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zoom RSS 【家康改葬(4)】〜地形把握も兼ねていたタカ狩り 遷霊行列は神奈川・平塚と東京・府中で「御殿」に宿泊

<<   作成日時 : 2015/02/15 14:26   >>

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 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第4回、宇都宮支局原川真太郎さん執筆の記事の御紹介です。

 徳川家康の死後、日光や久能山を筆頭として全国各地に東照大権現をまつる東照宮が造営された。廃絶されたものも含めて大小700カ所近くが確認されているが、将軍家や譜代大名ゆかりの地はもとより、生前の家康が立ち寄った土地に建てられたものも多い。
 代表的なのが、「御殿」と呼ばれる休憩・宿泊施設だ。タカ狩りを好んだ家康は、各地にその際に立ち寄る御殿を造らせていた。
 小田原を出た遷霊の行列が次に宿泊した中原(神奈川県平塚市)と府中(東京都府中市)での滞在先も、「タカ狩り御殿」だ。中でも、現在のJR府中本町駅の隣にあった「府中御殿」は、近くを多摩川が流れ、富士山が見渡せる高台の景勝地だったという。
 「府中」の地名が示すとおり、この場所には奈良時代、武蔵国司の館があった。御殿は天正18(1590)年に造営。奥州征伐から帰った豊臣秀吉を迎えるために造ったとの説もある。家康、秀忠、家光の3代にわたり使用されたが、正保3(1646)年の大火で焼失。その後は再建されず、いつしか原野となっていた。
 平成20年から始まった本格的な発掘調査で国司の館とみられる遺構が見つかり、区域一帯が国史跡に指定された。22年には、江戸時代前期に将軍家のみが使った家紋「三葉葵紋」が入った鬼瓦の破片も出土。家康御殿の存在も改めて裏付けられた。
 府中市ふるさと文化財課の江口桂課長(48)は「家康のタカ狩りは、趣味を楽しむほかに、地形を把握するという軍事演習の側面もあった。挨拶に来た地域の有力者を品定めしていたという話もある」と指摘する。支配地域の基盤固めにも一役買っていたようだ。
 地元では現在、国府跡と御殿跡という貴重な歴史遺産を活用しようという動きが進んでいる。府中市は周辺の用地計約7900平方メートルを取得。今年度中に基本設計がまとまる見通しだ。

 江口課長は「まずは国司の館を復元整備する方針だが、やはり家康はネームバリューがある。よりよい活用策を考えたい」としている。
 一方、府中の東照宮は御殿跡のすぐ近くにある大国魂(おおくにたま)神社の境内に、ひっそりとたたずむ。同神社は1900年前の創立と伝わる武蔵国総社で、江戸時代には幕府から手厚い保護を受けて発展。今も多くの参拝客が訪れる。
画像
大国魂神社の境内にたたずむ東照宮。2代将軍の秀忠が造らせた=東京都府中市

 神社の宝物館には、家康が身に付けていたという陣羽織や歴代将軍から贈られた社領寄進状などの徳川家ゆかりの品々が、今も大切に保管されている。飯塚礼寿権禰宜(ごんねぎ)(44)は「今の神社があるのは、家康公のおかげと言ってもいいかもしれない」と笑った。(宇都宮支局 原川真太郎)

*2014.01.25 産経新聞HPより
(http://www.sankei.com/life/news/150125/lif1501250005-n1.html)

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コメント(1件)

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ま、結局一番すごい日本人って家康ではないかな。それ考えると、東照宮の数、まだ少ないと思います。
井出浩司
2015/02/16 11:52

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