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zoom RSS 【家康改葬(6)】〜元城主に義理立てした4寺は廃止に 道中の栃木・佐野で一波乱

<<   作成日時 : 2015/03/01 12:01   >>

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 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第6回、宇都宮支局川岸等さん執筆の記事の御紹介です。

 佐野の人々は「大師さま」「春日岡」と呼ぶ。佐野厄除け大師で知られる栃木県佐野市の惣宗寺(そうしゅうじ)。天慶7(944)年創建の古刹(こさつ)で、慶長5(1600)年ごろ、佐野氏の佐野城(春日岡城)築城に伴い現在地に移った。城門の名残とされる山門前に巨大な石碑が立つ。
 「そこに『重興東照神廟之碑』と刻んでありますね」。郷土史家、京谷博次さん(81)は石碑の上部を指さした。裏面には寄進者名が連なり、文政11(1828)年の佐野東照宮造営を伝える。
 佐野東照宮は惣宗寺境内の北西に鎮座する。公道沿いに唐門があり、拝殿、本殿と並び、本殿周りには透塀(すきべい)。朱塗りの柱やはりに、龍や獅子などの精緻な彫刻が極彩色で施され、徳川家の紋章「三つ葉葵」の飾り金具が金色に輝く。全国に約500社ある東照宮の中でも貴重で、県指定文化財になっている。
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「三ツ葉葵」の見事な飾り金具や彫刻が施された佐野東照宮拝殿と惣宗寺の旭岡靖人住職=佐野市金井上町

 「江戸時代は世界史的にもまれな平和な時代で、その礎を築いた家康公がまつられ光栄に思う」と住職の旭岡靖人さん(50)。毎年5月16、17日の例大祭は「権現様」とも呼ばれ、以前は植木市でにぎわいを見せた。
 佐野東照宮の起源は元和3(1617)年3月28日にさかのぼる。忍(埼玉県行田市)を出た家康の棺(ひつぎ)は館林(群馬県)を経て「佐野の春日岡という寺に入奉る」(徳川実記)。御殿に安置され、武者千人が警護した、という。
 惣宗寺に1泊した理由として、住職、三海が家康の側近、天海のまな弟子であることや、佐野が家康の懐刀、本多正純の所領地になったことが関係すると指摘されている。

 「改葬ルートですか? こうでしょう」。京谷さんは調査歴50年余り。朴訥(ぼくとつ)な語り口に耳を傾けながら、群馬県境の渡良瀬大橋から車を走らせた。一行は早川田(さがわだ)の渡しから舟橋で渡良瀬川を渡り、改葬用に急造させた椿田土手を経て、後に八王子千人同心も通う旧街道を北上、街中を抜けて惣宗寺に入った、とみる。

 正純の命令に背き、読経に遅れた4つの寺は廃寺になった。佐野氏ゆかりの寺で、徳川家に反発したらしい。既にその3年前、佐野氏は改易(かいえき)(取りつぶし)。佐野城は取り壊され、佐野氏の手掛けた天明(てんみょう)(佐野中心部)は城下町から宿場町に姿を変える。

 「佐野家が衰え、徳川家が栄える。佐野東照宮は徳川家支配の象徴でしょう」と京谷さん。日は傾き、冬枯れの佐野城跡(城山公園)に人影はまばらだった。(宇都宮支局 川岸等)

*2014.02.01 産経新聞HPより
(http://www.sankei.com/life/news/150201/lif1502010001-n1.html)

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コメント(1件)

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東照宮って全国に500もあるんだ。佐野厄除は厄年に行こうと思って遠いいんでやめました。
井出浩司
2015/03/01 16:40

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