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zoom RSS 【家康改葬(2)】〜「久能山」か「日光」か 家康の遺体はどちらにある

<<   作成日時 : 2015/02/01 14:56   >>

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 産経新聞の歴史関連記事、徳川家康400回忌に合わせた企画『家康改葬』の第2回、宇都宮支局原川真太郎さんと同支局長鶴谷和章さんの記事の御紹介です。

 1159段の石段を登ると、眼下に駿河湾の絶景が広がる。徳川家康が晩年を過ごした駿府城跡から東に約8キロ離れた久能山(標高216メートル)の山頂に鎮座する久能山東照宮(静岡市駿河区)。日光東照宮ほどの規模ではないが、緑に囲まれ、静謐(せいひつ)な空気が漂う。
 今はロープウエーで気軽に訪れることができるが、当時は歩いて登るしかなかった。元和2(1616)年4月17日に亡くなった家康の遺体は、その日のうちに久能山に移る。一部の側近を除き登山を禁じられ、通夜も営まれなかった。
  「人目を忍んで運んだのは、神になるためにはどうすべきか、ひそかに準備していたのでしょう」。久能山東照宮の落合偉洲(ひでくに)宮司(67)が説明してくれた。
 家康は晩年、将軍の座を三男・秀忠に譲り、隠居。「大御所」として二元政治を敷いた。生前には「久能山は駿府城の本丸」と話しており、自らを埋葬する場所として指定した。
 家康の死後、日光東照宮に先駆けて着工した久能山東照宮は、いわば「最初の東照宮」。江戸時代を代表する大工頭・中井正清の手による社殿群は平成22年、国宝に指定された。
 宮内の一番奥に、家康が埋葬された「神廟」がある。当初は小さなほこらだったが、三代将軍・家光の命令により高さ5・5メートルの石塔が建てられた。
 石塔は遺命に従い、西を向いている。家康が死去した当時、西国にはまだ豊臣方の残党がうごめいていた。江戸との間に立ち、にらみを利かせるためだったと考えられている。
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徳川家康が葬られた場所に立つ廟。遺命に従い、西を向いている=静岡市駿河区の久能山東照宮

 しばしば話題となるのが、家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したか否かだ。改葬は大化の改新で知られる藤原鎌足の死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事にならったものとされ、「遺体も移ったと考えるのが自然」とみる識者もいる。ただ、落合宮司は「家康公は今もここに眠っていると思っている」と話す。「四角い棺(ひつぎ)の中に正装して座し、西を向いているはず。遺体を日光に運んだのなら、久能山に大きな墓を建てる必要はなかった」
 改葬を取り仕切った僧・天海が「あればある無ければなしと駿河なる くのなき神の宮うつしかな」という和歌を残していることもその証左だという。「くのなき」は「躯(く)=むくろ=のなき」と読めるからだ。
 久能山の神廟も日光の奥宮も、これまで発掘調査は行われていない。いずれにせよ、「御霊は久能山と日光にあり、人々を見守っているのは間違いない」(落合宮司)。
 静岡市は今年、同じく家康ゆかりの地である浜松市や愛知県岡崎市と合同で「家康公四百年祭」を実施。官民合同でさまざまな関連イベントを開催する。静岡市地域活性化事業推進本部の担当者は「この機会に多くの人に家康公の偉業を再確認してもらいたい」と話す。400年を経ても大御所の威光は衰えていない。(宇都宮支局 原川真太郎)
■日光東照宮・稲葉久雄宮司に聞く

 世界遺産でもある日光東照宮は今年、歴史的な節目の「400年式年大祭」を迎える。陣頭指揮に当たる稲葉久雄宮司(74)に大祭への思いや意義について聞いた。(宇都宮支局長 鶴谷和章)

 −−「400年式年大祭」の今年は、一年を通してどんな年になりますか

 「東照宮の社殿は、平和を尊ぶ彫刻に満ちており、創建当初より御祭神徳川家康公が『平和の神様』として崇敬されてきました。参拝者には共に世の中の平安を祈っていただけるよう呼びかけたい。400年祭が平和への思いを結集する契機になることを望みます」

−−式年大祭の主な行事やイベントにはどんなものがありますか。

 「春秋の大祭を厳格に斎行して御心威の高揚を祈願することが中心になりますが、他に新宝物館開館記念展、武道大会、文墨祭、ホースバックアーチェリー大会、ステージイベントなど奉納行事が多数あります」

 −−県内外からの観光客には、どんなところを見ていただきたいですか。

 「境内では、修理が終わり、よみがえった拝殿・唐門のきらびやかな姿を見ていただきたい。日光のまち全体が大祭によって活気づいた様子も見ていただきたい。これは期待を込めて言うのですが、日光駅に降り立った瞬間から東照宮を訪れる期待感が高まるような受け入れができないかと思っています」

 −−家康公は恒久平和の礎を作った人物として現代でも評価が高まっています

 「戦国時代の日本を最終的に統一した人ですが、その前提として近隣諸国との平和外交の樹立がありました。世界史上の偉人として位置づけられるべきです。だからこそ、当宮には外国からも大勢の参拝者がいらっしゃるのだと思います」

 −−「平成の大修理」の進み具合は

 「平成19年に始まり、既に御本社の床などの工事、拝殿・唐門・透塀・神輿社の塗り替え工事が終わりました。陽明門修理も始まっており、3、4年後に終了します。今年の400年式年大祭は陽明門が素屋根で覆われた状態で迎えますが、修理の際には牡丹彫刻の羽目板を外したところ、宝暦年間に描かれた絵画が現れました。修理中ならではの見どころです」

 −−世界遺産として後世への保存継承ではご苦労も多いのではありませんか

 「文化財の保存継承にはお金がかかります。国の補助も受けていますが、自然災害などに備え、常に財源を確保しておく必要があります。被害を最小限に抑えるには防災設備を備え、職員の訓練も欠かせません。いつでも修理できる態勢作りや職人養成も必要です」

 −−春秋の例大祭の流鏑馬(やぶさめ)神事、百物揃(ひゃくものぞろい)千人武者行列での苦労や課題は

 「伝統行事を守っていくには地域の人々の協力は不可欠。道具や装束類の整備も大切です。簡単に手に入らないものばかりなので経費をかけてでも修理し、特別にしつらえるなどして神事・祭典の威容を守っていかなければなりません」

*2014.01.18 産経新聞HPより
(http://www.sankei.com/life/news/150118/lif1501180004-n1.html)

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僕も静岡住んでたから、行きましたよ。
久能山は景色最高ですよ。
今の時期だと、「イチゴ」もうまいし、お花畑がきれいです。
房総半島と気候が似ているかな。
家康が晩年過ごした理由は、「温暖な気候」だと思います。
井出浩司
2015/02/01 19:54

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