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zoom RSS 【官兵衛を探る(7)】

<<   作成日時 : 2014/04/27 14:40   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

「汝の敵を愛せよ」に驚き、キリスト教を受け入れた官兵衛…秀吉に叱責されてもキリシタンの心捨てず 

 茶の湯などを通じてキリシタン大名と付き合う中、官兵衛はキリスト教への関心を徐々に深め、天正12(1584)年、高山右近らの勧めで入信する。「汝の敵を愛せよ」と説く西洋の教えが相手に寛容に接する自分の心と何ら変わらないことに驚きつつ、官兵衛はキリスト教を受け入れる。西洋の合理的な考え方に興味を持ち、西洋技術の習得、鉄砲・火薬の入手なども期待したのであろう。亀(きっ)甲(こう)車と呼ばれる戦車を取り入れ、戦いで用いている。
 官兵衛が入信していたことを示すものとして、国内では福岡県朝倉市の円清寺の「黒田如水像」と洗礼名シメオン・ジョスイ(Simeon Josui)のローマ字印が押された書状が残っている。一方、海外には宣教師が残した記録、インド、ヨーロッパに送った書簡、報告書があり、官兵衛のキリシタンとしての活動、考え方を具体的に知ることができる。
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黒田如水ローマ字印書状=慶長8(1603)年以後(福岡市博物館所蔵)

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黒田如水ローマ字印書状の印象部分を拡大復元したもの。「Simeon Josui(シメオン・ジョスイ)」とローマ字表記が読める(福岡市博物館所蔵)

 「ルイス・フロイスの日本史」は戦場での官兵衛の姿を次のように伝える。官兵衛は九州攻めの戦場に修道士を帯同し、時間が許す限り手元に置き、自ら世話をしながら兵たちに説教を聞かせた。官兵衛が不慣れな手つきで十字を切り、祈り終えると頭と両手を床に着けひれ伏す姿は真心がこもったもので、一同に感銘を与えずにはおかなかった。

 さらに陣営内の武将たちに書状を送り、自分のところに説教を聴きにくるように勧め、説教を聴いた者についてはその回数、理解の程度、受洗を決意した日にちを把握していた。これらから官兵衛の一途できちょうめんな性格がうかがえる。また、「予はその国の住民がすべてキリシタンのみから成り立つよう定めており、同国の教会の権限を委ねるために一人の司祭を呼ぶ考えでいる」と述べ、キリスト教に基づく国を作りたいとの思いも持っていたようだ。
 官兵衛は戦いに明け暮れながら布教活動を主導、支援していたが、家族、家臣に入信を強要することはなく、嫡男の長政と弟2人は入信したものの、妻の光(てる)姫(ひめ)は生涯、浄土宗を信仰した。
 秀吉のバテレン追放令が出た天正15(1587)年以降、官兵衛は表面上棄教したが、浅野長政に領国内で司祭たちを庇(ひ)護(ご)するよう取り計らうなどその後もキリスト教を保護し続け、秀吉から叱責されることもあった。官兵衛は京都伏見で亡くなったが、博多の教会でも葬儀が行われたとの宣教師の記録が残っており、最後までキリシタンを貫いたようである。=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫



*2014.01.26 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140126/wlf14012618000017-n)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
キリストやってる方々が、敵を愛しているとはとても思えませんが。
井出浩司
2014/04/27 20:55
そもそも、十字軍の遠征とかあったし、魔女狩りだってキリスト教のもとで行われました。
管理人
2014/04/27 22:32

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