
 一方、公家重視の論功行賞や諸国の疲弊を顧みない大内裏の造営などで、建武新政府に対する武士階級以下の不満は鬱積していた。
 そんな最中の建武2(1335)年7月、北条時行が鎌倉に討ち入り、一時的に鎌倉を回復する。中先代の乱である。鎌倉を守っていた直義は、配流されていた護良を殺して鎌倉を脱出、京に戻る途次の三河国矢作宿に陣を布(し)き、尊氏の来援を待った。

 弟の危機に尊氏は東下しようとするが、後醍醐帝は、尊氏の要求する征夷大将軍職を下賜(かし)しない。帝としては、尊氏に幕府を開く権限など与えるつもりはなかった。しかし、征東将軍という臨時職を与えて、北条時行討伐に向かわせた。
 直義と合流した尊氏は、敵を矢作宿で破ると、その勢いで8月、鎌倉を占領する。しかし北条時行の追討が終わっても、尊氏は鎌倉を動こうとせず、帝の再三の帰洛命令をも無視し続けた。
 かくして、京の宮方と鎌倉の足利方の対立は明らかとなる。(次週に続く)
【プロフィル】足利直義
 あしかが・ただよし 徳治元(1306)年、鎌倉幕府の有力御家人、足利氏嫡流の三男として生まれる。後醍醐天皇の挙兵に呼応し、兄とともに倒幕戦で活躍。その後天皇と対立し室町幕府成立を主導。幕政を担い、兄とともに二頭体制を築く。だが重臣の高師直や兄と対立して抗争(観応の擾乱(じょうらん))。失脚と復権を繰り返した末、最終的に兄に幽閉され、観応3(1352)年に死去した。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2015.01.15 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/150115/lif1501150014-n1.html)

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コメント(1件)

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ま、いろんな兄弟があって、いろんな時期があるからね。
井出浩司
2015/12/05 15:50

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