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zoom RSS 【敗者烈伝】〜太田道灌(上)戦国前夜の「関東の覇者」

<<   作成日時 : 2015/07/12 15:24   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 歴史上、増長や慢心が招いた悲劇は枚挙にいとまがない。
 その典型例として挙げられるのが、本能寺の変だろう。織田信長は少ない供回りだけで京に入り、明智光秀の謀反によって殺された。ただしこの場合、光秀の謀反を予想できなかったのは、致し方ないとも言える。しかし太田道灌の場合は、やや事情が異なる。
 文明18(1486)年7月、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の本拠である相模国の糟屋(かすや)館を訪れた道灌は、主である扇谷上杉定正によって暗殺された。享年は55だった。
画像
神奈川県伊勢原市の大慈寺に伝わる太田道灌の肖像(伊勢原市教育委員会提供)

 この事件は、道灌の過剰なまでの自負心が招いたものと言っても過言ではない。つまり政治的にも軍事的にも、関東に並ぶ者のない道灌は、増長慢心の極(きわみ)にあったと考えられるからである。
 太田道灌は永享(えいきょう)4(1432)年、相模守護・扇谷上杉氏の家宰(執事)を務める太田家の嫡男として生まれた。実名(じつみょう)は資長を名乗ったというが、確実ではない。その後、出家して静勝軒(じょうしょうけん)道灌と号した。幼少時よりその才は傑出し、9歳から15歳まで預けられた鎌倉五山の学所では、「五山無双」(『永享記』)と謳(うた)われるほどだった。
 少年期から青年期にかけて、永享の乱、結城(ゆうき)合戦、享徳(きょうとく)の乱が相次いで勃発し、関東には戦火が絶えなかった。そうした混沌(こんとん)の中で道灌は成長する。

 道灌が7歳の永享10年、永享の乱が勃発した。この戦いは、関東公方の足利持氏(もちうじ)と関東管領の上杉憲実(のりざね)の対立に幕府が介入し、幕府を味方に付けた上杉方が勝利を収め、持氏と嫡男の義久が、自刃(じじん)に追い込まれた事件である。
 ところが2年後の永享12年、持氏次男の安王丸と三男の春王丸が、結城氏朝(うじとも)・持朝(もちとも)父子ら北関東国衆の支援を受け、結城城に拠(よ)って反旗を翻した(結城合戦)。
 これを何とか鎮圧した上杉方だったが、文安4(1447)年、持氏四男で14歳の成氏(しげうじ)が関東公方の座に就くことで、再び対立の火種がまかれる。
 享徳3(1454)年、山内上杉憲実の跡を継いで関東管領となっていた息子の憲忠が、成氏によって謀殺されることで享徳の乱が勃発する。この戦いは関東を二分する戦いとなり、道灌が当主の座を継ぐ享徳4(1455)年、成氏は鎌倉から下総(しもうさ)古河に本拠を移した。古河公方の誕生である。
 長禄(ちょうろく)元(1457)年、古河公方への対抗措置として、幕府は将軍義政の異母弟・政知(まさとも)を還俗(げんぞく)させ、翌年、新関東公方として関東に下向(げこう)させた。しかし政知は鎌倉に入れず、伊豆の堀越にとどまったため、堀越公方と呼ばれるようになる。
 これにより、古河と堀越に関東公方が並立するという異常事態が起こる。以後、古河公方・北関東国衆陣営対堀越公方・上杉陣営という対立の図式が成立し、双方は、利根川を挟んで武力衝突を繰り返すことになる。

 寛正から文明年間初頭にかけて、両陣営の衝突は激化の一途をたどる。
 そうした最中の文明5(1473)年、山内上杉氏の家宰職にあった白井(しろい)長尾景信が死去した。太田氏が扇谷上杉氏の家宰であるのと同様、白井長尾氏は、長らく山内上杉氏の家宰を務めてきたので、この頃、白井長尾氏の勢力は、主家を凌(しの)ぐばかりになっていた。そのため関東管領・山内上杉顕定(あきさだ)は、家宰職を景信嫡男(ちゃくなん)の景春に継がせず、景信の弟である惣社(そうじゃ)長尾忠景に継がせた。しかしこの措置は、景春を怒らせ、長尾景春の乱が勃発する。
 文明8年6月、景春が北武蔵の五十子(いかっこ)陣を襲撃した。さらに翌文明9年1月、景春が再び五十子陣を襲い、これを攻略することで事態は緊迫する。当初、道灌は仲裁に立ったのだが、それも不調に終わり、景春討伐を決意する。
【プロフィル】太田道灌
 おおた・どうかん 永享4(1432)年、扇谷上杉家の家宰の家に生まれ、家督を相続。相模・武蔵を拠点に、扇谷上杉氏を支えて長年にわたる関東地方の内乱(享徳の乱)を戦い、数々の武功を挙げる。文武両道にすぐれ、江戸城の築城者としても有名。文明18(1486)年、主人の定正により謀殺される。
【プロフィル】作家・伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。

*2014.09.18 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/140918/lif1409180034-n1.html)

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僕のふるさと、石神井も大戸道灌の家来が城作ったのがはじめらしい。
井出浩司
2015/07/12 20:11

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