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zoom RSS 【敗者烈伝】〜西郷隆盛(上)「征韓論者」という誤解はなぜ生じたか 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2015/06/13 15:10   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 西郷隆盛こそ、最大公約数的日本人の好むリーダーのイメージそのものだろう。
 上野山の銅像で見られるように、薩摩絣(さつまがすり)の着流しに小倉(こくら)の袴、腰には脇差のみを帯び、美髯(びぜん)を蓄えず無精髭(ぶしょうひげ)を生やし、髪型は法界坊(ほうかいぼう)(五分刈り)とくれば、この姿を愛さない日本人はいない。
 こうした全身から発する何とも言えない愛嬌(あいきょう)が、その人間性の評判にも相当、加点していたと想像できる。
 その愛すべき大西郷が、なぜに敗者となったのか。
 原因は「明治6年の政変」にある。
 戊辰戦争が終わり、明治新政府が発足した。
 己の役目は終わったとばかりに帰農した西郷だったが、明治2(1869)年2月、鹿児島藩主・島津忠義(ただよし)の懇望(こんぼう)により、鹿児島県参政を拝命すると、今度は明治4年1月、岩倉具視(ともみ)と大久保利通(としみち)に請われて入閣、参議の座に就(つ)いた。そして同年7月、大久保らと力を合わせ、廃藩置県(はいはんちけん)を断行する。
 これを見届けた岩倉、大久保、木戸孝允(たかよし)らは、11月、欧米巡遊に出発、留守政府を託された西郷は、廃藩置県の反動から来る社会不安を、その人望と人徳で乗り切ることになった。

 この時、大久保らは自分たちが外遊の間、主要政策の決定や重要人事を、留守政府が行ってはならないという「約定書」を西郷ら留守組と取り交わしていた。しかし留守組は、地租改正、学制改革、太陽暦の採用などを立て続けに決定し、参議に後藤象二郎、大木喬任(たかとう)、江藤新平を新規に補充したため、約定などあってなきものとなった。
 しかし新たな一歩を踏み出した日本国が、その場にとどまることなどできない。つまり、こうした決定を次々と下していった留守組を、外遊組が責めることなどできないはずだ。
 新政府が抱える問題は山積していた。とくにこの頃、鎖国政策を布(し)いて容易に開国しない朝鮮国に対する不満が、国内にはくすぶっていた。むろん日本の最近隣国である朝鮮との正常な国交樹立は、新政府にとって喫緊(きっきん)の課題である。
 ところが頑迷固陋(がんめいころう)で時代錯誤な朝鮮政府は、江戸幕府時代同様の対馬経由での通信程度の関係を望んでいた。これにより双方の思惑は齟齬(そご)を来たす。
 明治6年5月、日本政府の要求に辟易(へきえき)していた朝鮮国は、日本公館への生活物資の供給、及び同館に出入りする日本人商人の貿易活動を規制してきた。

 朝鮮側としては、貿易は対馬商人だけという取り決めに、日本が違反したというのである。しかしそれは建前であり、これまでは黙認してきたことを突如として禁じるのはおかしい。さらに日本を「無法之国」と罵(ののし)ったので、これは「朝威(ちょうい)を貶(おとし)め、国辱(こくじょく)にかかわる問題」だとされた。
 板垣退助ら強硬派は、「すぐにでも居留民保護の名目で軍隊を送るべし」と騒いだが、西郷は「陸海軍を送る前に、まずは使節を派遣し、公理公道をもって談判すべきである」と諭(さと)し、「派兵すれば必ず戦争になる。初めにそんなことでは、未来永劫(えいごう)、両国の関係にひびが入る。それゆえ、断じて出兵を先行させてはならぬ」と言い張った。
 つまり、西郷は征韓論者ではなかったのだ。
 西郷は板垣や後藤を味方に付けるために、「使節が殺されれば、あなた方の望み通りに派兵できる。それゆえ自分を使節とすることに賛成してほしい」と言って賛意を取り付けたが、それが征韓論者と誤解される発端となった。
 土佐藩出身の板垣と後藤にしてみれば、西郷が朝鮮で殺されることにでもなれば、薩閥の勢力も弱まり、一石二鳥である。

 しかし西郷にも勝算があった。
 当然のことながら、交渉に自信があるからこそ、西郷は使節を買って出たのであり、朝鮮側が西郷を殺すという保証は、どこにもないのだ。
【プロフィル】西郷隆盛
 さいごう・たかもり 文政10(1828)年、薩摩(鹿児島県)の下級藩士の家に生まれ、藩主、島津斉彬(なりあきら)に登用される。失脚を経つつ、討幕運動の中心となって薩長連合や王政復古を成し遂げ、江戸城無血開城を実現。新政府で陸軍大将・参議を務めるが、征韓論政変で下野。明治10(1877)年、周囲に推されて挙兵する(西南戦争)が、政府軍に敗北し自刃。
【プロフィル】伊東潤
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2014.05.29 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/140529/lif1405290019-n1.html)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
西郷「朝鮮は成敗しないといかん。」
松方「金はない」
西郷「金は刷ればよか」
経済学的な論争だね。黒田日銀総裁は西郷隆盛論者だね。
あと桜井誠会長にも意見を聞きたい。
井出浩司
2015/06/13 16:29
あと西郷隆盛は靖国神社に祀られてない。いまだ逆賊あつかい。
管理人
2015/06/13 16:40

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