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zoom RSS 【官兵衛を探る(10)】

<<   作成日時 : 2014/05/17 12:08   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

「黒田軍団」はこうして形成された…隗より始め、依怙贔屓せず、統率者・官兵衛の心得

 御着城主小寺家の家老職であった黒田家には譜代の家臣は少なかった。そこで官兵衛は、戦いに勝つには自らの考えをよく理解し、実行する家臣団の形成が必要と考え、優秀な人材を見いだし育てる。播磨時代からの家臣の出自は官兵衛の弟、一族、父職隆(もとたか)の家臣、小寺家、他家の家臣、近隣の土豪、足軽、農民などさまざまであり、有能であれば武士でない者も取り立てるのが官兵衛の方針であった。後に「黒田二十四騎」と称される重臣たちの能力は多様であり、槍(やり)、刀の達人をはじめ、足軽の指揮、敵情の視察、軍旗の扱いに優れた者、時には戦術を建策し取り入れられる者、築城、内政に手腕を発揮する者もいた。
画像
尾形探香画「黒田二十四騎図」=江戸時代後期(19世紀)、福岡市博物館所蔵

 官兵衛は家臣たちの能力、性格をよく把握して適材適所で使い、家臣たちもこれに応えて忠誠を尽くす。官兵衛が有岡城で幽閉された黒田家の危機では、家臣たちは妻の光姫(てるひめ)に連署起請文を差し出して一致団結して忠誠を尽くすことを誓い、重臣たちは官兵衛を無事救出する。日向耳川(ひゅうがみみかわ)の戦いでは重臣たちは敵に向おうとする嫡男の長政をいさめ、周りの敵を打払い、豊前)城井谷(ぶぜんきいだに)攻めでは窮地に陥った長政を救うため楯となって命を落す家臣もいた。
 このような忠誠心はどこから生まれたのか。荒木村重が信長に謀反を起こしたとき、官兵衛は父職隆、家老の意見を聞きながらも最終的には信長に忠節を尽くすことを決め、主君へのいちずな忠誠心を家臣たちに見せた。

 また、官兵衛は「大将が家臣を統率するには威厳が必要であるが、先(ま)ず自分から行儀を正し、理非賞罰を明らかにすれば、家臣領民は敬い恐れて上を侮る者、法を軽んじる者がなくなり、自(おの)ずから威厳が備わるものだ」と説き、自らの行いを律し、信賞必罰を実行し、質素倹約を励行し、率先垂範して家臣に示した。
 また、「人には気の合う相手とそうでない者がいる。自分との相性だけで家臣のひいきをしてはならない」とも述べ、家臣の評価を公平に行うよう心掛け、家臣の間で不平不満が出ないよう気を配った。官兵衛が家臣団の統率に細心の注意を払っていたことがうかがえる。
 このように官兵衛は一代で「黒田軍団」とも呼ばれる結束の固い家臣団を作り上げ、彼らから全幅の信頼を得て現代で言うリーダーシップを発揮し、戦国の戦いを勝ち抜いた。そこには組織の創始者、統率者として非凡な能力を持つ官兵衛のさらなる一面が見える。

=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫

=続く

*2014.02.09 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140209/wlf14020918000018-n1.htm)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
官兵衛といえば参謀、というのが一般的な評価だが、リーダーシップもあったんだろうね。
井出浩司
2014/05/17 17:54

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