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zoom RSS 【満州文化物語】(3)世界の芸術家交錯 紡ぎ上げた独特の文化

<<   作成日時 : 2014/01/11 23:39   >>

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 産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。

 ■一家を救った「潔さ」
 指揮者・朝比奈隆(1908〜2001年、元大阪フィル音楽総監督)の「満州での物語」をもう少し続けたい。
 朝比奈が、終戦前に満州へと渡り、ロシア革命などでヨーロッパから逃れてきた白系ロシア人やユダヤ系の音楽家などで構成されたハルビン交響楽団、日本人中心の新京交響楽団の指揮者として活躍したことは前回書いた。
 当初、単身赴任だった朝比奈は昭和20(1945)年5月、空襲が激しくなってきた内地(日本)よりも、「満州の方がよほど安全だろう」と考え、妻と2年前に生まれたばかりの長男・千足(ちたる)(現・神戸フィル音楽監督)をハルビンへ呼び寄せる。
 これが大失敗だった。まもなくしてソ連軍が満州へ侵攻。殺戮(さつりく)、略奪、強姦(ごうかん)…と暴虐の限りを尽くし、在留邦人は一夜にして「地獄」へと突き落とされる。軍属扱いの朝比奈も捕まればシベリア送りは免れない。
 千足はいう。「母は戦後もずっとオヤジに文句を言い続けていましたね。なぜ状況判断を誤ったのか、と。それほど怖い思いをさせられたのでしょう。オヤジは黙って聞いているだけでしたけど」
 だが、意外なところから救いの手が差し伸べられる。
 終戦の日、ハルビン響練習場で終戦の詔勅を聞いた朝比奈は楽団員にこう言い渡した。「楽器も楽譜もお金もここにあるものは全部みんなで持って帰っていい」と。その態度ゆえか、ロシア人や朝鮮人の楽団員らが一家をかくまってくれたり、食料を差し入れてくれたのだ。
 「武士の家の出だったオヤジは潔く、お金にも執着しないところがあった。まぁ、エエ格好しいなんですな(苦笑)。でも、そこが(楽団員たちに)好印象を持たれた理由かもしれません」。千足の話である。
 朝比奈一家は朝鮮出身の弟子で、後に韓国を代表する指揮者となる林元植(1919〜2002年)の自宅などに潜伏し、翌21年、無事日本へ引き揚げることができた。

■ロシア語の満映映画
 当時のハルビンの雰囲気を伝える映画が残っている。昭和18年製作の満映(満州映画協会)・東宝提携作品『私の鶯(うぐいす)』(大仏=おさらぎ=次郎原作、島津保次郎監督、李香蘭主演)。セリフはロシア語で、日本語の字幕付き、という異色の音楽映画だ。
 革命から逃れ、ハルビンに来た元ロシア帝室劇場歌手に日本人の少女(李香蘭)が育てられるというストーリー。スンガリー(松花江)を行く外輪船、ロシア教会の尖塔(せんとう)、ドレスで着飾って劇場で音楽を鑑賞する貴婦人のシーンなどが美しい。その映画にオーケストラとして登場するのがハルビン響だ。
画像

 後に、世界最高峰のオーケストラのひとつ、ベルリン・フィル副コンサートマスターとなるユダヤ人バイオリニスト、ヘルムート・シュテルン(1928年〜)もハルビン響にいた。昭和20年に入団したときは16歳。指揮者は朝比奈である。
 シュテルンの苛酷な半生は自伝『ベルリンへの長い旅』に詳しい。ベルリンにいた一家はナチス・ドイツの迫害から逃れ、母親が得た劇場ピアニストの職を頼りにはるばるハルビンまでやってくる。極貧生活の中、シュテルンがやっと見つけたのが、ハルビン響でのポストだった。
 日本語版の翻訳をした眞鍋圭子サントリーホール・エグゼクティブ・プロデューサーは、「読みながら涙が止まらなかった。でも、シュテルンは私にこういったのです。『僕ぐらいの体験をしたユダヤ人はたくさんいるよ。ただ僕には音楽があってよかった』って」

 ■強烈な印象与えた甘粕
 平成7年、朝比奈はテレビのドキュメンタリー番組で約50年ぶりにハルビンを訪れている。ハイライトは朝比奈とシュテルンが再会する場面。朝比奈がドイツ語で「あのころはかわいい男の子だったな」と語りかけるシーンが印象的だった。
 番組の構成・演出を担当したテレビマンユニオンの大原れいこエグゼクティブ・プロデューサーによれば、朝比奈は妻子をつらい目に遭わせたハルビンへ行くことを渋っていたという。だが一方では、多くの外国人演奏家と交流し、レパートリーを増やした原点の地だ。番組の最後で朝比奈は「(終戦間際の)最後まで演奏会ができた僕は幸せだった」と語っている。
 朝比奈、シュテルン、李香蘭、林元植…。当時の満州には雑多なバックグラウンドを持つ世界の芸術家が集い、交錯し、独特の文化を紡ぎ上げてゆく。彼らを「タレント」とし満州の文化行政を牛耳っていたのが、満映理事長の甘粕(あまかす)正彦(1891〜1945年)であった。
 当時、ハルビン響や新京響とたびたび共演したバイオリニストの辻久子(1926年〜)は、講話集『同行二人、弦の旅』で甘粕が渡そうとした祝儀を、まだ20歳前だった辻が「そんなものいりません」と拒否し、周囲をハラハラさせたエピソードを披露している。それほど甘粕の威光はすごかった。
 甘粕は、朝比奈にも強烈な印象を残したらしい。千足によれば、満州時代の人物として朝比奈がよく語っていたのは甘粕と新京放送局のアナウンサーだった森繁久弥(1913〜2009年)の2人。特に甘粕はテレビなどで役者が演じるたびに朝比奈は「あんなものじゃなかったねぇ」と語っていたという。
 満州での甘粕の野望と幻の映画会社・満映。それについては稿を改めて書くことにしたい。=文中敬称略(喜多由浩)


*2013.08.19 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130819/art13081907560002-n1.htm)




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
大仏=おさらぎ=次郎原作、島津保次郎監督、李香蘭主演->
いまでいうと、クドカンと能年玲奈みたいな感じだったんではないかな。
井出浩司
2014/01/12 09:37
李香蘭=山口淑子の人気はすごかったらしい。キンキンが大ファンで、子供のころ、李香蘭はトイレに行かないと真剣に思っておいた、とパックで言ってました。
管理人
2014/01/12 16:30

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