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zoom RSS 【官兵衛を探る(11)】

<<   作成日時 : 2014/05/24 14:22   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

「過ぎた勇気の危険=大将の自覚不足」「浪費は国を滅ぼす」 今も語り継がれる「官兵衛教本」の精神

 官兵衛は父職隆(もとたか)同様に数え44歳で家督を譲り、嫡男の長政への実戦教育に力を入れる。
 九州攻めの日向耳川(ひゅうがみみかわ)の戦いでは長政が陣頭に立ち、小人数で島津の大軍を撃退した。これを後方の山の上から眺めていた官兵衛は、家臣が本日の勝利は長政様の大手柄であると報告したとき、「汝(なんじ)らは軍法を知らないからそのように思うのだ」と言い、次のように諭した。「大将は兵をよく指揮するのが役目である。葉武者(はむしゃ)のように自分一人の働きを好むのは大将の自覚不足である」。長政はあまりにも勇気があり過ぎ、敵に相対するといつも先駆けをしようとするのでこのように諭し、勝ち戦の中でも反省点を見出し次の戦いの糧とした。
 九州攻めの後、領地を与えられた豊前(ぶぜん)で土豪の宇都宮鎮房(しげふさ)が反乱を起こし、城井谷(きいだに)城に立てこもったとき、長政は官兵衛の許可なく城井谷の居城近くまで攻め上った。長政は逃げる敵を山中深く追いかけたが、帰り道で敵の猛攻撃を受け命からがら逃げ帰った。官兵衛はこれを聞き、「今日の敗北は若い者が敵を深追いしたためである。逃げていく弱い敵には用心して初めの勝ちで戦いをやめるのがよい」と戒めた。これは官兵衛の戦術の基本であった。
 先を見通す官兵衛は戦国の世が終わり世の中が安定すると、今後は浪費が国を滅ぼす元になると考えた。官兵衛は常に倹約を心掛け、無駄な出費をとても嫌い出費も惜しんだが、人に施すときは少しも惜しまなかった。必要な時に財を惜しまず使うには日ごろから倹約し、財を蓄えておかなければならないと考えるのである。このような教えは福岡藩で受け継がれ、家臣は身分に応じた人馬武具をそろえ、いつでも出陣できる準備を整えていたという。

 官兵衛は晩年、長政に心得るべきことを六ヶ条の覚書に遺(のこ)した。臨終の際には長政と重臣の栗山利安(としやす)を枕元に呼び、妻光姫(てるひめ)の父櫛橋伊定(くしはし・これさだ)から贈られた愛用の合子形兜(ごうすなりかぶと)を利安に与えた。今後は利安を親と心得、利安の諫言に耳を傾けるよう長政に言い渡したといわれる。
画像
「黒田家譜」貞享本(写)(左)と宝永本(写)=播州黒田武士の館所蔵

 このように官兵衛はどの戦国武将よりも教育を重視し、幕末まで続く福岡藩の基礎を築く。三代藩主光之(みつゆき)は黒田家の公式歴史書「黒田家譜」を編纂(へんさん)させ、九代藩主斉隆(なりたか)は藩校として修猷館(しゅうゆうかん)、甘棠館(かんとうかん)の2校を設立した。明治以降も黒田家は東京に黒田小学校、福岡に黒田奨学会を設立し、黒田奨学会は現在も活動を続け、教育重視の精神を受け継いでいる。

=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫

=続く

*2014.02.16 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140216/wlf14021612010015-n1.htm)

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内 容 ニックネーム/日時
徳川家康とか見てると、長生きした人が勝ち、と思っていました。最近65才くらいがちょうどいいと思ってます。
井出浩司
2014/05/24 22:56

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