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zoom RSS 【満州文化物語】(2)「音楽の都」ハルビン オーケストラがやってきた

<<   作成日時 : 2014/01/01 14:00   >>

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産経新聞の月一連載「満州文化物語」です。

 ■革命を逃れた演奏家

 大正14(1925)年4月、東京・歌舞伎座で「日露交歓交響管弦楽演奏会」が4夜連続で開かれている。日本人が初めて“本物のオーケストラ”の音に接した画期的なコンサートであった。
 指揮は山田耕筰(1886〜1965年)と近衛秀麿(ひでまろ)(1898〜1973年、文麿元首相の異母弟)。オーケストラは満州・ハルビンからやってきた「東支(とうし)鉄道交響楽団」のロシア人演奏家が中心である。
 なぜ当時のハルビンに、一流のロシア人演奏家が集まっていたのか? ロシア革命(1917年)で赤化された祖国から逃げ出してきた白系ロシア人らの“逃げ場所”となっていたからである。
 共演した日本人の演奏家や観客は衝撃を受けた。『王道楽土の交響楽』を書いた岩野裕一(1964年〜)によれば、「(本格的なオーケストラの演奏を)レコードでしか聞いたことがなかった日本人が初めて生で聞いた。日本人の演奏家たちは啓発され、これを機に日本でも本格的なオーケストラが結成されてゆくことになるのです」
 旧制東京高等学校の生徒だった指揮者の朝比奈隆(1908〜2001年)は追加公演の青山会館で彼らの演奏を聞いている。京都帝大に進んだ朝比奈は、やはり革命を嫌ってハルビンに来ていた指揮者・メッテル(1878〜1941年)の薫陶を受け、戦時中には、ハルビン交響楽団(東支鉄道交響楽団の後身)などの指揮者として満州へ渡ることになる。

■「東洋のパリ」の輝き
 ハルビンの都市計画はロシアによって進められた。コンセプトは大連と同じく「東洋のパリ」。20世紀初頭、鉄道によってヨーロッパと結ばれ、革命後は難民(エミグラント)となった白系ロシア人らの流入によって、ロシア風文化が輝きを見せる。
 日本人が増え始めるのは満州国建国(昭和7=1932年)前後のことだ。ハルビン生まれの歌手・加藤登紀子(1943年〜)の父・幸四郎(こうしろう)(1910〜92年)は、旧制京都二中からロシアの専門家を養成する哈爾浜(ハルビン)学院を出て、軍の特務機関や満鉄の白系露人係に職を得た。
 昭和10(1935)年、新婚の夫とともに初めてハルビンにやってきた淑子(としこ)(1915年〜、登紀子の母)はたちまち、ヨーロッパ風の文化に魅了されてしまう。とりわけ音楽好きの夫婦にとって楽しみだったのが一流の演奏家によるコンサートであった。
 アジアとヨーロッパを結ぶ交通の要衝であるハルビンには、内外の演奏家が立ち寄りコンサートを開く。中でも昭和10年に聞いたシャリアピン(1873〜1938年)は忘れられないという。ステーキにも名を残す世界的なオペラのバス歌手である。
 淑子は「私たちの家のロシア人の大家さんはドレスで着飾って、まさに『貴婦人の世界』、会場の鉄道倶楽部は社交場でした。(日本では)合唱団の演奏会ぐらいしか聞いたことがなかった私は感激でいっぱいでしたね」
 夫の幸四郎は、昭和11(1936)年のハルビン交響楽団発足に尽力したひとりである。日本人音楽愛好家らの会員組織による“わが街のオーケストラ”の運営は画期的なできごとであった。
 「だから(ハルビン響は)ずっと『私たちのオーケストラ』だという意識がありました。会員には毎月、チケットが送られてくる。ペアで、というのがうれしかったですね」。淑子の話である。

■日本人中心の新京響
 昭和12(1937)年、満州にもうひとつのオーケストラが誕生した。ロシア人演奏家が中心のハルビン響に対して、日本人演奏家を主とした「新京交響楽団」である。新京(現中国・長春)は、新生満州国の首都であり、「それにふさわしいオーケストラを」というわけであった。中心人物となったのは、満州映画協会(満映)理事長を務めた甘粕(あまかす)正彦(1891〜1945年)である。
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 メンバーは、内地の新交響楽団(NHK交響楽団の前身)や軍楽隊の出身者のほか、朝鮮人や中国人も積極的に採用した。後に、韓国の著名な作曲家・指揮者となる金東振(1913〜2009年)も第1バイオリン奏者として名を連ねている。
 ハルビン響と新京響。満州の2つのオーケストラを中心に、紀元2600年の昭和15(1940)年以降、たびたび合同演奏会が行われるようになる。特に、終戦の年である昭和20年には、甘粕の肝いりで、大連、奉天(現・瀋陽)、新京、ハルビンと満州中を回った。指揮は朝比奈、バイオリンのソリストとして招かれたのは当時“天才少女”とうたわれていた辻久子(1926年〜)である。
 内地では空襲が激しくなり、音楽どころではなくなっていたころ、満州ではソ連が侵攻してくるまで、「日常」が続いていた。
 朝比奈は自著『この響きの中に』でこう書いている。《ハルビン交響楽団の練習所でロシア人楽員全員と起立して御(ご)詔勅をきいた。そしてソ連軍入城の二十一日の前夜までハルビン放送局は私の指揮するベートーヴェンの『運命交響曲』を放送し続けた》と。=文中敬称略(喜多由浩)


*2013.07.15 産経新聞より(http://sankei.jp.msn.com/life/news/130715/art13071508420003-n1.htm)



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コメント(1件)

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あけましておめでとうございます。靖国神社に初詣行くつもりなんですが、満州と靖国神社は関係なかったですね。
井出浩司
2014/01/03 12:21

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