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zoom RSS 【官兵衛を探る(5)】

<<   作成日時 : 2014/04/20 01:04   >>

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 産経新聞WESTで連載中の黒田官兵衛の記事です。

 朝鮮の後「無断帰国事件」の真相…秀吉激高、俸禄没収、それでも「忠義」の官兵衛の胸中は

 荒木村重が信長に反旗を翻し、主君、小寺政職(まさもと)がこれに同調したとき、官兵衛は政職を次のようにいさめた。「いったん信長に属しながらその約束をほごにして毛利に属することは不義の至りであり、あってはならないことである」
 しかし、政職は官兵衛に同調しないばかりか、家中では官兵衛を誅殺すべきだとの陰謀さえ聞こえるようになったので、官兵衛は父、職(もと)隆(たか)に相談した。状況を聞いた家老たちは「小寺の敵とみられ攻められれば合戦もやむなし」と言う。
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官兵衛の主君だった小寺政識の居城、御着城の城跡=姫路市(今藤久夫さん提供)

 これに対し、官兵衛は次のように述べる。「姫路城に立てこもることは小寺に対して謀反人になり、合戦に及べば不義の至りとなる。自分が小寺に疑われ討たれたとしても運命であり、不義にはならない。武門に生まれた以上は義を重んじ、命を惜しむべきではない」
 職隆もこの覚悟を理解し、官兵衛は御着城に赴くが、政職は説得に応じず信長に反旗を翻すことが決まる。政職は、官兵衛を誅殺すると職隆が籠城(ろうじょう)して一大事になると考え、官兵衛を殺害せず、村重の説得を命ずる。この後、官兵衛は有岡城に赴き村重に幽閉されるが、信長、小寺の双方に忠義を貫き、1年余の幽閉に耐えたさまは信長、秀吉をも感嘆させる。

 また、朝鮮の役では現地の武将たちと秀吉の間で作戦の相違があったことを「ルイス・フロイスの日本史」が記す。戦いが膠着(こうちゃく)する中、有利な講和を模索する秀吉は官兵衛に、まず全羅道を攻撃し、次いで越冬のための城塞工事に着手するよう命ずる。しかし、現地の武将たちはまず城塞を構築し、その後、全羅道を攻撃する考えだったので、官兵衛らが帰国して秀吉にこの意向を伝えることにした。
 これを聞いた秀吉は激高して官兵衛に面会もせず、俸禄と屋敷を没収してしまう。官兵衛は「予の権力、武勲、領地および多年にわたって戦争で獲得した功績、それらすべては今や水泡が消え去るように去って行った」と言い、剃髪(ていはつ)し「如水(じょすい)」と号して出家する。官兵衛がさしたる理由もなく朝鮮から帰国する訳はなく、秀吉の命令を再考してもらおうとしたことが文禄2(1593)年の無断帰国事件の真相のようだ。
 官兵衛は、朝鮮の役は大義のない戦いと思いながらも秀吉の命に従い、極力戦線を拡大せず根拠地を確保して戦うなど人的被害を軽減する作戦を採った。これが兵を預かる官兵衛流の忠義であったが、真意を理解されなかった心境は、いかばかりであったろうか。

=播磨の黒田武士顕彰会理事 今藤(こんどう)久夫

=続く


 今年のNHK大河ドラマの主人公である戦国武将、黒田官兵衛孝高(よしたか)。秀吉に天下を取らせ、「希代の軍師」と称される。その戦略や信条などを「播磨の黒田武士顕彰会」理事、今藤(こんどう)久夫さんがシリーズで紹介する。


*2014.01.18 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140118/wlf14011807000000-n1.htm)

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コメント(1件)

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銀河テレビを島津義弘VS本多忠勝で争っているが、島津義弘の場合、韓国で暴れまくってくれちゃったのがNHKとしては問題みたい。
官兵衛どのは、ずらかっちゃったわけで、その心配はないかな。
井出浩司
2014/04/20 09:52

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