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zoom RSS 【官兵衛を探る(6)】

<<   作成日時 : 2014/04/26 15:11   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

官兵衛が言う「文武両道」の極意とは…「文」は書でない、「武」は武芸を好むことではない

 「文武ハ車の両輪のごとく、一も闕(かい)てハかなひがたき由、古人もいへり。勿(もち)論(ろん)治世には文を用ひ、乱世にハ武を以て治(おさめ)るとハ有ながら、治世に武をわすれず、乱世に文を捨ざるが、尤(もっとも)肝要なるへし。」
 官兵衛は「如水遺事」で大将には文武双方が必要と説く。それも、平時には武を忘れず、乱世に文を捨てないことが最も大切と強調する。平時に武を忘れると、俄(にわ)かに兵乱が起こったとき、どのように動けばよいか分からず慌ててしまう。乱世に文を捨てると、家臣、領民を慈(いつく)しむ気持ちがなくなり、忠義の気持ちもすたれ、たとえ一時の勝利を収めても長くは続かない。
 文を好むというのは、書を多く読むことでも、詩を作り故事を多く覚えることでもない。物の道理をわきまえ、諸事についてよく考え、善悪をただして賞罰を明らかにし、慈悲の心を持つことである。
 また、武を好むというのは、武芸を好み勇ましいことをいうのではない。軍(いくさ)の道を知り、常に戦いを鎮(しず)める知略を持ち、よく兵を指揮して信賞必罰を徹底することをいい、自分の武勲にこだわるのは大将の武道ではないと説く。官兵衛は大将の文は善政に役立つもの、武は全軍の指揮を執る能力と考える。

 文を重視した官兵衛で特筆されるのは茶の湯と連歌である。当時の戦国武将の間では茶の湯が流行しており、官兵衛もたしなんでいた。信長、秀吉の茶頭であった津田宗及の茶会に天正13(1585)年、官兵衛が参加したことが「宗及茶湯日記自会記」に記されている。また、千利休とも親しくしており、官兵衛あての利休の書状も残っている。晩年には「黒田如水茶湯定書」三カ条を書いて水屋に掲げさせ、利休流の素朴な心得を説いている。
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黒田官兵衛あて千利休書状(福岡市博物館所蔵)

 連歌も戦国時代に武家の教養の一つとして流行した。連歌とは複数の作者により上の句(五七五)と下の句(七七)を順に作っていく和歌の連作であり、相手の詠んだ句に関連させて詠まなければならず、相当な文学的素養が必要である。
 官兵衛は母の影響で幼少の頃より連歌に親しみ、京でも当代随一の武家文人、細川幽斎をはじめ公家衆、連歌師の里村一門と親密に交際し、連歌など歌学の研鑽(けんさん)に努めた。晩年には福岡で家族と太宰府天満宮に奉納する連歌の会を催し、官兵衛が発句を詠み、妻の光(てる)姫、嫡子の長政らが続けた連歌が残っている。
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如水夢想之連歌写(福岡市博物館所蔵)

 官兵衛はこのように文武両道を追求し、当時最高の文化人から認められる武将であった。

=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫

=続


 今年のNHK大河ドラマの主人公である戦国武将、黒田官兵衛孝高(よしたか)。秀吉に天下を取らせ、「希代の軍師」と称される。その戦略や信条などを「播磨の黒田武士顕彰会」理事、今藤(こんどう)久夫さんがシリーズで紹介する。


*2014.01.19 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140119/wlf14011918000022-n1.htm)

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コメント(1件)

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何であの文字が読めんのかね。親父が生まれた時の戸籍謄本読めないけど。
井出浩司
2014/04/26 22:26

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