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zoom RSS 晶子の執着(4)得意な算術、女学校に物足りず 夢より経営に奔走

<<   作成日時 : 2013/06/08 00:11   >>

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 与謝野晶子が鉄幹と出会い人生が急展開していくのは明治33(1900)年、晶子22歳のことだが、そのとき突然、「みだれ髪」の情熱の歌人になったわけではない。
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堺高等女学校。晶子が学んだ堺女学校の後身(『堺大観』より)

 それまでの堺時代に、歌人としての素養は積んでいる。「あぢきなきわが生立」と少女時代を寂しく回想していた和菓子店「駿河屋」の娘は、どのように歌詠みになっていったのか。

 新潮文庫版『みだれ髪』に収録されている松平盟子さん(歌人)の文章をはじめいくつかの評伝を読むと、ひとつは家庭環境があったようだ。

 前回書いたように、父親は商売には熱心でなかったが大変な読書愛好家で、自宅には「栄華物語」「大鏡」「源氏物語」「枕草子」などの古典のほか、明治期の最先端の小説までが豊富にそろっていた。

 晶子はそれらを読みあさる文学少女だった。

 後に書いた随筆で、当時の思い出をこうつづっている。

 「私は子供の時から歴史が第一に好き、其次に文学が好きでした」(『一隅より』)

 「わたしは夜なべの終わるのを待って夜中の十二時に消える電燈の下で両親に隠れながらわずかに一時間か三十分の明りを頼りに清少納言や紫式部の筆の跡をぬすみ読みして育ったのである」(同書)

 「十二、三の頃でしたか、鴎外先生の『柵草紙』後には『めざまし草』それから戸川秋骨様などの『文学界』、紅葉様、露伴様、一葉様などの小説、斯様なものを解らぬながら拝見するのが一番の楽しみに存じました」(藪甘子)

 両親に隠れてというのは当時の晶子の環境がある。

 10歳で宿院小学校を卒業した晶子はその年、新設された堺女学校に転校する。その女学校時代から、学校の合間に店の帳簿付けを手伝うようになる。

 「十二、三歳から10年間店の帳簿から経済の遣繰、雇人と両親との間の融和まで自分1人で始末を付けていた」(一隅より)とまで書いた生活が始まっていた。

 引っ込み思案だった少女だが、算術が得意で仕事が手早かった。父は商売に身が入らず、母は過労がたたってか病弱。腹違いの長姉が嫁ぎ、次姉は病弱で、いつしか家業が晶子の肩にのしかかっていたのだ。

 だから、お嬢様とはいえ自分の思いのままに読書をする時間はないのだ。でもそれだからこそ、心奥深くエッセンスがしみこんだともいえるだろうか。

 あなかしこ楊貴妃のごと斬られむと 思ひたちしは十五の少女 『佐保姫』

 夢見がちな文学少女。以前この欄に取り上げた田辺聖子の少女時代を思いだす。2人とも源氏物語を現代語訳したのもくしき縁か。

 晶子は向学心の強い少女だった。6歳年上の長兄は成績優秀で東京帝国大学に進学した。晶子はうらやましかっただろう、と『千すじの黒髪 わが愛の与謝野晶子』で田辺聖子は書いている。

 晶子が通った堺女学校は女子教育の先駆けだった「女紅場」の後身だったが家政中心の学校は物足りなかったのか補習科に進み、16歳まで6年間も通っている。妹には勉強がもっとできる京都の高等女学校に進むよう勧めている。

 古典好きの少女が歌を詠み始めるのは自然の流れだったか。「歌の作り始め」という文章(女子文壇明治41年1月号)では、作り始めたのは14歳のころ、最初は漢詩の方がよくて「古今和歌集」などは嫌いだったが、16歳のとき「万葉集」を初めて見て無上の喜びを感じた、と書いている。

 17歳の9月に『文芸倶楽部』の投稿欄に載った一首が現存する晶子のもっとも古い作とされる。

 露しけき葎(むぐら)か宿の琴の音に 秋を添へたる鈴むしのこゑ

 歌の善しあしはよくわからないところだが、後の晶子をほうふつとさせる、と書いた解説はないところを見ると平凡な作なのだろう。

 そのころ、兄にかわって弟の籌三郎(ちゅうざぶろう)が家業をつぐべく家にいた。この弟がかの有名な「ああ弟よ君を泣く」の弟だが、彼とは仲がよく、後に地元・堺の歌の会に入ったり、同人になったりして歌壇に近づく道筋を歩むことになったのは、この弟の存在があればこそ。

 そして、その先に輝く明星の鉄幹がいた。


*2013.03.14 産経新聞関西版より
(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130314/wlf13031416310017-n1.htm)

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コメント(2件)

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僕は明治88年生まれなんで、与謝野晶子が鉄幹と出会った55年後に生まれたことになる。
こうやって考えると、最近のピーヒャラジジイは長生きしすぎじゃねーか。
早くお迎え来てあげたほうがいい人がたくさんいるが。。。
井出浩司
2013/06/08 10:04
晶子は昭和十何年だかまで生きてた。子沢山で、結構大変だったみたいだ。今でいう肉食系の女だね。
一方で一時恋のライバルでもあった友人の山川登美子は草食系、この対比がまたおもしろい。今文学部に戻れたら、研究して見たいね。
管理人
2013/06/08 10:48

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