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zoom RSS 【家康改葬(8)完】〜整備された日光へのルートが開国後、外国人らを避暑に誘った

<<   作成日時 : 2015/03/15 14:09   >>

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 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第8回、宇都宮支局桑島浩任さん執筆の記事の御紹介です。

 改葬を経て「神」となった徳川家康。その存在は宗教的権威としてだけでなく、日光が観光都市として発展するのに大きく寄与したといえる。
 日光が観光地化したのは明治以降。外国人居住者の旅行規制がなくなり、蒸し暑い日本の夏から逃れる避暑地として中禅寺湖畔などを訪れる外国人が増え、ホテルや旅館の開業も相次いだ。日光市教育委員会文化財課の鈴木泰浩課長補佐は「家康の改葬を機に日光へ向かう街道が整備されており、人々が訪れやすい下地ができていた」と指摘する。
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春と秋の日光東照宮例大祭で行われる流鏑馬(やぶさめ)。毎年大勢の観光客が訪れる

 歴代将軍や諸大名の社参に使われた江戸・日本橋と日光を結ぶ「日光街道」や東照宮に奉献する供え物「幣帛(へいはく)」を運ぶ勅使が通った「例幣使街道」は、今も観光客が利用する主要道として重要な役割を果たしている。
 歴史的な景観が守られていたことも大きい。かつて日本では「神仏習合」が一般的だった。神社と寺院が同じ敷地内に共存していることも少なくなかったが、明治政府の神仏分離令により神社と寺院は分離・独立し別々のものとして扱われるようになったほか、廃仏毀釈運動も起きた。
 東照宮、二荒山神社、輪王寺の2社1寺も例外ではなく、それぞれ敷地は分離され、移設も計画されていた。そんな折、日光を訪れた明治天皇が「旧観を失うなかれ」と口添えし、市民の根強い反対もあって移設は中止され、影響は最小限にとどまった。
 こうして守られた景観は「人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群」と評価され、平成11年の世界文化遺産登録につながった。鈴木さんは「家康公の御霊が祭られていたからこそ、(寺社移設に)多くの反対があったのではないか」と推測する。
 また、総延長約35キロと世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている「日光杉並木」は、家康の近臣だった松平正綱が約20年の歳月をかけて植えたもの。大規模な伐採などはされておらず、今も日光の代名詞となっている。

家康によって観光地としての礎が築かれた日光。日光東照宮400年式年大祭を機に、外国人観光客に家康の存在をアピールしようという動きも出ている。

 国土交通省関東運輸局では、作家・山岡荘八の小説「徳川家康」がベストセラーとなった中国本土や、家康への関心が高い台湾、東アジアの観光客を対象とした誘客事業を計画。旅行代理店などを対象に日光東照宮をはじめ家康にちなんだ場所をめぐる視察ツアーを実施したほか、旅行商品のアイデアをコンテスト方式で募集するなどしている。
 平成25年に日光市を訪れた観光客数は約1千万人に上るが、うち外国人は約4万人と、意外なほど少ない。同局は「海外でも人気の高い家康にちなんだ観光資源を活用し、誘客につなげたい」としている。
 戦乱を治めて泰平の世をもたらした家康。400年を経て、「観光振興」という形で日本を救うことになるかもしれない。(宇都宮支局 桑島浩任)

=おわり

*2014.02.08 産経新聞HPより
(http://www.sankei.com/premium/news/150208/prm1502080008-n1.html)

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練馬区は小学生用の宿泊施設日光に持っていて、僕小学校5年の時、日光行きました。
井出浩司
2015/03/15 21:29

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