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zoom RSS 【満州文化物語】(4)3つの国歌 作曲者にも「戦争の陰」

<<   作成日時 : 2014/01/18 23:38   >>

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 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。

 ■甘粕が力注いだ10周年
 満州国・陰の実力者として君臨した元陸軍憲兵大尉、甘粕(あまかす)正彦(1891〜1945年)は満映(満州映画協会)や新京音楽団(新京響)理事長に就任し文化行政を一手に握ってゆく。そのハイライトは、満州国建国10周年を迎えた昭和17(1942)年の一連の大イベントであった。
 日本から派遣された演奏家と新京響の楽団員らで構成された「満州国建国十周年慶祝交響楽団」は、新京(現長春)や奉天(同瀋陽)、ハルビンなど満州各地を回り、演奏会を開いてゆく。ほかにも東京音楽学校(現東京芸大)音楽使節団の渡満、6代目尾上菊五郎らの歌舞伎公演、演劇関係者の招請など記念行事がひきもきらない。
 このとき、自作の日本献呈慶祝曲を引っ提げ、オーケストラを特別編成して、渡満したのが山田耕筰(1886〜1965年)である。
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 昭和17年9月に行われた「満州国建国十周年慶祝交響楽団」慶祝楽曲演奏会のプログラムが残っていた。
 山田の慶祝曲や交響曲「明治頌歌(しょうか)」に加えて、同盟国であるドイツやイタリアからの献呈曲などが演奏され、指揮の多くは山田。第1バイオリンにはタレント、黒柳徹子の父親で、後にN響のコンサートマスターを務める黒柳守綱(1908〜83年)やチェロには世界的な指揮者、小澤征爾(せいじ)の師である齋藤秀雄(1902〜74年)の名も。
 新京にオーケストラをつくり、建国10周年行事として一大イベントを企画した甘粕の狙いは何だったのか。
 『王道楽土の交響楽』を書いた岩野裕一はこう思う。「(甘粕らには)欧米の列強と並ぶ一等国になるにはオーケストラぐらい持っていないとダメだという思いがあった。強烈なコンプレックスに裏打ちされた行動であり、(満州国首都に結成された)新京響はその“落とし子”ともいえるでしょうね」

 ■浸透したのは「2番目」
 建国10周年記念行事の一環として、新国歌の選定も行われた。実にこれが“3つ目の国歌”である。
 最初に作られたのは建国(昭和7年)時。作曲は山田耕筰だったが、一般公開されないまま“オクラ入り”してしまう。2番目の国歌は翌8年に制定。そして10周年に合わせて3番目の国歌が作られるのだが、こちらもあまり一般には浸透せず、多くの満州っ子の記憶にあるのは「2番目」の歌である。
 『続大連市史』の編集委員長を務めた太田豊(1927年〜、旧制大連二中−陸軍士官学校)は言う。「学校の式典などでよく歌いました。後に『建国歌』と改題されたようだが、よく知られているという意味では、やはり(2番目の)この歌でしょうね」
 作詞は最初の国歌と同じく満州国国務院総理の鄭孝胥。作曲者は公表されなかったが、後に明らかになる。大連の音楽三羽ガラスとうたわれた村岡楽童(がくどう)、園山民平(そのやまみんぺい)、高津敏(たかつ・さとし)(1886〜1954年)。3人の共作だった。
 村岡は、満鉄経営の大連ヤマトホテル管弦楽団の楽長。園山は、満州独自の自然や風土を盛り込んだ満州唱歌を数多く作曲している。2人とも大連で音楽学院を経営し、太田によれば、「多くの女学生が彼らの学院でピアノを習っていた」という。
 一方、高津は、コルネット奏者として陸軍戸山学校軍楽隊で活躍。大正12年、満鉄に招かれ、邦人向けに音楽を提供する満鉄音楽会を任されている。大連交響楽団の指揮者や満州各地の吹奏楽団の創設に尽力し、「満州一のホール」と呼ばれた大連の満鉄協和会館の責任者でもあった。
 高津の長男で、朝日新聞科学部長や専修大教授を務めた真也(しんや)(1921年〜、旧制旅順高校−大阪帝国大学)は、こう記憶している。
 「3人がウチへ来てピアノを弾きながら(満州国国歌を)作曲していたのを覚えています。当初父は、(国歌の作曲が)あまり気が進まなかったようで、『作曲者名は出さない』『(仲のよい)3人一緒なら』という条件で引き受けたようですね」

 ■戦後は音楽に関わらず
 高津家のアルバムには、バス歌手・シャリアピン(1873〜1938年)、バイオリニスト・ジンバリスト(1889〜1985年)ら、協和会館のステージに上がった世界的なアーティストたちが高津に贈ったサイン入りの写真が数多く残されている。昭和15年に結成された大連交響楽団を、さっそうと指揮する高津の写真もあった。
 だが、こうした華々しい活躍も、終戦直前のソ連軍による満州侵攻で暗転してしまう。高津の消息は途絶え、日本にいた真也に、ようやく引き揚げの知らせが届いたのは22年2月である。再会した父親は病み、すっかり気弱になったように見えた。
 真也は言う。「病院に行くことをすすめても父はがんとして聞かない。戦後はまったく音楽に関わらず、友人、知人にも会おうとしなかった。満州のことを話すこともありませんでしたね」
 満州からの引き揚げ者に戦後、虚実とりまぜて重くのし掛かった「戦争の陰」。高津の胸のうちにも、複雑な思いが渦巻いていたのかもしれない。=文中敬称略(喜多由浩)


*2013.09.16 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130916/art13091610540002-n1.htm)



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ちょっとしか関係ないけど
http://www.youtube.com/watch?v=VolG7V3-4hw#t=22
は、すごかった。
井出浩司
2014/01/19 17:30

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