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zoom RSS 【敗者烈伝】〜太田道灌(下) 自信過剰、主の心理見誤る

<<   作成日時 : 2015/07/13 20:46   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 文明9(1477)年3月18日、江戸城から相模国に侵攻した太田道灌は、長尾景春方の溝呂木(みぞろぎ)要害と小磯(こいそ)要害を落とすと、4月10日、河越城攻略を期して進出してきた景春勢を、弟の資忠率いる別動隊によって敗走させ、河越城と江戸城の連絡を確保した。続いて13日、道灌は豊島泰明の籠もる練馬城に迫ったので、この機を捉えて、泰明の兄・泰経は石神井城を出撃、道灌を挟撃しようとした。
画像
太田道灌時代の関東要図(図版制作/ジェオ)

 道灌は練馬城周辺を焼き払って反転し、まず泰経に当たろうとしたが、今度は練馬城を出撃してきた泰明が、道灌の後備(うしろぞなえ)に襲いかかった。この危機にも道灌は動じず、泰明を江古田原(えこだはら)と沼袋(ぬまぶくろ)で撃破、返す刀で石神井城に押し寄せ、同月28日、これを攻略した。
 この合戦で泰明は討ち死にし、泰経は逃亡した。戦の主導権を握った道灌は、五十子(いかっこ)陣を回復、関東管領・山内上杉顕定(あきさだ)と主人の扇谷(おうぎがやつ)上杉定正を呼び寄せた。

 5月、道灌は用土原と針谷原(はりがやはら)において景春主力を破り、その勢いで景春が逃げ込んだ鉢形城を囲むものの、7月、古河公方足利成氏(しげうじ)が景春支援に乗り出し、8千騎を率いて上野国に進出してきた。これにより道灌を含めた上杉勢5千は、白井城に撤退、一転して守勢に転じた。ところが翌文明10年正月、顕定と定正は、幕府に古河公方を認めさせることを条件に和睦し、戦いの第一幕は終わる。
 かくして、関東に一時の平和が訪れたかに見えたが、逃亡していた豊島泰経が平塚城(豊島城)で蜂起したため、道灌はこれを鎮圧、さらに逃亡した泰経が小机城に逃げ込むと、4月、道灌は小机城に総懸かりし、これを攻略して泰経を討ち取った。
 続いて道灌は、敵方となっていた二宮城・磯部城・小沢城を攻め落とすと、7月、鉢形城を激しく攻め立て、ついにこれを落とし、景春を奥秩父に追いやった。
 12月、江戸城を出撃した道灌は、景春最後の支持勢力である千葉孝胤(のりたね)を、下総(しもうさ)国の境根原(さかいねはら)で破り、翌文明11年1月、千葉氏の下総臼井(うすい)城を攻め立てた。この戦いは苦戦を強いられたが、7月、道灌は臼井城を落とした。

 一方、秩父の山岳地帯に逃れた景春は、以後も抵抗を続けるが、すでに往時の勢いはなく、文明12年6月、道灌によって最後の拠点・秩父日野城(熊倉城)を落とされ、古河公方の懐に逃げ込んだ。
 道灌の東奔西走の活躍により、強勢を誇った景春とその与党は壊滅した。しかし、奔走する道灌の陰に隠れ、脇役に徹せざるを得なかった定正の心は鬱屈した。しかも、千葉孝胤との戦いは私戦のようなもので、顕定と定正が止めたにもかかわらず、道灌が強行したという経緯がある。かくして道灌は、その勢力拡大を憂慮した定正によって殺される。
 道灌の戦いを俯瞰(ふかん)してみたが、その強さの秘訣(ひけつ)は、決断の速さと機動力にある。道灌は勝負どころを心得ており、ここ一番で全軍を投入して勝ち切ろうとする。武将にとって「勝負どころを見極める」ことは重要な才能の一つで、それまで慎重な戦いを続けていた武将が、ここぞという時に損害を顧みない戦をすることがある。
 織田信長の桶狭間合戦、北条氏康の河越合戦、毛利元就(もとなり)の厳島(いつくしま)合戦などは、その典型だが、とくに氏康は、道灌の戦い方から学んでいたに違いない。しかし戦に強くとも、自信過剰になって政治的配慮を欠いてしまうと、墓穴を掘ることになる。

 暗殺の直接原因は、相次ぐ勝利に増長した道灌が、主人の定正や関東管領である顕定の心理に対する洞察力を欠いたことにある。軍記物によると、「糟屋(かすや)館で軍議を開くので来てほしい」という定正の誘いに疑いを持った重臣たちが、道灌を押しとどめようとしたが、道灌は、「定正に何ができる」と鼻で笑って向かったという。その結果、道灌は殺された。
 最後に道灌が叫んだ言葉は「当方滅亡」だったというが、「自分がいなければ扇谷家は滅亡するぞ」というその言葉からも、道灌の自負心の強さがうかがえる。
 「挫折なき成功の連続」こそ人生において最も恐ろしく、成功に溺れることなく自己を保ち続けることが、いかに難しいか、道灌の最期が、われわれに教えてくれている。(作家・伊東潤)
 次回「大鳥圭介」は10月16日に掲載します。
【プロフィル】伊東潤
 〈いとう・じゅん〉昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2014.09.25 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/140925/lif1409250029-n1.html)

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石神井城、ま、石神井公園あたりだと思うけど、守りずらいよ。ほぼ平地。
井出浩司
2015/07/13 22:55

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