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zoom RSS 【敗者烈伝】〜江藤新平(上)日本史上にも稀な硬骨漢

<<   作成日時 : 2015/07/04 13:58   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 明治の世となり、維新の主役となった志士たちは元勲となり、日本を近代国家に変えるべく、矢継ぎ早に多くの改革を行おうとした。
 しかし、人とは変化を嫌う生き物であり、それを他人から強いられれば、反発を招くだけである。とくに武士たちにとっては、維新政府の改革は物心両面で耐え難いものとなった。
 しかも、戊辰戦争などで功のあった薩長の要人たちが明治政府の顕官を独占し、豪邸を建て、政商と癒着して財を成すのであるから、たまったものではない。
 そんな中、最もひどかったのが長州藩閥である。
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 彼らは日本の将来など毛ほども考えておらず、己の富を増やすことに邁進(まいしん)した。
 こうした貪官汚吏(たんかんおり)の前に立ちはだかったのが、希代の硬骨漢・江藤新平である。

 江藤新平は天保5(1834)年、肥前佐賀(鍋島)藩の下級武士の家に生まれた。西郷隆盛より7つ、大久保利通より4つ、木戸孝允より1つ年下である。
 文久2(1862)年、29歳の時に脱藩して京に上り、志士として奔走する。当時、脱藩は重罪であり、捕吏(ほり)に捕らえられて佐賀に送還され、永蟄居(えいちっきょ)を命じられた。しかし34歳の時、大政奉還があり、江藤は佐賀藩を代表して新政府軍に参加する。
 戊辰戦争の折は、東征大総督府軍監などを務め、戦闘そのものよりも戦地の戦後処理に携わった。
 維新後、文部大輔として文教行政に取り組んだ江藤は、短期間で省内の官制と職掌を作り上げると、「国家が進んで全国に学校を設置して、全国民の教育を行う」という方針を定め、「学制」を確立した。
 江藤が最も手腕を発揮したのが、明治5(1872)年4月、司法卿(きょう)となってからである。
 統一的な国家法体系の樹立を目指した江藤は、法規に立脚した行政の実現を主張した。
 江藤は、近代民主主義国家の根本である法治主義こそ国家安定のために必要と説き、公正にして迅速・簡易な裁判と社会正義の実現を目指していく。

 ところが、どこの世界にも悪党はいる。彼らは、藩閥権力の傘の下で私腹を肥やそうとしていた。
 明治5年、かつて長州藩の奇兵隊士だった山城屋和助は、陸軍省御用商人として軍需品の納入を手掛け、巨利を貪(むさぼ)っていた。その代わりに、山県有朋をはじめとする長州藩出身の軍人や官吏に遊興費を都合していたのである。
 調子に乗った山城屋は生糸相場に手を広げ、陸軍省の公金15万ドルを借り出した(1ドル=1円なので15万円)。ところが生糸相場が暴落し、その穴埋めで、山城屋の借用金は65万円にも上った。
 これは当時の国家歳入の1%を超え、陸軍省予算の1割弱に相当する途方もない額である。
 これを桐野利秋ら薩摩閥に嗅ぎつけられた山県は、その追及を受け、同年7月、近衛都督(このえととく)を辞任せざるを得なくなる。
 追及は江藤ら司法省の手に委ねられたが、山城屋に返済能力はなく、同年11月、山城屋は証拠書類を処分の上、陸軍省内の一室で割腹自殺を遂げた。
 事件は闇から闇に葬られ、山県は政治生命を断たれずに済む。

 続いて油商の三谷三九郎が、投機に失敗して陸軍省公金35万円を費消するという事件が発覚する。山県は井上馨と結託して三谷を追い込み、借金のかたに財産を没収、公金返済を三井組に肩代わりさせるかわりに、三谷の権益と財産を三井組に渡すことで、三井組から裏金を得ることまでした。
 西郷などは、宴席で井上に向かって「三井組の番頭さん、一杯いこう」と声をかけていたという。
 極めつきは尾去沢(おさりざわ)銅山事件である。井上が策を弄(ろう)して旧盛岡藩御用達商人の村井茂兵衛を陥れ、尾去沢銅山を強奪した事件である。
 これは、大蔵大輔の地位を利用して官権を濫用(らんよう)、民間人から財を奪うという前代未聞の権力犯罪だった。
 すぐに江藤は調査を開始、井上の悪事を暴き、逮捕を太政官に申請するところまでいく。
 これらの汚職や不祥事を続発させた長州閥は、江藤を排斥追放しない限り、存続できないと思うようになった。(次週に続く)
【用語解説】江藤新平
 えとう・しんぺい 天保5(1834)年、佐賀藩士の家に生まれ、藩校弘道館に学ぶ。尊皇攘夷(じょうい)運動に参加し、のち脱藩。維新後は文部大輔を経て明治5(1872)年に司法卿となり、司法制度整備に尽力。6年参議となるが征韓論政変で下野し、翌7年に帰郷して佐賀の乱を起こすが敗北。同年刑死した。
【プロフィル】作家・伊東潤(いとう・じゅん) 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。

*2014.08.21 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/140821/lif1408210001-n1.html)



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この人も惜しい人材だったろうね。
井出浩司
2015/07/04 19:56

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