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zoom RSS 【敗者烈伝】〜平清盛(下) 感情のまま事を急ぎすぎた 作家・伊東潤

<<   作成日時 : 2015/05/30 15:12   >>

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 産経新聞で作家の伊東潤さんが日本史の敗者に光を当てる素晴らしい歴史エッセーを連載しています。

 家督を譲る前の清盛は、明確な国家像というものを持たなかったのかもしれない。しかし本格的に日宋貿易に乗り出すにつれ、新たな時代のビジョンを持ち始めたに違いない。
 清盛は貿易による富の大きさに驚嘆し、日宋貿易を盛んにし、さらなる富を手にしようとした。それは私利私欲からではなく、九州沿岸部や瀬戸内海の海賊の掃討による海の道の安全確保や、福原を風波から守るための経ケ島の構築など、私財をなげうってもやり遂げねばならない国家事業だと考えていた。
 つまり清盛こそ、国家像を持った初めての天下人だった。
 しかしこの時代、新しいことは悪とされ、旧習を墨守することが善とされた。それは、ひとえに天皇家と公家社会を守るための方便にすぎないのだが、清盛が新たな国家像を描いた時、平家の滅亡は約束されたと言ってもいいだろう。
 平家勢力を一掃しようとした鹿ケ谷事件は、後白河院とその取り巻きによる平家打倒の陰謀を、清盛が未然に防いだとされてきた。しかし実際は、取り巻きが宴席で平家の悪口を言っただけで、それを密告者から聞いた清盛が陰謀を捏造(ねつぞう)、一気に反対勢力を粛清したものだ。

 これにより治承2(1178)年、後の安徳帝が誕生すると、清盛は皇太子外戚(がいせき)の地位を得る。
 まさに、わが世の春を謳歌(おうか)する平家だが、暗雲は目前に迫っていた。
 つまずきは治承3年の重盛の死に始まる。清盛と後白河院との間に入り、調整役を担っていた重盛の死は、院と清盛の関係をさらに悪化させた。跡を継いだ宗盛は、無能を絵に描いたような人物である。
 院は平家の所領や知行国主の座を取り上げ、清盛の気持ちを逆撫(な)でするようなことを平気で繰り返す。しかも清盛は、持ち前の忍耐強さと冷静さを失いつつあった。
 老耄(ろうもう)が訪れたのである。
 それが治承3年の政変につながる。この大粛清により院近臣勢力は一掃され、院は政治力を失い、清盛の独裁体制が確立される。その翌年には安徳帝が即位し、天皇外戚となった清盛と平家一門の栄華は、ここに極まる。
 この後、福原に強引に遷都しようとした清盛と、公家社会の軋轢(あつれき)が高まり、ほぼ時を同じくして、頼朝の挙兵となる。

 治承5年閏(うるう)2月、東国から押し寄せる源氏に抗すべく陣頭指揮を執っているところで、清盛は突然、この世を去る。
 その後、一門が壇ノ浦で滅亡を迎えることは、周知の通りである。
 清盛には、敗者の臭いがしない。
 おそらく源氏との対決に決着をつける前に、死が訪れたからだろう。
 しかし冷静沈着な40代までと、短気で独善的な晩年の清盛では、別人のようである。
 おそらく老耄が始まっていたと思われるが、独裁体制確立の反動は大きかったと言わねばならない。
 すなわち皇統を奪取し、知行国家を独占し、権門寺院の権益を取り上げた平家一門に対する公家や寺社の反発は大きく、それが源氏の後押しをしたのである。
 仮に老耄していなかったとしても、清盛の敗因は「性急に過ぎた」ことである。己一代で平家一門の地位を確立し、藤原氏のように未来永劫(えいごう)、子々孫々まで繁栄させていこうとしたかったのは分かるが、一代でやれることは限られており、そのラインをどこで引くか、見極めていなかったのだろう。

 事業拡大を急ぐ企業と同様、清盛は事を急ぎすぎたのである。
 人は感情の生き物である。感情によって歴史は作られてきたと言っても過言ではない。そうした中で、感情に負けなかった者だけが勝者になれる。
 戦国時代の勝者である徳川家康を見れば、これは明らかであろう。
 信長は感情の赴くままに生きて破滅を招いた。秀吉の前半生は冷酷非情で計算高かったが、天下を取ってからは感情に支配されただけの老人となった。
 ところが、家康だけは違った。
 この男だけは、最後まで己の感情に負けなかった。
 才覚では信長と秀吉にはるかに劣る家康が、幕府を開き、子々孫々までの繁栄を築けたのは、ひとえに己の感情を飼い慣らしたからである。
 老耄した清盛は、感情の赴くままに事を急ぎ、すべてを失った。一代で高い頂にたどり着いたことは、逆に没落を急がせたのだ。「急(せ)いては事をし損じる」という言葉は、清盛のためにあるような気がする。
 次回「今川義元」は5月1日に掲載します。

【プロフィル】伊東潤 
 いとう・じゅん 昭和35年、横浜市生まれ。早稲田大卒業後、外資系IT企業勤務、コンサルタントなどを経て、平成19年に「武田家滅亡」で文壇デビュー。25年、「巨鯨の海」で山田風太郎賞受賞。
 ※本連載の完全版は月刊「J−novel」(実業之日本社)で連載中です。


*2014.04.10 産経新聞より
(http://www.sankei.com/life/news/140410/lif1404100018-n1.html)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ま、感情に負けてっていうのは多いよね。
井出浩司
2015/05/30 16:11
次回は今川義元、以下西郷隆盛、高師直、武田勝頼と続きます。
管理人
2015/05/30 17:03

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