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zoom RSS 【官兵衛を探る(8)】

<<   作成日時 : 2014/05/03 21:30   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

優秀な土木技術エンジニアの顔…今も残る官兵衛「普請」の跡

 官兵衛は播磨を平定した秀吉から新たな姫路城の築城工事の責任者を命じられる。工事は天正8(1580)年に着手し、播磨攻めで破却した御着城と、志方城はじめ東播磨諸城の用材を使用して翌年完成する。
 官兵衛が普請(ふしん)と呼ばれる土木工事を担当して築いた野面(のづら)積みの石垣は、今も姫路城で見ることができる。また、秀吉が官兵衛に工事を命令した書状も福岡市博物館に現存しており、官兵衛が工事に関わったことを裏付けている。築城時の資材運搬道路も一部が姫路市内に残っており、秀吉の命で官兵衛が建設したといわれている。
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官兵衛が関わった姫路城の野面積み石垣(今藤久夫さん提供)

 天正10(1582)年の備中高松城攻めでは、周囲を沼で囲まれた城は秀吉の3万の大軍でも攻略できなかった。そこで官兵衛は力攻めは無理と考え、水攻めを進言する。水攻堤を築いて近くの足守川の水を引き入れるものである。旧暦5月の梅雨前、堤は突貫工事でわずか12日間で完成した。
 そして隙間なく川に浮かべた石船の底をうがって水を入れ瞬時に沈め、土石などを船中に投入して流れをせき止め、堤内に水を導いた。高松城は折からの梅雨により数日で湖水の浮島のようになり落城する。官兵衛の理にかなった策がこれまでに例のない難工事を成功に導いた。堤の長さは城の北西から南東に約3キロといわれていたが、最近の研究では南東部の凹部300メートル余りとされ、一部が今も蛙ヶ鼻(かわずがはな)に残っている。

 この工事が特筆されるのは、水攻めの成功が秀吉に天下取りへの道を開いた点である。工事が遅延、失敗すれば本能寺の変を知った毛利方が勢いを増し、秀吉は一転窮地に立ったであろう。仮設の土木工事の出来が天下の帰趨(きすう)を左右した稀有(けう)な例である。
 この後、秀吉の天下統一に伴い各地に城が築かれるようになると、官兵衛は経験を買われて秀吉の大坂城、自らの中津城、朝鮮出兵のための名護屋城、嫡男の長政の福岡城などで全体計画を策定、工事の監督などに携わる。堅固な城の築城には縄張り、工事の施工に豊富な城攻めの経験と土木技術が必要であるため、官兵衛が多くの築城に関わることになった。
 天正15(1587)年の九州平定の後、官兵衛は秀吉から博多の復興計画の立案を命じられ、入り江、湿地を埋め立て区画整理を行い、町を「流れ」という単位にまとめ今に至っている。

 官兵衛はこのように築城、城攻めの工事だけでなく、町作りにもその手腕を発揮した。

=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫

=続く


 今年のNHK大河ドラマの主人公である戦国武将、黒田官兵衛孝高(よしたか)。秀吉に天下を取らせ、「希代の軍師」と称される。その戦略や信条などを「播磨の黒田武士顕彰会」理事、今藤(こんどう)久夫さんがシリーズで紹介する。


*2014.02.01 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140201/wlf14020118000025-n1.htm)

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
日本史上最高の土木エンジニアは徳川家康だと思います。
井出浩司
2014/05/05 10:52

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